ライトノベル第二章三話【過去の自分と同じ境遇の男】

 ロビーに出ると受付にいる相楽さんと目が合う。
「気が合ってるようじゃないか。」
 今では相楽さんも奏に対し、馴染みのように接している。
「どうだかな・・・。」
「口で言っているほど、不満ってトーンでもないみたいだが?」
「ああ。悪くないって程度だ。」
「素直になれよ、詩音。それはそうと、ほかのメンバーはどんな感じだ? 問い合わせはそれなりにあるんだろう?」
「ああ。けれど・・・。」
「ライブの度にサポートメンバーを入れ替える苦労がそろそろ身にしみてくる頃って感じだな。」
「・・・?」
「ああ、いや、いい。存分に悩め。そして経験しろ。」
 それだけを言うとまた仕事へと戻っていった。たしかに、「こんなものか。」と妥協はしたくない。かといって、理想のレベルで揃えるとなると、やはり時間がかかる。
 しかし、俺が俺らしくバンドを続け、そしてメジャーになるために選んだ道だ。選択は間違っていなかったことを立証したい。
 いったんスタジオの外に出た俺は、外の空気を吸い込んだ。見上げた先は雲ひとつない青一色が広がっている。俺も早く、そんな気分になりたいものだと自分にツッコミを入れ、気持ちをリセットした。
 再びスタジオの中に戻ると、受付の先にある自動販売機に向かった。奏に頼まれた飲み物と、俺も一息入れておくかという気分になり、自販機の前でドリンクの物色をする。すると自販機の隣に人影があることに気づく。
振り返ると、拳で向かいの壁を殴る男がいた。
 俺は思わず「やめろ!」と叩きつける拳を掴み壁から引き離す。
 相手は露骨に不可解な顔で俺のことを見下ろした。壁に向かって殴っていたときは感じなかったが、こうして背筋を伸ばした状態で並ぶと、目線が違う。顔半分ほど、相手の方が高い。それに燃えるような赤い髪が印象的な男だった。
「ああ? おまえには関係ないだろ!」
「直接的には関係ないが、ここにいるってことは、あんたも音楽やっているんだろう?」
「・・・そうだが?」
「だったら、手を、指を乱暴に扱うな。楽器を弾くにしろ、歌を歌うにしろ、手は大事だろう?」
「・・・へっ! あんた、変わってるな。そんなこと、真正面から大まじめに説くやつ、はじめてだよ。」
 なんとでも言うがいい。手を傷つけることは、音楽ができなくなることに繋がる。自暴自棄になったとしても、やってはいけないことだ。
「で、その大まじめなあんたも、バンドマンか?」
「・・・ああ。」
「そうか。そうやって大まじめなことをサラリと言えるってことは、いい仲間がいるんだな・・・。」
「・・・そうでもないさ。」
「ん?」
「いや。こっちのことだ。とにかく、なにがあったかまでは聞かないが、その手は大事にしろよ。」
「・・・あ、ああ。なあ、あんた。」
「・・・詩音だ。」
「オレは律(りつ)。ベースをやってる。あんた・・・じゃなかった、詩音は?」
「俺はヴォーカル。」
「ヴォーカル? なあ、聞いていいか?」
「なんだ?」
「詩音のバンドは・・・いや、やっぱいい。」
「なんだよ、気持ち悪いな。答えられることなら答えてやるから、言えよ。」
 なぜこのとき、こう思ったのだろう。いつもの俺なら「そうか。」と言って切り上げていた。なぜか無性に気になる存在の律。彼の憤りのようなものが、俺にもあったからかもしれない。かつての俺。そうだ、かつての俺の姿と重なるところがあるから、気になる。
「あんた、やっぱ変わってるな。」
「はあ?」
「いや、別に悪い意味で言ってんじゃない。普通、オレみたいなヤロウのことは放っておくだろ? 関わり合いたくないって思うのが大半だ。オレだったら、面倒だし関わりたくないし、スルーだな。」
「誉められているようには聞こえないんだが?」
「そうか? オレは結構気に入っているんだぜ、そういう変わり者!」
「律の方が変わっているだろ。」
「はっ、違いない!」
「で?」
「ああ・・・、あんた・・・詩音にこんなこと聞くのも変な話だけど。口パクや当て振りでライブするのってどう思う?」
