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音楽に麻痺するということ

どうも、ハクダです。

3年振りにnoteを開いたら、全然書いた覚えのない記事が残っていて、当時の自分を懐かしく思うと同時に少しだけ恥ずかしさを覚えた

でも、自分が音楽に熱くなるっていう感情を、今よりももっと強く思っていたんだなって感じて、その記事は消さないで取っておく事にした

あんまりに暇だったら、好きなバンドに燃える若い大学生を覗き見するような感じで読んでいただければと思う

さて、前回の記事から3年経って、僕の周りの環境も、置かれた状況も、何もかもが大きく変わった

前回の記事を書いたあと、21年卒のはずだった僕は無事に留年を果たした
留年が決まり、同級生の卒業式を見届けたあと、4月に入ってすぐに、今のメンバーである土田からバンドをやろうと誘われた
当時は色々あったので、その色々が全部曲になってた
全部曲になったし、曲にしてうまく消化出来ていた
その後半年くらい経って、初めてサポートドラマーに出会って、ライブしながら音楽を続けてた
大学を1年半の留年の末に、昨年9月無事卒業
そこからはフリーターしながらバンド、バイトしてバンドってよくいる売れないバンドマンしてた

5月に沖縄でライブしたあたりから、バンドがどんどん良くなっていくのを感じた

そんな中、僕には悩みがあった

僕はライブ見たりあんまりしなくて、最近じゃ音楽もあんまり聞かなくなっていた
曲作りの方はというと
こういう音楽が必要だ、とか、こういうのは違うな、とか考えながらひたすら部屋で曲作ってばっかりいた

趣味でやってるバンドじゃないし、メンバー全員の人生を背負って曲を作ってるから、生半可なものは出せない

そんなことを続けているうちに、段々と、着実に


音楽を素直に聴いて心で受け止めるってことが出来なくなってた


そうなってみると、ピンとくる曲も全然作れなくなった
いわば、整形外科医が患者の胸や性器に興奮しないのと同じように、音楽っていうものを分解して、分析して、頭で考えすぎて、麻痺してしまって心動かされることが出来なくなってしまったみたいだ

不思議なもんで、人の曲聴いて感動したりカッコイイと思ったり好きだって感じたりしなくなると、自分でもどんな曲作ればいいかわからなくなるんですよ
というか、どんな曲作ればいいか、なんて考えなきゃいけなくなってしまって
それ自体は必要なことだと思うけど、なんというか、商業的にドライに作るのも、芸術的にエモーショナルに作るのも、どっちも出来なくなっていた
中学生の時から曲を作り続けてきて、コツコツ積み上げてきたスキルが、全部見えなくなって
初めてのスランプに陥った

そんな中、7月8月はいい事も沢山あった
山中湖の大きなステージで芝生に向かって演奏したり、対バン相手と仲良くなって打ち上げでセッションしたり、良くしてもらっている先輩のライブを見たり、曲作り以外の部分で、必死で音楽に、バンドにアプローチした
寝不足になりながら毎晩のようにバンドメンバーと話した
懐かしい音楽について共有したり、語らい合ったりもした

すると、不思議なことに聴かなくなってしまった、好きだった音楽が、久しぶりに心に染みた
ものすごく疲れた日の夜、本当に久しぶりに聴くアルバムが、癒やしや慰めのように感じた
麻痺していた感情が刺激されて、こんな長文をものすごい勢いで書くほどに、驚きだった

初心忘るべからずとはこのことか、と合点がいくような感覚
音楽に力があるとか、音楽に救われたとか、正直信じてこなかったというか忘れてしまっていたけど
音楽に救われることってやっぱりあるんだなって思った
音楽っていうものを始めて、本気になって、悩んで、立ち止まって考えていたせいで、大事なことを全部忘れて来てしまっていたって気づいた

だから次は僕が音楽で誰かを救う番なのかもしれない
一緒にバンドの看板背負ってるメンバーや、応援してくれる人たち、そんな人たちの期待に応えたい
今、初めて心に生まれた気持ちを、少しずつ曲にできたら、また前みたいにカッコいい曲いっぱいかけるかな

疲れたから今日はもう寝る
明日は今日よりマシな一日にしたい

読んでいただいてありがとうございました

ハクダ(Near Bye 254)

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