映画『福田村事件』を見た
自分の生命はこれまでのたくさんの人間の連なりの上にあり、
その人間たちのしてきたことを考えると、
今自分がこの世に、この地に、ただ生きているだけでもうすでにたくさんの罪を負っているようなものなのに、
さらなる罪を為してしまうような可能性がすぐそばにありすぎる。
不条理なことばかりがあるし、
太刀打ちできないはずはないと思うような、人間、自分と同じ人間がしているはずのことの中にも、
どうしようもないほど絶望的な伝わらなさがあり、悪があり、その悪の理由や説明となりうるようなまた別の悪がある。
どこまでもひろがっていく無力感に、歯止めが効かないような気持ちになる。
それでもやはり、学ばなくてはならないし知らなくてはならない。
生命はつながっているからこそ。
自分のこの生命を曝してでも、私は私のこの身体で見た、感じた、考えた、私にとっての本当の真実を常に貫く必要がある。
物事をよりまっすぐな目で見つめ、前提となるものをとっぱらってどこまでも深く問い、その本質となるものを自分の頭で捉え、追求しなければならない。
それをおざなりにしてまで生きるようなものではない。
物事の本質を自分なりにとらえ、それをまっすぐに表現すること以上にやるべきことは無い。
周囲の人びとの中でたった1人だけであったとしても、自分の頭で考えた本当のことを主張しなければならない。
いま自分はそれほどの危険に曝されずとも、真実を見つめ、伝えることができる。
そんな今の自分の状況、この自由を守り、正しく用いなければならない。
様々なことがある。
そんな中で、
どれもひとつ、同じひとつのことにつながっているのだという真理を追い、伝え、この頭と心と身体によって平和をつくりあげなければならない。
そのために少しでも多くのことを知らなければならない。
ほんとうに、まだまだ、もっと様々な人が生きていて、より多様な自然があって、より多様な真実のあり方が有り得るということ。
そのようなことを自分のこの肉体を通した経験として知らなければならない。
デモクラシーとされているこの世だからこそ、私もその中の一人としてほんとうに賢くならなければならない。
自分を含むすべてのひとが
ちゃんと自覚的に力を使わなければならない。
知らないことが恐怖となってしまう。
でも知るために必要となるものもいろいろとあり、
あまねく人々がその、生きる上で必要となる知を自分だけで得ることは現実的でないかもしれない。
だからこそ、私はすこしでも多くの人から真実を表現しようとしている存在であると信頼された上で、その人々に伝えるようなことをする必要があるのかもしれない。
私だからこそできることもあるはず。
集団の中だからこそ養われ力を持ってゆく敵意があるが、
一方で、敵意も、文化も、知や自由を求める気持ちも、
それらが宿るのはひとりひとりの生命、魂、肉体においてである。
悲しく辛い出来事を在らしめることとなったその構成要素の最小単位が、
このちっぽけな自分と同じ、ただ一人の意識に過ぎない。
なのに、それゆえに、単なる正義や論理や目の前の悲痛な叫びによってそれを変えることが想像以上に不可能であるということに対する絶望がある。
でもだからこそ、集団や組織のようなものへの理性的な訴えかけだけではなくて、自分と、自分のできる範囲でのすぐそばの人々へ愚直に心を向けることも同時に為さなければならない。
作中の人物の1人は、自分自身を含む人間やそれによって構成される社会への絶望感をもとに、百姓として、必要以上の社会への問いかけや希望を絶ち、自分なりの正義や哲学を貫けるほど小さく閉じた生活にシフトしようとしたものの、自分にとっての必要がその範疇をおのずと超え、自らを危険にさらしてまでも為すべき主張をした。
近頃の私はこの人物の、作品序盤の考え方に近いところもあったが、私はそれでほんとうにいいのだろうか?と考える。
自分の日々の生活の中で感じさせられるものがなければ無視していていいのか、という葛藤もあるし、どれだけ小さく閉じていても、自分の生活の営みが行われている場がこの地球であることには変わりなく、その限りにおいてこのつながりゆく大地で起こることを完全に遮断することはできない。
であればその痛みを痛みとして生きるほうが美しいと感じる自分もいる。
ジャーナリズムとアート、
表現、主張、
資本主義と自律自存、
人間と社会と世界と平和
差別と貧困
世の中は良くなっている、でもまだまだ悲しいこともあるし、悪くなっている部分もある。
世界中をふるさととするような人間としての在り方を、魂を、磨きたい。
まっすぐに生きたい。
あらゆる地に根差す人、さまざまなところを行き交う人、行かざるをえない人、つくる人、受け取る人、未だ出会っていないその全ての人を友だちであると思えるような世界を見る人間になるために、過去の、そして今この世界にあるあらゆる絶望と希望と愛を知りたい。苦しい。
これをドキュメンタリー映画ではなく物語として編み直して世に出してくれた森監督に感謝、そしてリスペクトの気持ちを。
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