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とにかくとにかく人人人(ティルパティ 結婚式Day3)

1月中旬から、ベトナム・カンボジア・タイ・インドを旅してきました。
(インドで途中から友達と合流して2人旅!)

旅の相談を少しさせてもらった方に、私がまちを歩きながら何を思うのかが気になる と言ってもらったのが嬉しかったので、その方に向けて、とまでは言えないけれど、そんな気持ちをきっかけに、この旅の中で感じたことなどの記録を ここに残そうと思います。
道中メモしていたことをまとめて投稿します。

普段は、やってることを逐一シェアするようなのはなんか気ままさみたいなのがなくなってしまいそうでやらない派なので、少し恥ずかしさがあったりするのですが、長いし、全編を読む人はいないだろうくらいのテンションで、覚え書きとして気楽に書いています。
眠れないときとかに、ふと思い出して読んだりしてもらえたらと思います。

(電車で近くにいたファミリーに誘われて参加してる)結婚式3日目。

前日の朝に仕立てをお願いしたサリーのブラウス、昨日その仕立て代として請求された値段をスラッダー(新婦の姉)に言うと、その値段が異常に高かったみたいで、仕立て屋さんに怒りの電話をしてくれた。
そこに居合わせた親戚で警察官をしている女性も加勢して、ものすごい剣幕でまくしあげていた。

その仕立て代というのは日本円にすると確か2000円くらいで、まあ一から仕立てるからそんなもんかなあ、と思ってお願いしたら、全然600円くらいでやってくれるみたいだった。
でも600円は私としては安すぎるし、まあ別にその値段でもいいけどなあ、とか思ってたけど、スラッダーたちは、あなたたちもちゃんと戦いなさいね、とのこと。

「あなたたちにとって私たち、そして仕立て屋の人たちはインド人の代表であって、その人たちの印象はまるごとインドの印象になる。
それは私にとってのあなたたちがまるごと日本の印象になる、というのと同じだけどね。私はあなたたちに、インドをいやな国と思ってほしくないからこそ、こうして戦うんだからね」とスラッダー。
やっぱりこのひとはなんかなんともいえないかっこよさがあって、はい頑張ります、となっちゃう。

ブラウス受け取り

そんなこんなで、朝にそのブラウスを取りに行き、その際にお金も返してもらうことになっていたので早朝にその仕立てやの家まで行った(オラオラと強気で行きやとスラッダーに言われてたので若干そういうテンションで行った)。

すぐに受け取って式場に行かないと間に合わないという状況は事前に言ってたけどそんなのは通っているわけもなく、仕立て屋のおばちゃんは釈然と、というか結構機嫌よく、家の前を掃除していた。

それにしてもこっちの人はほんとによく道とか庭を掃いている。

だからなんだかんだきれい?みたいなゾーンが割とある。葉っぱとかも全くないような。
でもちょっと端はごみだらけ、という感じ。
かといって自分のとこだけを掃除するというわけでは無く、自分の家の前の道とかは掃除する、くらいのパブリック意識。

朝、玄関の前をほうきで十分に掃いた後は、チョークを使って玄関の前に花のような幾何学模様を描く。時にカラフルな粉や花も使う。
この模様を描くのは、この家はきちんと整頓していて、あなたを迎える準備が完了してますよ、という意味らしい。
とってもかわいい。これは毎日の日課。

なんかやっぱり、美?装飾?への意識みたいなのが高い気がする。
かといって誰かのためにしてるとかいうわけでもない感じがある。
自分が楽しいから、みたいな。
それがとてもいい。

朝の気持ちが反映される、玄関前のウェルカムイラスト

で、朝の掃除を機嫌よくやっている仕立てやさんに、差額分の返金とブラウスの受け渡しをお願いした。でも聞こえていないようなふりをする。

遅刻しそうというのもあって、さすがにちょっと苛立ちながら大きな声で呼びかけていると、掃除をしながら段々あちらもいらいらしてくる。
いらいらしつうt私達を8割くらい無視しながら描いた玄関の絵は、笑ってしまうほど雑で、普段の玄関前の絵と比べると芸大生と幼稚園児くらいの差があり、私はなんかもうこの時点でかなりこの目の前のおばちゃんが愛しくなってしまった。

それぞれの家の人の朝の調子がこの玄関前の絵の描かれ方に出ていると思ったらすごいおもしろい。
なんかインクルーシブな組織とかが、朝礼とかにチェックインとして今日の体調を色とか数字で表すのがあるけど、こういうスタイルでその人のゆらぎを読み取るというのもアリだなあと思った。日課ってそういう意味で面白い。