 律は俺にこう話した。律が参加しているバンドの次のライブのことで、バンドメンバーと意見が割れているという。割れているといえばまだ聞こえはいいらしく、詳しく聞けば反対しているのは律だけらしい。反対という言い方も少し語弊がある。今現在では、律は黙認している状態らしい。つまり、受け入れたくはないが致し方ない事情もわからないわけではない。そこで律は葛藤が生じる。ライブは生演奏で、そのときの雰囲気などを楽しめる利点もあれば、失敗することで汚点となってしまうこともある。だからこそ、その時その時で感動が変わってくるものだが。
 しかし、律のバンドメンバーは技量に差があり、その差を埋められるほどの練習量が激しく不足していた。このままでは律の独りよがりとなるが、バンドという形態である以上、飛び抜けて技量があっても、それがプラスに繋がるものでもない。
「力の差ができるのは仕方ない。それは練習の積み重ねでしかカバーできないから。だが、それすら放棄し、バンドのライブの醍醐味などを捨てる。バンドメンバーの熱意に一貫性がない。なんでこうなっちまったんだろうな。前はこんなんじゃなかったのにさ。」
 メンバーとの温度差、なぜ組み始めた頃と同じ熱意が維持できないのか。詩音にとってはまったく理解のできないことだ。
 だが目の前に、自分にも経験がある憤りを今、まさに経験している律がいる。俺はそれを繰り返すのがいやになり、今の形態を選んだ。それが正しかったことなのか、まだ答えは出ていない。このままでは律のバンドは分裂してしまうだろう。一度、条件を飲み込んでしまったら、楽をすることを知ってしまったら、熱意を持って挑んでいた頃には戻れない。苦悩していた頃の自分を見ているような気分になっていた。
「変な話を聞かせちまったな!悪いな。聞き流してくれていい。オレはため込んだことが放出され、少しはスッキリしたっていうか、霧が晴れたような気分っていうか。聞いてもらえただけで助かったからさ。」
 しかし、律の表情はスッキリというにはほど遠い顔をしている。
「律は嘘が下手だな。」
「うっ・・・。」
「俺にも経験がある。簡単に割り切れるものでもないだろ?」
「・・・そうだな。詩音ならどうする?」
「俺なら、去られる前にこちらから出て行く。」
「至極まっとうな意見だな。オレも考えなかったわけじゃないが。」
「脱退も視野に入れているっていうなら、うちに来ないか?」
「なに?」
「DOOMSDAYというバンドをやっている。今、サポートメンバーの募集をかけている。なんなら、ライブを想定したリハをしているから、聞いていくか?」
 律は驚きながらも平常心を保とうと必死になっているように、俺には見えた。
「今のバンドに不満はあるが、だからといって、すぐ脱退はないな。これでもオレは常識人間でね!苦楽を共にしてきたメンバーの元を去るつもりは毛頭ない。」
「なぜ拘る? このままじゃ、事前に録音して口パク、当て振りのライブになるんだろう?」
「そうだな。オレがあいつらの技量にまで下げればいいだけだ。そうすれば、練習不足の技量の差はごまかせる。」
「それが本当にメンバーのためか? 自分を偽ってライブをやったって楽しくはないだろう? ライブにはライブ独特の醍醐味がある。それを全部捨てて、その場限りの偽の達成感を得ようとしている仲間じゃないか。」
「わかっているさ!それでもずっと共にいたメンバーなんだ。いまさらこちらの都合で切り捨てる・・・いや見限るなんてできねーよ!」
「・・・綺麗事だな。」
「なに?」
「バンドやってりゃ、意見の衝突はつきものだ。途中から求めているものが変わる、趣向が変わる、続ける意味が変わってくる。それでも今のメンバーでやっていこうってところは同じで、それぞれの中で落しどころを探り、やってんだ。オレだけの意見を主張して聞き入れてもらえたとしても、また別の意見が出て、この前はオレの意見を聞き入れたから今度は聞き入れろって条件が出る。それに、長くやっていればバンドばかりを生活のメインにしていられないだろう? そういう個々の理由もわからなくはないんだ。確かに、バンド主流の生活ができたら最高だろうがな。」
 そこまで気遣う必要があるか?
 俺にはいまいち理解できないところがあった。
 私生活の事情とバンド活動は別次元の話だろう。
 けど、律の中ではそうじゃないってことか・・・。
 いや、そういう考えを理解しようとしているだけなのか?
