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#221 続・何と戦っているんですか?

 以前の記事で、「戦時の生産力を測るための指標であるGDPを未だに追い求める行為が継続する理由は、世界大戦が形を変えて継続しているから」だと考えてみた。

 その後の記事で、「日本には、自国民に対して『働け!』と強く要求する、自国(政府)第一主義が存在する」ことを書いてみた。

 読み返してみると、この記事でわたしが言いたかったことはなんとなく、ジョージ・オーウェルが『一九八四年』で言ってたことに近いかもな、という気がしてきた。

現在の戦争とは、支配集団が自国民に対して仕掛けるものであり、戦争の目的は、領土の征服やその阻止ではなく、社会構造をそっくりそのまま保つことにある。

一九八四年』より

 現在の日本は経済発展の時代ではなく、いかに混乱なく縮小していくか?という時代ではないかと思う。人口が1億人を割っても、そんなに気にすることはないだろう。これまでがむしろ、多すぎたのかもしれないのだ。ドイツやイギリスだって、1億人もいないじゃん。

 更に言えば、心配したところでどうにもならんのだ。現在の国家運営が指標(GDP)からして幸福を勘定に入れてはいないし、自国(政府)第一主義による舵取りはことごとくズレている。

 例えば、夫婦別姓や同性婚に対して政府が「伝統的な家族制度が云々…」と言っているのは、そのような思想を持つ票田があるからだ。平民の名字など明治以降のものでしかなく、衆道は武士のたしなみだったのだが。

 このような、選挙が絡むことによるズレがあったり、外交関係と国家安全保障に原因があるもの、他にもきっといろいろとしがらみがあることだろう。だからきっと、「優れた総理大臣が登場してトップダウン的にいろいろ解決してくれる」ことなど無いし、そもそも為政者にあまり権力を与えてはならないので、支持率なんて適当に低い方がいいのだ。

 やはり、政府が信頼できるというか、納得できる結果になるのはハイレベルな民主主義ができたときじゃないかな。とりあえず、組織票は禁止だ。自由投票、秘密投票を守らねばならない。「◯◯さんに投票お願いします」も「応援よろしくお願いします」も、公職選挙法違反でいいよ。しょっぴけ。

 あとは投票しない人への罰金制度だな。罰金のあるオーストラリアの投票率は90パーセントを超える。日本の政治はいつも投票率が低くて「ほんとうの民意か?」という説得力に欠ける。国民国家としては由々しきことだが、みんながみんな投票に来てしまったら組織票の威力が弱まる。公明党なんて、ほとんど当選できないんじゃないかな。だから為政者にとって都合が悪く、そのような改善が行われることもない。

 ところで、わりかしよく知られた話だが、お金で得られる幸福には限度がある。例えば、日本が「国民の幸福度を第一に考える国」であるとしたら、「じゃあ累進課税をバチクソ強化して、再分配しようか」となるはずだが、そうはなっていない。

 実際に上がっているのは消費税で「広く公平な課税」だと謳うが、「収入に対する消費が多い(貧しい)人ほど、負担する消費税の割合が高い(逆進性)」ことをずっとずっと言われ続けているのに、これをやめようとしないのは結局、経済格差は真の問題では無いのだろう。

 まじのまじで、我が国はいったい、何と戦っているんですか?

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