坂田 美優

神戸の大学生です。 『大船渡 ハウルの船』『TALEnt』『花瓶の淵で波を追う』 イン…

坂田 美優

神戸の大学生です。 『大船渡 ハウルの船』『TALEnt』『花瓶の淵で波を追う』 インスタグラム:https://www.instagram.com/mys12330/

マガジン

  • POETRY

    うた としての詩、 この世に新しいものを生み出すものとしての詩、 乗り物としての詩、

  • ZINE 序章など

    書店などで販売しているZINEの紹介や序章の投稿のまとめ。 suikanoyuge@gmail.comまでご連絡頂けたら直接郵送も可能です。 ①『大船渡 ハウルの船』1100円 ②『TALEnt』1200円 ③『花瓶の淵の波を追う』1200円

  • 2023/11/25 ヒッチハイク紀行

    2023年11月25日に東京からはじめてヒッチハイクで神戸まで帰ってきたときの記録

  • すいかのゆげ

    屋号のような、レーベルのような気持ちでつかっている「すいかのゆげ」ということばが何なのか、それにまつわるさまざまな思考をまとめています。

  • もじょもじょの言語化

    日々生活をする中で自分が感じている「不快」を敏感にキャッチし、誠実に丁寧に言葉にすることで私自身を”癒す”ことができるのか!?という実験。

最近の記事

  • 固定された記事

【詩】生産工程

ティーカップに入ったコーンスープをすする猫 アスファルトの上で 静電気がゆう メルヘンティックに減るメトロポリスのせせらぎに まるでクラインガルテン さすがに人参くらいかもしれないって 暗闇の中で少女が天を吸う この危機において必要なものは恐らく雅楽か科学か形見か空手か、それとも手のひらの様子をじっと眺めてみる? つまりはおひつが発するその蒸気 葉脈の間にある家 十を数えれば君の長靴が 実は足袋じゃないと履けなかったってことを告白されるし 当のカバキは海の石臼が Lit

    • 桃太郎

      昨日のこと。 今一緒に生活をさせてもらっているご夫婦と、外で飲んで3人ともかなり酔っぱらって24時近く。 家への帰路、坂道をぴよぴよと歩きながらの冗談の中で、 その夫婦にとって私は桃太郎のようなものだ、という話がなされた。 分かれ道で家とはちがう方に行って、「うちの桃太郎さんはまだ道がわかってないみたい」と言われたのが発端。 次いで、「もう鬼退治は自分たちがしっかりしといたからね!」と。 「だからもう美優ちゃんは、きびだんごじゃなくて、これはきみのための団子だよ~と言

      • 彼方からの月

        缶ビールとパンフレットをそれぞれの手に持って 映画館からの道すがら 海沿いをひとり、歩いていた。 やっぱり夜もすきだ。 都市だと、夜にひとりで歩いていても、みえない他者の存在をいつでも感じられるからよい。 他者の存在がない中で、自分の行動や生命の責任や一部始終の記憶を自分自身で負うことの自由もよいが、人の存在を感じながらこうして孤独にひたれることも贅沢だ。 こうしてひとりでひっそりお酒を飲みながら歩くのもすきだ。 そんなの行儀がわるい、と、だれかからは言われるけれど。 歩

        • 【詩】プラージュ

          逃げ水かと思ったら海。 いや川か。 ホラ沢と呼ばれていた、金沢のランドセル。 世界。たぶんカリフォルニアの大地にあまねく大樹の末柄。 まる張ったカルチャースクールを居所になんて、 梨と蟻が、食べ合って、 その四肢を着られて、 足か針か、 2人がけでとぶとびばこ。 マウンテン、オヴ、ニードル。 淹れた発砲スチロールのその水が、ここを下った先の飛び地に住民票をうつした。 ことばは多分銃の中に眠り、頬にかかるその長い髪は 意図として充ち、伸びはやめ。 だからもう、いいかあ、 石

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        【詩】生産工程

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        • POETRY
          4本
        • ZINE 序章など
          3本
        • 2023/11/25 ヒッチハイク紀行
          3本
        • すいかのゆげ
          1本
        • もじょもじょの言語化
          4本
        • 旅・ベトナムカンボジアタイインド
          20本

