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富士山に登った

富士山に登った。登ると思ってなかったし、登れると思ってなかったから、剣ヶ峰に登頂したときはとても不思議な気分だった。一生に一回のことだろうから、忘れないうちに記録しておこうと思う。

富士山に登ろうと思ったきっかけ

私は登山歴3年くらいだが、登山が趣味ですと言うとよく聞かれること第一位が「富士山は登らないの?」だ。でも富士山には登る気が全くなかった。それは道に魅力がないのと、高山病が怖いからだった。そもそも私が登山が好きなのは森が好きだからだし、スポーツ経験もなく大学生のときに肺活量が80代並みと診断された私には高山は無理だと思っていた。

それなのに今回富士山に登ることにしたのは、自分を過小評価しがちな親友が富士山に登ってよかったと言ったことがきっかけだ。「富士山はどこからでも見えるでしょう?見るたびにああ私はあそこに登ったんだなあって自己肯定感が高まるの」と言うのを聞いて、なるほど確かに見るたびに思い出せるのはいいかもしれないな、と富士登山を決意した。そうと決まれば外国人観光客が少ない今のうちがいいだろうと、さっさと行くことにした。今年の冬のことだった。

1日目、登り(山小屋まで)

8月5日、新宿から富士スバルライン五合目までバスで行って、靴を履き替えたりおにぎりを食べたりして時間を潰した。高山病対策として、高地順応の時間を設けるといいらしい。五合目はとても栄えていて、観光地らしさが漂っていて、少し肌寒く、階段を数段上ると息が切れるくらい酸素が薄かった。

歩き出してすぐに協力金として1000円払うように言われた。続いて、山小屋は予約したか、高地順応の時間は取ったか、水は十分持っているか、6時間くらいかけてゆっくり歩け、山小屋ではごはん食べてすぐ寝るな、など色々言われて地図や注意事項が書いてある冊子を渡された。かなり調べて臨んだつもりだったのに知らないことがいっぱいあって、とても不安になったのを覚えている。私はとにかく高山病が怖かったので、言われた通りゆっくりゆっくり、5時間くらいの道のりだけどたっぷり6時間かけて歩こうとした。道は五合目ですでに溶岩系の小石がごろごろしているザレ場(登山用語。小石や砂を敷いたような場所)で、面白い道ではなかった。

五合目付近

六合目を超えると霧も出てきた。
変わらず何も面白くない道を歩く。

六合目付近

七合目からは山小屋が出てくる。富士山は全山小屋が有料トイレ・売店の役割も担っている。さすがの山価格で、ペットボトルは1本500円、カップヌードルは1個600円だった。それ以外にもクリームパン、おにぎり、魚肉ソーセージ、たまごスープ、おしるこなんかが売っていた。これがまた登山者が「今まさにそれがほしかった!」と唸ってしまうようなラインナップで、前述のものは全て私が購入したものである。これだけで2000円近く使っている。いちばん美味しかったのは魚肉ソーセージで、この世のものとは思えないほど美味しかった。ちなみに1本160円、これが安く思えてしまう山マジック。

七合目トモエ館のクリームパン

しかし楽しいばかりではなく、七合目頃になると空気も薄いのかかすかに頭が痛くなりはじめていた。高山病が何より怖かった私はとても不安になって、一歩ごとに深呼吸をしていた。
さらに七合目付近からは岩場が出てきて、滑落の恐怖も相まってずっと不安な気持ちで登っていた。写真は天気がいいので気持ちよさそうだが。

七合目付近

私たちは男性2人、女性3人のグループで登っていたのだが、女性陣は全員頭痛を訴えていた。こんな時のために!とわざわざ持ってきた酸素缶を取り出して吸おうとしたら、通りすがりのおじさんに話しかけられた。「だめだよまだ七合目だよ!?ここは全然酸素濃いんだから。こういうのはもっと頂上近くなってから使わないと。」それで私たちは酸素缶を使うのをやめてしまった。あのとき使っていれば二人は高山病にならなかったかもしれないのに…。今でも悔やまれる。

だってもうこんなに高いところにいた

八合目に差しかかると、道は再び面白くもないザレ場に戻っていた。そして私たちの前後を歩く登山者が山小屋にどんどん吸い込まれどんどん減っていった。みんな本日のゴールである宿に到着したのだ。私たちの山小屋は8.5合目、最も山頂に近い「御来光館」だったから、まだあと200mも登らなくてはいけなかった。ここまで登ったのは900m。既にスタートから6時間が経過していた。