「ま、どっちにしろ、オレにも情ってものがある。会って数分の詩音と長年苦楽を共にしてきたメンバー、どちらを取るかっていったら、メンバーになる。誘ってくれたのは嬉しいと思ってるが、そういう事情なんでね。今回は気持ちだけ受け取っとく。初対面なのに、話聞いてくれてサンキューな。」
 律はそういって、片手をあげ軽く手を振った。向かった先はメンバーが待っているスタジオだろうか。俺はどのスタジオに入るかまで見届けることはしなかった。いや、出来なかったんだ。

「知り合いか?」
 突然、背後から奏の声がして振り返ると、呆れた顔で立っている奏の姿があった。
「いや、全然。」
「そうなのか? だとしたら、珍しいものを見せてもらったってことだな〜。」
「は?」
「詩音も、初対面のヤツと会話できるんだなってさ。」
「奏、バカにしてんのか?」
「いやいや、感心したんだよ〜。他人に興味なんてございませんって態度だからさ。しかも、いつまで経っても戻ってこないと思ったら、自販機の前で会話してるっぽいとこに遭遇するし。」
「会話って。聞いてたのか?」
「ん〜、こういうのを聞いていたっていうのかどうか。勧誘っぽいことをしてたのかな・・・くらいだよ。断られてただろ?」
「ああ。」
「詩音から勧誘なんて、本当に珍しい場面に遭遇したもんだ。それで? どうするつもり?」
「どうって?」
「だから、このまま諦めるのかってこと。」
「どうだろうな。断られているし。」
「そう? 俺の見立てだと、手応えがまったくないとは思えないな。」
「・・・奏。やっぱ聞いてただろ?」
「聞いてないって!俺さ、サポートメンバー歴長いから、なんとなくわかるんだよ。誘われて断るときの心情みたいなのが。本気で断りたいときと、そうでないとき。今は無理だけど、みたいな事情? ま、縁があればまた出会うんじゃないか? てことで、俺たちもそろそろ休憩終了ってことで、再開しないか?」
 スマホで時間を確認した。俺がスタジオを出て外の空気を吸ってから軽く二十分近く経っていた。
「・・・悪い。」
「いいって。代わりに、今日のドリンク代は詩音持ちな〜。」
 奏がひょいっと手を差し出す。自販機のドリンクはだいたい百四十円から五十円くらい。俺はおごるつもりはなかったが、たしかに待たせすぎたという自覚もあり、今回だけだと念を押し、三百円握りしめ、奏の分と自分の分を買い、スタジオへと戻った。
「なあ、奏。聞いていいか?」
「なに?」
「私生活とバンド活動は別の話だよな?」
「・・・ん? どういうこと?」
「・・・いや、いい。変なことを聞いた。」
「待った。そうやってすぐ諦めない。順序立てて話せば、人はたいていのことは理解して、そして納得してもらえるよう話せるように出来ているんだ。意外と俺は根気強い方だから、聞きたいことは遠慮なく聞いてくれ。で、それはこう解釈すればいいのか? バンド活動に私生活のゴタゴタを持ち込むのってどうよ? みたいな感じ?」
「ゴタゴタというよりは諸事情的な?」
「ああ、諸事情ね。バンドを続けるにはバンドに生活の大半の時間を注ぐことになる。最初は残った時間でできた趣味や交友関係は、次第にその割合が崩壊して、次第に音楽が嫌いになるバンドマンも、少なからずいる。サボったりするやつも。でもそんな詰め詰めになってしまったから、責める理由にはならないというのが、俺の考え。詩音は違うのか?」
「・・・責める、そうか、責めるのは違う気がするのはわかる。けど、バンドより生活が大事っていうのは・・・バンドなら足並み揃えるくらいのことは努力してほしいっていうか・・・。」
「その気持ちもわからなくはないが、正論ばかりが正解ってわけでもない。誰もが音楽で食っていけるってもんでもないだろう? 続けていれば自分の技量でメジャーは無理だって理解する。そうなったとき、バンドを生活の中のどの位置にするかは、個人差がある。それでも続けたい、いまのメンバーで続けたいってなったら、それはもう外野がどうこういえる次元じゃないな。当事者同士でとことん話し合うしかない。もしかして、さっきの彼のこと?」
「・・・いや、そういうわけじゃ。ただの質問だ。」
「そう?」
「他人のバンド事情より、俺たちの方が大事だ。リハの続きをしようか。」
 そうだ、ほかのバンドの事情なんか知ったことじゃない。今は俺のバンドDOOMSDAYのことが最優先だ。正直、律が仲間になってくれたらという期待を捨てたわけじゃないが、奏の話がとてもしっくりきてしまった俺は、律自身が行動を起こさないかぎり、どうにもできないのでは? と頭で理解するようにした。気持ちとしては、諦めたくないのだが。

 この日の出来事が脳裏の片隅に引っかかったまま数日が経った。
 それだけ律の存在が印象的だった。

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