しげちゃんと私の話。
しげちゃんと私は、幼稚園の頃の友達。
6歳の誕生日に、しげちゃんから仔猫のぬいぐるみをもらった。それはそれは可愛くて、私のお気に入りになった。
でももう、しげちゃんはいない。
16歳の時に、バイクの事故でしげちゃんは旅立ったのだ。同じく16歳だった私にとって、かなり衝撃的なでき事だった。
小学校、中学校は学区の関係で私達は別々の学校に通っていた。
会う機会も減り、成長して思春期になり、時々地元でたまたま顔を合わせる事があっても、特に話すこともなくなった。自分の中で「あ、しげちゃんだ」と認識する程度。きっと、彼にとっても私はそんな感じだったのだろう。
高校生になり、バス停にいた時のこと。突然後ろから声をかけられた。
「〇〇さんだよね??俺、わかる??」
しげちゃんだ。
「うん、もちろん。しげちゃんだよね。」
ずいぶん久しぶり。まともに会話をするのは、10年ぶり近いだろう。
バスを待つ間、なんてことない会話を交わし、私が先にバスに乗った。「じゃあ、またね、声かけてくれてありがとう!」そう言って別れた。しげちゃんの姿が見えなくなるまで、私は彼の横顔を眺めていた。ただなんとなく。
次会ったら普通に話せるな、なんだか嬉しいな。そんな風に思いながらバスに揺られた。
その日から、1ヶ月たったか、たってないか‥その位の時にしげちゃんが死んだと聞いた。
「じゃぁまたね」は叶うことはなかった。
母と一緒に、しげちゃんのお宅にお線香をあげさせてもらいに行った時の、しげちゃんのお母さんの疲れたつくり笑顔が頭にこびりついる。
あのタイミングでしげちゃんに会えた。きっと必然だったのだろうと思う。きっと私達は縁があったのだろう。
だって。
6歳の時にしげちゃんからもらった仔猫のぬいぐるみ。今、アラフォーになった私のもとにまだいるのだ。今は、私の子供達がたまに引っ張りだしてきては遊んでいる。
なぜだか、処分してこなかった。ずっと。手放せなかった。しげちゃんが他界してからはもう尚更。形見になったしまったから。
しげちゃんとのこのでき事から、出会いは必然であり、一期一会、大切にしなくてはいけないなと強く思うようになった。
捨ててしまいたいような出会いも、生きていればもちろんあるけど。
でも、出会いはかならず、何かを教えてくれる。
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