心が荒んでいるバージョン。
普段、というか普通のこのイラストは、なんかみんな機械でも使ってるのかな?というくらいほんとにきっちりとした華やかな幾何学模様。

インド人はよく床を掃くからこそ、ゴミ箱にごみを捨てないのでは?と思ったりした。
後で掃いてまとめるんだから、逐一ひとつの箱に入れることって無駄な労力じゃない?みたいな。

自分が当たり前だと思ってることからの逸脱も、やっぱり結局は全然おかしくないんだろうなあ、とか。

そんなこんなで結局出るべき時間までにブラウスは完成しなかったので、ホックが2個くらいしかついてない未完の状態のブラウスを持って式場に向かった。

初サリー

サリーは、ほんとブラウス以外はただただ布。
ただ、想像の3倍くらい安全ピンが使われている。
なにか技法があるというよりは、ひたすらに安全ピン、安全ピン、そしてそれに次ぐ安全ピン、という感じ。
昔はそんなこと無かったのか、どうなのか。

親戚のおばちゃんに着せてもらった。

そんなこんなでこの日はサリー。

この日の儀式はとにかく、ここ3日で最高のカオスを極めていた。
行き当たりばったりというか、なんというか。
でも神父が来ていて何かしらの秩序みたいなものはあるっぽいけど傍目に見る分にはひたすらに混沌としている。

味噌みたいなのを塗ったはっぱを頭につける、というこのシーンこそが結婚式全体の一番の盛り上がりどころらしい。神父はなんかやたらスマートなナイスガイで、わたしは「ミャオ」と呼ばれながらなんかちびっことあそぶようによく声をかけてもらっていた。
スーパーの袋みたいなのから必要なものを出し、その場でビニールの包装を開封する、みたいなテンション。

みんな、神父による儀式が行われているステージにすごい集まるんだけど、集まっておきながら、
人がぎゅうぎゅうの市場にいるのと同じくらいのボリュームと頻度でなんかあんまり関係なさそうなことをしゃべる。
新郎新婦に0.5メートルもないくらいの距離にいる人たちも、人をまたいでひたすら喋る。というか叫ぶ。

まあこの混沌を目の前にぼーっとした頭をこれでクールダウンしなよ、とでも言わんばかりにみんなに配られる、謎のスースーした匂いのする薔薇のおもちゃ(棒)。特に用途はない。
米は、祈祷みたいなときに投げる。

かと思いきや急に人が散り、新郎新婦と神父あたりのみが残されて儀式はまだまだ続く。

別に神聖なやつだから新郎新婦だけで、というわけでもない。
ふつうにステージ上、すぐそばのベンチに座ってほうづえつきながらまじまじ眺めててもオッケー。

パフォーマンスとしての結婚式

この混沌とした儀式を横目に、またいろんな人と話した。
結婚式という儀式の一連についての話も多くした(儀式のそばで話しすぎてるのをつっこみながら私も結局結構しゃべった)。

この結婚式は一種の劇、来てくれる人を楽しませるためのパフォーマンスであり、そのストーリーは以下のようなものであるという。

まず、男性は修行僧として、悟りを目指して生きている。
そんな生き方をする中で、女と連れ添うという選択肢は自分の人間としての堕落を意味する。だからこそ男は結婚を否定し、結婚を迫る女性から逃げる。
いろんな手を使って男を結婚に導く、というのがほとんどすべての儀式の趣旨らしい。
で、最終的には男は折れて結婚をする、と。

あくまで物語である、というこの人たちの主張はこの数日間でわかったからこそ、なるほど~へ~という気分だった。

あとは、感謝のことばをそんなに言うのは失礼(?)、というのを同世代の女の子に指摘されたのも印象的だった。

なんか囲まれてる私。

最終日の3日目は、なんか拍子抜けするほどあっけなく終わり、夕方になる前には解散となった。
儀式中に話しまくったことやこの3日間人に囲まれ続けたこともあって、最後解散前あまり人の中に積極的にいられなかったことは少し悔やまれる。
全く知らない、急に現れた謎の私たちに対して、ほんとうのファミリーのように接してくれて、なんかほんとにあたたかくやさしい人たちだった。

ホテルまで送ってくれた車の中でスラッダーたちと話してて、ジャパンにも田舎があり、そんな田舎の中でも一緒に旅してたありまりさんが今住んでいる岩手がどういうとこか、みたいな話で津波のことを話してた。
津波がないあなたの国が羨ましい、とあんまり知らずにあんまり考えずに言ったが、すぐに、インドも津波でおおきく被災した地域がある、ということを教えてもらった。