        記事

          タイトル『花瓶の淵で波を追う』によせて【新しいZine】

           2023年の夏のよく晴れた日に、みほさんの写真を撮った。 時間にしておよそ1~2時間ほど、短くも鮮やかな、透き通る海と光の記憶。 撮影をする中で、みほさんは今、別な世界を見たいんだ、という印象が強く残った。  この冊子に文章を載せ、その中の写真に写っている煙山美帆(けむやま みほ)さんは現在、岩手県のとある漁師町で暮らしている。東京で生まれ育ち、東日本大震災のボランティアをきっかけにその町に移住した。 小高いところに位置する、3人の娘を含む家族と住む家からは、三陸の海が

          タイトル『花瓶の淵で波を追う』によせて【新しいZine】

          どうろでうく【ヒッチハイク紀行vol.3】

          vol.1はこちら ↓ vol.2 2台目の方からは緑茶をいただいたりして、いろいろお話ししていたら岡崎SAに到着。楽しかった。にこにこぺこぺこお礼をしながら車を出て、お互いに名前も知らないことに気付いた。暗い車内の私は後部座席に乗っていたので、ほとんど顔もしらない。最後挨拶するときに車から出てくれて、その時すこしだけ見たけれど。 さっきあんなにもじっくり話していた人なのに、車から離れてしまうと、もうすれ違っても気付かないだろうな。 トイレに行って、次の地点を決める。

          どうろでうく【ヒッチハイク紀行vol.3】

          ねこはおちゃのまない【ヒッチハイク紀行vol.2】

          静岡SAでそのおじいちゃんに教えてもらった場所にて再度スケッチブックを開き、なんとなく目についた岡崎SAが良い具合にそこから1時間半の距離にあるとのことで「岡崎まで」とでかでかと書く。 1回目にやたらと丁寧に書いたが、その割にすぐに役目を終えたので、今回はかなり手早く、1分程度で書き終え、早速掲げてみる。 3台ほど車を見送った後、スケッチブックを掲げてからおよそ1分ほどで車が止まってくれた。 うしろにたくさんの車が待っていて、なぜかそのたくさんの車たちの流れを止めた状態での乗

          ねこはおちゃのまない【ヒッチハイク紀行vol.2】

          ものがおおいへや【ヒッチハイク紀行vol1】

          ヒッチハイクをした。 東京から西宮まで。 3台の車に乗せてもらって帰ってきた。 1人目の方は用賀の東京ICから静岡SAまで、 2人目の方は静岡SAから岡崎SAまで、 3人目の方は岡崎SAから甲子園まで。 甲子園からは阪神電車で三宮まで帰ってきた。 1人目・2人目の方はスケッチブックを掲げて立って1分ほど、3人目の方は3分ほど歩きまわって乗せていただけることになった。 14時に東京を出て、22時ごろに神戸についた。 よく話した1日だった。 こと細かにレポートを書こう、面白

          ものがおおいへや【ヒッチハイク紀行vol1】

          映画『福田村事件』を見た

          自分の生命はこれまでのたくさんの人間の連なりの上にあり、 その人間たちのしてきたことを考えると、 今自分がこの世に、この地に、ただ生きているだけでもうすでにたくさんの罪を負っているようなものなのに、 さらなる罪を為してしまうような可能性がすぐそばにありすぎる。 不条理なことばかりがあるし、 太刀打ちできないはずはないと思うような、人間、自分と同じ人間がしているはずのことの中にも、 どうしようもないほど絶望的な伝わらなさがあり、悪があり、その悪の理由や説明となりうるようなまた

          映画『福田村事件』を見た

          10月2日の日記

          物事を自分のできる限りの最後まで追っかけて行って考えるということを諦めることが習慣となってしまっている自分がいる。一人で考えていると自分が現実から浮遊していくような感覚になり、地に足をつけて生きていくことができなくなる。そうして思考しているうちに自分のキャパが足りなくなる。そのキャパをじわりじわりと負荷をかけながら大きくしていくというスリルみたいなものを引き受けて、自分の脳や心の筋肉の可動域やスタミナを高めていく。 でもやはり枝分かれを繰り返す自分の思考の中でどれかひとつを追