月も出てきた。私たちの宿はまだ見えない

もうガッツリ寒かったのでたまごスープで乾杯して、フリースを着込んで一歩一歩登っていった。この時間帯がいちばんきつかった。山小屋の夕食の時間に間に合うのか?どんどん暗くなって寒くなるけどいつ着くのか?もう疲労も限界だけど呼吸は足りてるんだろうか?不安と恐怖と疲労でもう何も考えられなくなって、「歩いていれば着く、歩いていればいつか着く」とうわごとのように繰り返していた。同行者は怖かったと思う。次第にそれらも考えられなくなって、歩数をひたすら数えていた。しかも10らへんになるともう分からなくなるので、1〜8くらいを意味もなく数え続けた。

御来光館のひとつ手前の山小屋で400円のおしるこを飲んで、御来光館がようやく見えて、心底ほっとした。その頃にはヘッドランプを点けないと足元が見えなくなっていた。十数歩ごとに立ち止まって深呼吸しながら、なんとか御来光館に辿り着いた。時刻は19:30、スタートから実に7時間半かかったことになる。

モザイク必要か怪しいほどに真っ暗

山小屋は思った以上に簡素で、カーテンで区切られたシングル布団が割り当てられ、着替えは物置でする感じだった。夕食はサバの味噌煮だった。写真じゃ絶対に伝わらないが、サバもごはんも味噌汁もあったかくて本当においしかった。

これだけfoodieとか使うのも変なのでこのまま載せる

女性同行者の一人が吐き、もう一人が頭痛を訴え始めた。そしてあんなに「山小屋ではごはん食べてすぐ寝るな、高山病になるぞ」と言われたのに到着が遅すぎて食後着替えたらすぐに消灯時間になってしまった。もう布団に入ってるのに今更「高山病対策 山小屋」とかで検索しはじめた。眠ってる間は意識して呼吸できないから呼吸が浅くなり高山病が悪化しやすいらしい。怖すぎる。でも疲労が限界に来ていたので割とすぐ寝てしまった。その後、1時間おきくらいに目が覚め、深呼吸をして寝返りを打って、また1時間眠る、そんな睡眠を繰り返した。

ご来光は頂上で見る、というイメージが根強い。御来光館はその名の通りご来光目的の宿泊客が多く、4時台の日の出に間に合うよう多くの客が2時頃にバタバタと出発していった。私たちははなからそんなのは諦め、山小屋で見ようと決めていた。4:20頃目が覚めてなんとなく嫌な予感がして外に出ると、もう空が明るくなりはじめていた。

8/6 4:24 御来光館にて

急いで同行者たちを起こして、空を見た。真っ暗なところから徐々に明るくなるところを見るのがご来光だと思ってたので私はちょっとがっかりしていたのだが、みんなは ご来光=太陽が顔を出すこと と解釈していたようでワクワクしていたので何も言わなかった。ここまで登ってきた5人全員で日の出を待つ時間はなんとも形容しがたいほど貴重で、静かで、美しかった。私はご来光と聞いたら空ではなくて、朝日に照らされたみんなの横顔を思い出すんだろうなと思う。

ついにご来光。見事な雲海


2日目、登り(山小屋〜頂上)と下り

昨日頭痛を訴えた同行者は夜中に悪化したらしく、結局頂上へは男性2人と私で行くことになった。私はというと、前日の頭痛も消え、筋肉痛もなく、昨夜の弱音が嘘のように元気だった。
御来光館から頂上は90分程度の道のり。さすが山頂に最も近い山小屋だけあって、スタートしてすぐに頂上にある鳥居が見えた。たっぷり休んで元気になった私たちにはあっという間で、1時間くらいで頂上に着いた。3人でせーので鳥居をくぐるという、ちょっと青春みたいなことをした。

ようやく到着

山頂には神社があって、富士山頂限定のお守りやら御朱印帳やらをそれぞれ買って浮かれてた。おみくじも引いた。大吉だった。新婚の同行者は「家庭内で不和あり。特に男女のことに気をつけるべし」とかなんとか書かれててめちゃくちゃ焦ってて愉快だった。
そこでようやく気づいたのだが、ここは富士山頂ではあるものの日本最高地点3776m(剣ヶ峰山頂)ではなく、剣ヶ峰に行くには山頂をぐるっと一周、約1.5〜2時間の道を歩く必要があるらしい。これをお鉢巡りという。

富士山頂はいかにも活火山の噴火口という感じで地層が剥き出しになってたりデカい火山岩がゴロゴロしていたりして、富士登山道中で最も面白い道だった。

地層LOVE

剣ヶ峰山頂が近づいてきたとき、私たちの前を歩いていた若い女性二人組が「まさか本当に登れるとは思ってなかった、ウケんね」みたいなことを話していた。まじでそれな。運動経験もなくてずっと文化系の趣味しかなかった私が社会人になって登山にハマり、まさか富士山に登るとは。昨日はもう軽く絶望してたけど、こんな元気に登頂できるとは…。感慨深くてジーンとしてる私をよそに元サッカー部と元フェンシング部の同行者は他の登山客の写真を撮ってあげていた。

登頂〜!