無知のまま決めつけることってこわすぎる、と思った。
心から自分のしょうもなさを恥じた。

スマトラ沖地震。
まさに、私たちがこの数日間を過ごしたインド・タミルナドゥ州の沿岸は、スマトラ沖地震の津波で大きな被害が生じたところだった。

電車でたまたま出会い、再会し、3日間をその親戚たちも含めてずっと一緒に過ごしたスラッダーたちと、別れた。

ティルパティのまちへ

その後、朝に返金を失念した仕立て屋へ。

正直どうしても返金してほしいわけじゃなかったが、なんと私とありまりさんのブラウスがサイズを反対につくっていたことが判明(ありまりさんのブラウスが、私のサイズでつくられていた)し、かつスラッダーにもちゃんと完成させて返金してもらいなさいよと強く言われたので、行くしかないという感じだった。

自分の本当の怒りの気持ちから来ているというよりは、ほとんどエンタメのような気分で交渉に向かった。
きっと向こう側も同じくらい演じていると思った。一緒にエチュードやるかあ、みたいなテンションだった。

基本的に向こう(仕立てや)は、しつこく来て謂れのないことを浴びせられてなんなんだこれは、みたいな様子(を演じている)。
不愛想に、迷惑そうに自分の作業(当分片づけてなかったでしょみたいな散らかり放題のお店を、さも日課のような顔をしながら片づけたり)を続けている。

こっちはこっちで、仕立て費用を大幅にぼったくられて、怒りをあらわにお店にのりこんでいる(という演技をしている)。

聞こえませんみたいなふうを装っているので大声で、そしてこのおばちゃんは英語はほとんどわからない(という演技をしている)のでもうあきらめてこちらは日本語、あちらはタミル語で騒いでいる。

途中、仕立て屋の前にある、私たちが宿泊しているところのオーナーの兄さんが私達の居るお店の前に来て、なだめるような表情で「India」とだけ言って、ゆっくりと間を取りながらまた宿のほうに帰って行った。
ここはインドなんだから、そのくらいはしょうがないよ、ということなのかどうなのか。(ちなみにこの兄さんじゃないほうの若いスタッフに、仕立て屋に一緒にお願いしに行ってよ~と言ったら、通じず、自分は今食べてる、みたいなことをさわやかに主張されるだけに終わった。チャラチャラして楽しそうに生きてそうに見える人。)

そんな、傍の通行人たちも私たちのことが気になるくらい、ちょっと疲れるくらいの嫌悪感をお互いに込めた喧噪の中、ブラウスのサイズが私とありまりさんで反対につくられていてるというのについて、ちゃんと見たらあからさまに小さいし大きいやん、みたいなことをありまりさんがジェスチャーで指し示しながら日本語で言うと、それをまじまじと見たおばさんは柔らかに、でも絶対的な存在感をもって「ふふっっっ」と笑った。
その場の緊張状態がその笑いで一気に溶け、私達もなんか笑って、和気あいあいとした空間が一瞬こしらえられた。なんか、その雰囲気があまりにも良くて、仲間やん、とさえ思った。

これはついにあちら側が非を認めてくれるという流れに入ったか?と思ったのもつかの間、すぐにまた元の、お互いの強い主張、睨み合ってるような空間ができていた。

途中その仕立て屋の娘がやってきた。この娘は母よりは英語が話せる。高校生くらい。
この親子関係、この母がこのような欺瞞的な働き方(インド人はそういうもの、みたいな表現が他の人によってされていたりするが、私は別にインド人の多くがこういう感じとは全く感じなかった。)をしていることからも推測できるように、娘は結構大変そうに見えた。

どこかからお店に帰ってきた娘は、その母親に暴言っぽいことを色々投げかけられながら、お店の仕事であろうボタン付けを店の前の段差みたいなのに腰かけて、やっていた。
被服学校に通っているらしい。母親に似たところも若干見受けられるが、なんだかやっぱり若い分澄んでいて、やさしくかわいい。

英語とタミル語の通訳をお願いしては母親に私達も含めてまるごと怒鳴られたりしつつ、
そんな娘と話しながらこの母娘を見ていると、なんだか娘への同情心が湧いた。
あなたは、この母親とは違う人間に十分なれるんだよ、この母親の言葉は全くもって全てじゃないよ、みたいなことを、謎のテンションで説いていた。

見ず知らずの女性に対しても姉妹的親密さを抱いて踏み込んでいくという、南インド女性のシスターフッド感が 知らず知らずのうちに自分の中にも染みたのかもしれない。

再度母親に対してしつこく交渉した結果、数時間もらえば 完了していなかったボタンの取り付けとステッチは終わらせるから、また夜に来て、とのことで合意した。

交渉の途中、こうして激しく批判・要求するのではなく、相手の大変さを理解し、でもそこで為された不十分な仕事に対しては残念さを感じたということを示した上で、その人の根本にある善良さみたいなものを透かし見て、私はあなたができるということを知っています。というのを伝えてみるのはどうだろう?ということになり、試してみた。
その場における効果はわりと絶大で、おばちゃんは一気に物腰穏やかな感じになって、我々はピースフルな気持ちになりながら、一旦その仕立て屋を離れ、ティルパティの中心市街地へ向かった。