          10月2日の日記

          【詩】〇1〇

          いやいやいやいや ていうかさ ぴっとした何処の端っこの磯! いずれは鳶の鼻緒にもいかんいかん 雫が耽美な川の畔に悲観 しても美観地区 結局米菓ってのはすぐに辛く、 返還してもとうにウィーっと まともな文章を書こうよ そんなのは結局、逃避でしかないと思うよ プラスチックの膨大な棒 耳につんざく誕生日おめでとう こんなもののどこに 点滅する 迫りゆく ばらつきのある 橙の 傾いた 数多のひとびと 私は 結局 乗れず つぎの 満月 月末 末端 端的 適切 切迫 迫真 真

          【詩】〇1〇

          【詩】癒えるところの拍手

          抜歯ばっかりしてるから、その場所に行ってもそばセットしかバーテンダーなんじゃん そばは細いからね とはいってもちょっと骨がアレだけど シルコットのウェット笑 でも! コチュジャンジャン 舞え場のかみ合わせがね 階段と会談 どこでだってランデブー 踊ってたってアンテロープ そろそろ食事の時間かな。 研究ってのは2:8 つまりはポンデライオンの前髪。 左の耳を肩につけて見な ほんで石鹸は南の島まで行くの 悲哀も嬉々と泡にくれて来た サッカーチーム後の英語教師! てがみはうし

          【詩】癒えるところの拍手

          TALEnt【新しくつくったzineの序章】

           「どこからどう見ても、楽しく生きているようには見えない」  初対面、会って1時間もしないほどの人にそう強く言い放たれてさすがに泣いた、初夏の午後。  結局、面白いも楽しいも遊びも美味しいも、あるようで無いようなものだと感じるときがたくさんある。 そんな私の本当の感覚、正直な思考をそのままに話せば、私がどれだけ悲観がなくフラットな気持ちを持っていようと、そのときの私は目の前の相手にとってまたたく間に繊細で生きづらく、悩みを抱く少し面倒な人となり、なんだか雑に励まされたり憐

          TALEnt【新しくつくったzineの序章】

          淀む川

          こないだ夜の本屋で、ヒッピーのことを映画と絡めながら研究してた、という若い女の人と話した。 今は働いていると言ってたので、ヒッピー的考え方を持ちながら都会の会社で働くのって難しくないですか?と問うと、アマゾンで買い物をしないとか、そういう小さいことを真面目にやってる、みたいなことを言っていた。 その人の放つアマゾンという言葉の響きが私にはどうしてもあの植物生い茂るアマゾンのイメージばかりを想起させ、一体今なにの話をしていたのか、ごくわずかな一瞬記憶が飛んだ。 その人が飲

          すいかのたね

          自分の身のまわりというのは、 すべて、 これまでの自分が選んできたものの結晶であるからこそ、 もう、 まったくもって完全に、 すきなことだけ、 すきなことだけをやらないと、 すきなものだけに向かっていかないと、 逆にそれをきっちり、100%の気持ちでやってれば、 いつどんなときも自分は自分のすきな、気に入ったものだけがあるたのしい世界で生きていられる。 清純でいないと。 純度を高めて生きないと。 今も、ずっと、 これまでもこれからも絶対にそれだけをやらないと。 そして

          すいかのたね

          坂を上って高いところに行く

          うれしいことがあった。悔しいことがあった。せつないことがある。美しいものごとがある。残念なこともあった。きらめくものがあった。 そのようなものを、これだけで終わらせていいものか。 言葉にすることは自分の感覚や感情の輪郭をより細かに彫刻していくようなものだと最近感じる。 その彫刻は自らで行うものであるけれど、いまいちそれがつかめずにいるところを、手取り足取り、身体をぴったりくっつけているような、でも1ミリほどわずかには離れていて触れてはいないような方法で、示してくれた人がいる

          坂を上って高いところに行く