さてここから下山である。私は登山が趣味だが下山は基本的に嫌いで、ロープウェイがあったら下りは嬉々としてそれに乗るタイプの登山者だ。当然富士山にそんなものはないので自分の足で下りていくしかない。実に4時間半の道のりとなる。
ここでヤバいことに気がつく。現在9:30、バスの時間は14:30、昨日は6時間の道のりを7時間かけて歩いた私たち……。3人で青ざめて、山頂で食べる予定だったカップヌードルは諦めて急いで下山することにした。

下山道は登山道に輪をかけて面白くない道で、さらに濃い霧が立ち込めて何も見えなくなった。ザレ場の下り坂を足を取られながら進むのは前腿と膝にめちゃくちゃ負担がかかるので、スピードを殺さないほうが楽かななどと考えてほとんど滑り落ちるように下山していった。

離脱していた同行者と合流

変わり映えしない景色のつづら折りをどんどん進む。下山道には山小屋もないのでチェックポイントがない。だんだん皆しんどくなってきたので七合目のトイレまであとどのくらいか数えてみた。つづら折りのギザギザ道が13往復だったので「あと13ギザだよ!」と伝えると、みんな「これで1ギザ?」「今3ギザってことは残り3/4か」「あと何ギザ?」とギザを当然のように単位として使ってくれてかなりLOVEだった。

その後チェックポイントでほぼゴールだと思ったらあと1時間くらい歩くことに気づいて絶望したりしたが、なんやかんやでスタート地点が近づいてきた。昨日の昼のことが遠い昔のようで、通ったはずの道なのに上手く思い出せない。やけに長く感じる旅だった、こんなの登るなんて全員酔狂だな、でもなんというか、もう登ってよかったななんて思い始めてる自分がいる……とか考えながら歩くには30分のザレ道は長すぎた。最後はもう全員ゼエゼエ言いながら昨日の出発地点、富士スバルライン五合目に到着した。

ちなみにバスの時間が怖くて大急ぎで下山したため、到着はなんと12:45だった。4時間半の道を実に3時間15分で下りてきたことになる。巻きすぎだ。汗だくの服を着替えて靴も楽なサンダルに履き替えて、みんなで優雅にカレーなんかを食べてたら、実はバスの時間は14:30ではなく14:00だったことが判明して結局走ったりなんかして、長い長い2日間の富士登山が終わった。

登ってみて

前述の通り、半年前まで富士山に登る気なんてさらさらなかったので、今でも登頂したことが信じられないような気持ちだ。やっぱり道は面白くなかったし高山病も怖かったし、歩いてる最中は富士登山者は全員バカだ、二度と登らないと強く思っていたのに、下山から3日経った今筋肉痛の残った身体でこのnoteを書きながら「登ってよかったな〜」なんて思い始めている。

登ってる最中同行者と「富士山登っていちばんよかったことは『富士山は登らないの?』って言われないことになるんじゃん?」などと談笑していたが、そんなもんは今となってはどうでもいい。普段の登山は道中こそ楽しく登頂はおまけ、みたいに思ってるが、富士登山は違った。道中、しつこいようだが本当に面白くない道を、不安に押し潰されそうになりながら進んだからこそ、登頂したときと下山したときの達成感はすごかった。なんというか、身体の底からじんわりと湧き上がってくるような。自分のことをもうちょっと信じてあげたくなるような。親友が言っていたのはこういうことだったのかもしれないな。「ああ、本当に富士山に登ったんだ」とこのnoteを書きながらも何度も噛み締めている。

悔やむのはやはり同行者の高山病だ。もっと早いバスにしたらよかったし、もっと低い山小屋にしたらよかったし、酸素缶だって迷わず使えばよかった。そうしたら防げたかと言われたらもちろん分からないけれど。
あ、でももし二人がリベンジしたいと言っても私は絶対に行かない。その場のノリで行ったりしたら登山口でめちゃくちゃ後悔するのが目に見えているのでちゃんと宣言しておいた。

5億年ボタンみたいなことになる

いまは富士山に登るつもりがない人も、ひょんなことから登ることになるかもしれない。そんな半年前の私みたいな人に向けてご丁寧にマニュアルまで作ってしまった。もしそうなったら(もしくは周りにそういうひとがいたら)こちらのnoteも参照してみてください。

さて登山が趣味ですと言うとよく聞かれること第一位が「富士山は登らないの?」だと前述したが、これは相手が非登山者の場合だ。登山者からの質問第一位は「アルプスはもう行った?」。次はアルプスにでも登ろうかな。

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