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#72 限界に気づく時がある、でもそこでは潰れない

いまだによくドラマや映画の中でこんなセリフを耳にする。

努力は裏切らない。
夢を持ち続けたらなんだって叶う。

こんなセリフが世に出回ってから、この言葉の呪縛に苦しめられたり、正しい努力と間違った努力と区別するような言葉が出てくるようになった。

ほとんどの努力は報われない。
残念なことに結果も出ないことの方が多い。

これは僕の体験から感じ取ったことだ。
4浪もしてなぜ地方の国立止まりなんだと思う方もいるでしょう。

浪人の初めは僕も当然一年で終わるものだと思っていた。
なんなら旧帝国大学の医学部にだって入れると思っていた。

でも2浪目かな。

どうあがいてもそこに到達できない現実に気づいてしまった。

やったことがある人にはわかると思うが、僕には東大の理Ⅲになど天地がひっくり返っても無理だった。

受験勉強というカテゴリーにおいて、僕の限界は地方国立大の医学部

それに気づいて僕は受け入れたし、親もそれに関して口を出すこともなく非常に理解があった。

夢でも目標でも自分の限界に自分で気づいてしまうことが一番精神的に苦しい。

そこを目指して努めて来たことが無駄のように感じる瞬間があるからだ。

僕はこの限界に気づいたのは実は2回目だ。
だから、落ち着いていたというか冷静にいられたのかもしれない。

1度目は高3の全国国体の時だ。
僕は関東の一部のチームから、特待で誘いがあり揺れていた。

ようやく自分のテニスが評価されて嬉しい気持ちがあった反面、テニスで大学に行きその後生きて行くことに18歳ながらも不安があったからだ。

国体は3回戦で負けべすと16止まりだったが、ちょうどその時プロのジャパンオープンが東京で開催されており負けたし今後のためにも見に行こうと軽い気持ちで見に行った。

プロではやっていけない。

これが試合を見終わっての感想だ。
プロになり、活躍するんだという覚悟があれば試合を見てワクワクしたかもしれない。

見終わった後電車の中で、自然とここまでのテニス人生の総括のようなものができていた。
もちろん、テニスを続けてもっと上に行きたいという気持ちもあったが、その気づいてしまった限界を振り払うほどの熱いものは僕にはなかった。

自分が進もうとした世界との差に愕然としながらも、ここで何もしなければ僕はただの夢破れた人で終わってしまう。
そう当時のテニスノートの最後のページに書いてあった。

本当の限界に気づいたら、僕は受け入れる。
受け入れて自分がより輝けるようなステージを自分で作る。

18歳ながらこの選択ができた自分は冷めているなあと思いつつも、尊敬している。

その後選んだステージで地獄を見ることになるが、それも僕の人生をより面白いものにしてくれた。

自分の限界に気づくのはもちろん苦しい。
限界に気づくということは、できると心底思っていたのにできないことに気づいてしまうことだからだ。
しかし、そこにとどまっていることは今後もっと自分を苦しめることになる。


だから、限界に気づくことは悪いことなんかではないしむしろこれからワクワクすることを探すチャンスなんだと思う。

新しいことにチャレンジしてみて、あとで振り返ったときに今の方が立派になったと言えるように僕はなりたい。
だからそのためにできることはなんでもやる。

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