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「それがいいんだよ」と聞こえた気がした

 思い出との適切な距離が未だに掴めない。引っ越しを来週に控え、荷物を整理していた。数年ぶりに出会う物に触れると、いちいち記憶が蘇って整理が進まない。

クローゼットの奥に、前の引っ越し以来触っていない段ボールがあった。中を開けると、今までもらった手紙やアルバムが雑に詰められている。
その中に、マジックで「プレイリスト」と書かれた小さな箱を見つけた。箱を開くと数枚、白い盤のCDが見える。恥ずかしい思い出がフラッシュバックする。その中に、日付と「ラモーンズ」とだけ書かれたCDを見つけて、深夜、片付けもままならないまま僕は車に乗り込んだ。



恥ずかしい話を今からする。男子校を卒業して大学に入り、まず精を出したのは勉強でもサークルでもなく、モテることだった。いや、モテようとすることだった。大学の帰りに書店で雑誌を立ち読みしては、あらゆるモテに関する情報収集を行っていた。

その中に「ドライブにはプレイリストが必須」という項目を見つける。お金もルックスもないけれど、親の使っていない車だけがあった僕に、これだ! と光明が差した。それ以来、意中の女性に音楽の趣味をそれとなく聴いて、バンドマンの友人にオススメの曲をピックアップしてもらい、ドライブで流すための手作りプレイリストをしこしこと作っていた。健気ではない。ほとんど下半身がそうさせたのだと思う。若さ、という言葉では片付かないほど恥ずかしくてバカな話だ。



あの頃、バイト先の先輩が好きだった。高級ホテルで働く社員で、よく仕事を教えてもらっていた。ショートカットで目の細い、無愛想だけれど仕事のデキる先輩だった。

先輩に認められたい一心で、休憩中もメモに仕事の内容をまとめて復習を繰り返した。その姿を見た先輩が「君、ほんと犬みたいだね」と言うくらい、尻尾を振っていたんだと思う。「あ、すみません」と照れて返す僕に「それがいいんだよ」と細い目をさらに細めて笑っていた。

いつからか、僕たちは仕事終わりに飲みに行く仲になっていて、その日は始発まで飲んだシメにラーメンを食べていた。高級ホテルが職場の、マナーも言葉遣いも綺麗な先輩が、割り箸を口に咥えて片手で箸を割り、食べ放題のザーサイをつまむのを見て、うっとりする。

ラーメンを待っている間に「そういえば、好きな音楽とかあります?」と、それとなく聞いた。先輩は「ラモーンズ」とだけ言って、二杯目のザーサイを皿に盛っている。ほどなく着丼し、美味そうっすねと会話を逸らす。
 
先輩は胡椒を手に取り、大将が見たらブチ切れるくらいの量をラーメンにぶっかけた。「そんなにかけたら、もうラーメンの味しないっすよ」と僕。「それがいいんだよ」と言いながらスープを啜る先輩。その姿になぜか安心しながら僕は、次の仕事終わりドライブでもしませんか? と誘った。


結果、先輩とのドライブは叶わなかった。詳細は割愛するが、結婚することになったらしく、その1ヶ月後に先輩は寿退社した。たまたま僕も後を追うようにバイトを辞めた。手元に残った先輩のプレイリストは、再生されることのないまま、箱の中で眠っていた。

写真 HOKUTONE

「ラモーンズ」と書かれたCDを見つけて、気分転換を言い訳に、荷物の整理も終わらぬまま僕は車に乗り込んだ。高速に乗る手前でCDを差し込む。小雨が降っていた。ワイパーと指示器の音が、下手くそなバンドみたいにリズムを刻んでいる。

車のスピーカーから流れる音楽は、ほとんど何を言っているか分からなくて、ほとんど同じ曲に聞こえた。僕は思わず「ぜんぶ同じに聴こえるじゃないっすか」と笑いながら独り言をつぶやいてしまう。

そのとき、「それがいいんだよ」という先輩の声が、助手席から聞こえた気がした。
 



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