宝石箱のようなお菓子屋さん

その後、結婚式1日目の準備のときに少し寄ってたらふく試食させてもらったお菓子屋さんへ。
ありまりさんは、職場へのおみやげを選んでいた。その選定作業の中でもう膨大に、ひたすら出てくる試食。おこぼれを貰い続けていた。

途中からは目線の置き方とかで狙いの試食を貰えるようなスキルを身に付けつつあった。

ここのお菓子屋さんは、私達にはこうして大量の試食をくれるが、他の旅行客には対して渡していない。
日本人のみにこんなことをしているっぽくて、一回試食をあげたら申し訳なくてなにかしら買わずには出られないという日本人の性質を見破られているようだった。

インドのお菓子はなんかどれも基本小さくてカラフルで、いろんなのを少しずつ食べられるのが楽しい。とはいえとにかく甘いから結局そんなに量は食べられない。

1日目に体験してすっかり興味を持ってしまったヘナタトゥーの材料を買いに、駅の近くのファンシーショップへ。

排気ガスに満ち満ちた道路を30分程、妥当に喉を傷めつつ歩いた。コロナでなくてもマスクをつけるここの人たちのことを理解した。
ティルパティ名物の、山の上にある神社?への深夜バスがたくさん止まっていた。

お目当てのヘナタトゥーやなんか安くてかわいかったピアスや、インドの女性がみんなつけてる額に貼る小さいキラキラのシールとかを買った。

鼻ピアス開けたい。
ここで出会う女性たち、高齢の人たちも含めて結構みんな鼻ピアスをしている。

実はあなたに Jitsuwa anata ni

道中、路上でペットボトルに入った砂みたいな草みたいなのを売っている女性がいて、それが何なのかがなんかすごく気になり、聞いてみたけど英語は話せず、google翻訳を使ってコミュニケーションをとってみたが難しく、理解することはあきらめてにこにこした。

その女性とは愛想よく別れ、隣のジュース屋さんでジュースを飲んでいるとその砂を売ってる女性がこちらに駆けてきて、なにかしらを伝えようとしている(タミル語)。

google翻訳を再び引っ張り出してきて喋ってもらうと、まず初めに翻訳されたのがこちら、「実はあなたに」。

なかなかどきどきする語感である。

なんだなんだ、と、次の言葉を期待と緊張を織り交ぜながら待っていると、
「この街であなたのために」
「この街を知る方法がここにあります」
とのことだった。

あんまりわからず、ちょっとがんばってみたけどやっぱり通じなかったので、再度にこにこした。

最終にこにこと写真とった。
なんかでも通じ合った。

怒られないことが奇跡、みたいなスーパー

その後、歩いてて見つけたスーパーに入った。

ひやかし程度に気軽に入った我々のテンションなど関係なく、そのセキュリティシステムはかなり厳重で、まず入口で専用の鍵付きバッグ(店員さん以外は開けられない)に荷物を入れさせられ、なんか身体スキャンみたいなのをした後、やっと入れる。ちなみに撮影は不可。
物珍しさに記録写真を撮ろうとしたらすごい剣幕で怒られ、どきどきした。

スパイスがスーパーの面積の25%くらいを占めているような気がした。量り売りスタイル。でもまあもちろん目的はゼロウェイストとかではないので、普通に使い捨てのビニール袋に入れて購入。

あと、ここでもやっぱりお酒は販売してなかったけど、代わりに異常に高価格のノンアルコールビールが売られていた。
何も買わずには出られない感じだったので、ジュースだけを買って出た。

ちなみにお酒が買いたい人はこういう格子の境界を介した取引所(違法ではない)で調達する。
ヤミっぽくて楽しそうではある。夜遅くに歩いてる女性は全然いないので、とてもじろじろ見られる。それくらいの夜になると、お酒を飲んでいる人たちの姿も結構見受けられる。

その後、途中のお菓子屋さんでなんかコーンスナックみたいなのを買ったりしつつ、再度例の仕立て屋へ。

さっきあんなに雰囲気のいい約束をして別れたにも関わらず、店の扉も自宅の扉も、無残なまでにぴったりがっしり閉ざされていた。

ああ、なんかやっぱり世界も人も、わかりやすい美しさだけじゃないなあって思いながらも、まあそんなもんか、と綽綽とすぐ近くのホテルの部屋に戻った。

ティルパティ市街地は割と雑然としている

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