ある日の気づき(真面目ver)

テニスを通じていろんな国の人に出会う。
試合はもちろん、コーチをしているからこそ出会える人たちもいる。

昨日、一昨日は香港から旅行中の家族のレッスン。
10歳と7歳くらいの姉妹。
お姉ちゃんはシャイで完璧主義傾向、妹はおちゃらけタイプ。笑

お姉ちゃんをみていると自分の幼少期を思い出したからか、今朝ふと頭によぎったことがある。

テニスが人生の全てだった子供時代。もちろん学校も他の習い事もあったが
まだまだ狭い世界で生きてた私からしたらテニスのことくらいしかほぼ覚えていない。

そしてそのテニスで覚えているのは、
・コーチが怖かったこと
・レッスンに遅れてはいけないという強い思い
・↑これからの学校での周りの準備の遅さへのイライラ
・強いお姉さんたちの中に入れてもらえてすごく楽しかったこと
・試合で負けたら帰りの車の中で怒られたこと
・勝ったらどんな内容の試合でも親の機嫌がよかったこと
・以前勝った相手に負けることは絶対に許せなかったこと
・気づけば怒られないことが一番の目標になっていたこと

絶対もっと楽しかったこともあるはずなのに、強い人たちの中に入れてもらうことしか楽しかった記憶が残っていない。
小さい頃は試合に行くのは楽しかったはずだが、後半は試合は嫌いだったと思う。怒られるから。
5年生で出た初めての全国大会はままと2人で千葉に行って、6位に入賞できて、すごく楽しかった。
6年生の全小はベスト16で負けて怒られた記憶しかない。何県かもわからない。
また、その過程として、これができるようになった、とかそういうのが全く思い出せない。
コーチがめちゃくちゃ怖かったから、
怒られないように言われた通りにやるので精一杯で、
良くも悪くも気づけば打てるようになっていた。
そして怒られたくないから言われた通りやっていたらある程度勝てるようになり、
勝てると怒られなかったので勝つことだけに執着するようになった。

当時の私は超典型的なよくできるお姉ちゃん。
テニスでも学校でも成績が良いと褒められる=価値のある私。愛される私
負けると怒られる、褒められない=価値がない私。ダメな自分。愛されない
みたいな想いが気づかないうちに刷り込まれていた。

勝つことで親からもコーチからも怒られないように
=愛されていないと感じないように
自分を守っていたんだと思う。

だからこそ結果を出すことに必死で、強かった。

でもこんなメンタル状態でどれだけ成績が出ても自分に自信がつくわけもなく、
目標を達成してももっともっとになる一方。

結果バーンアウト。


こういうのって、誰が悪いわけでもない。
同じ状況にいたとしても100人いたら100人違う感じ方をする。
でも私はこう感じていたし、
幼稚園頃までは超ままっ子だったにも関わらず、
小学生途中くらいからは
「私はお姉ちゃんだしもう○年生なんやから常に強くいないといけない」
と思っていた。
気づかないうちに親にも自分の弱さを見せられなくなっていて、
なんなら親からも自分を守っていた。

そして幼少期からの蓄積はどうしても心の奥底にずっとあるから
ちゃんと向き合って癒してあげないと、その思い込みは残ったまま。

でもこういうことに気づけて、そう感じていた自分を許して受け入れ始めたことが癒しの第一ステップ。
私の両親はすごくいい両親で、愛情深い人たちなのもわかっているし仲が良いからこそ、
こういう感情に気づいていてもそれを認めることがなかなかできなかった。
両親を悪く言っているように感じてたから。
これが分かりやすくやばい親だったり、仲が悪かったらある意味認めやすかったと思う(また別の問題があったと思うけど)

でもだからといって私が感じていたことを否定し続けてきた今までは、
自分が自分の気持ちに正直でいることを否定していると同じこと。
これでは心の傷は癒えることはないし、
本当の意味での幸せも愛も手に入れることはできない。

だからこそ、
こういう気づきを与えてくれるコーチという仕事にはすごく感謝してる。
し、
同じように感じてる子供たちがいたらどんな結果でも何をしていても愛されているということを伝えられる人になりたい。
し、
きっと同じような葛藤を抱えている人がいたら一緒にこのトラウマを癒していきたい。


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