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今日のうんち

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食べたら、でるもの。なにかを食べては、今日も出す。 2018年4月16日よりまいにち更新される、白川烈が書くエッセイです。 クサいときもあるかもしれませんが、それはご愛嬌で。…
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2024年8月の記事一覧

さあ、わからなくなってきた!

さあ、わからなくなってきた!

*「さあ、わからなくなってきた」と思う場面は、すごくいい場面なんじゃないかなぁ。

「さあ、わからなくなってきた」。このせりふを言うような場面を想像してみましょう。例えば、スポーツなどで一方的に開いていた点差が狭まってきたとき。「さあ、わからなくなってきたぞ」と思うでしょう。今までは、もう一方的でこのままいけばAの勝ちだなーと思っていた(わかっていた)ところが、どっちに転ぶか、わからなくなってきた

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尊敬と軽蔑

尊敬と軽蔑

*尊敬している人はいますか。その人は、いったいどんな人ですか。その人とは、お知り合いですか。お知り合いじゃないですか。その人のことは、どれくらい知っていますか。あなたから尊敬されていることを、その人は知っていますか。

「尊敬」という念というか、感情は、いわゆる「喜怒哀楽」みたいなものとは、少し違うような気がする。喜びや悲しみは、出来事があって自分のなかに湧いて出てくるような感情だけれど、「尊敬」

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てまひまかけたぶんだけ

てまひまかけたぶんだけ

*今日は一日、ずーっとある原稿を作っていた。というのも、週末にある紙芝居のイベントに、ひょんなことから僕も出ることになったのだけれど、忙しさにかまけてなーんにも手をつけていなかったのだ。本番は31日。ざっくりとした方向性こそ決まっているものの、原稿も絵も何もできていない。正直言ってピンチである。いやぁ「多忙は怠惰の隠れみの」とは、本当によく言ったものだ。

さすがに今日中に完成させなければと、朝か

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爪切り髪切り自分切り

爪切り髪切り自分切り

*あの、我々ってね、「爪を切る」じゃないですか。いやね、ちょうど僕もいまさっき、爪を切ったんですよ。ぱっちんぱっちんとね。で、切られた爪を見ながら、思ったんです。これってつい1,2分前まで、俺の一部だったんだよなぁ、と。こいつがまだ指の一番先っちょにいたときには、こいつのおかげで触れられたり、痛かったりしたこともあったろうに、こうして自分から離れてみると、なんだかまったく別のものに感じてしまう。こ

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わたしがわたしになるまでの間

わたしがわたしになるまでの間

*生卵が、ふつふつと湯だった鍋に入れられて、ゆで卵になるまでの時間。卵の場合は殻があるので、外目には変わらず分かんないわけでさ。じゃあ、当人である「たまご」はさ、いまのいま自分がどっちの状態なのか、分かっているのだろうか?と考えると、どーにも分かっていないような気がするんだよなぁ。いや、もちろんたまごに聞いたわけじゃないから、僕の想像でしかないんだけれど。

青虫の場合は、青虫から蝶になるまでに「

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失敗すらもドラマにする魅力

失敗すらもドラマにする魅力

*昨日、人生で初めて「サーカス」を観に行った。地元近くで約4ヶ月近く、長い長い公演をやっていて、どこかで行こうかなぁと思っていたらふと、そのタイミングが訪れた。サーカスのイメージといえば、空中ブランコしたり、ピエロがジャグリングしてたり、ゾウとかライオンとかが出てきたりといったものだったけれど、そして半分はその通りだったんだけれど、観ていて一番大きな感情は「ひやひやする」だったんですよね。

綱渡

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言葉がきれいなほうがいい

言葉がきれいなほうがいい

*「マルハラスメント」という新たな言葉が、少し前に流行ってました。なんでもかんでもハラスメントというか、受け手の筋力の弱さもあるよなぁと個人的には思っていたのですが、でもやっぱり、共感するところもあるんですよね。なんだろうなぁ、送り手の怠慢といえばそれまでなんだけれど、コミュニケーションが「言ったもん勝ち」みたいになっているところは、やっぱりどこか納得いかないよなぁ、と思ってしまう。

それは漢字

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甲子園、夏

甲子園、夏

*あ!そういえば甲子園っていつまでなんだっけ!と思って調べたら、昨日、ちょうど決勝戦が始まるところだった。急いで布団を出て、顔を洗い、テレビをつける。またひとつの夏が、夏のひとつが終わろうとしている。

試合は途中までノーヒットの投手戦、序盤は塁にすらランナーが出ない状態が続く。二巡目になってようやくちらほらとランナーが出るが、スコアリングポジションにはなかなか進まない。打ち合いの派手な試合でこそ

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音は同じでも、響き方がちがうのだ。

音は同じでも、響き方がちがうのだ。

*昨日、My地蔵と呼んでいる、いちばん心の近い友人と遊びのラジオを録った。昔も遊びで「ハイセンスボウイズ」という自家発電ラジオをやっていたが、今回もその続き、くらいのお遊びで。そういえば僕の小石のような夢のひとつは、My地蔵といつか「今日もおつかれさん!」というラジオをやることだ。

その録音を自分で聴きながら気付いたのだけれど、僕がMy地蔵と喋ってるときの「声」が、いつもとちょっと違うんだよなぁ

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ばかにしない、ということ。

ばかにしない、ということ。

*ことわざをアップデートする、という遊びに、数ヶ月前からハマってちょくちょく飲みながら遊んでいる。ほら、あの、ことわざっちゅうやつです。「顔から陽が出る」これは慣用句。「猿も木から落ちる」「河童の川流れ」みたいなやつですな。ことわざって言い回しが古いから、令和である現代版にアップデートしようっちゅー遊び。

ただこれやってみて思うのが、もちろん遊びなので、ウケたり「おお〜」って歓声が欲しくなるわけ

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「色」は思っている以上に、すごいかも?

「色」は思っている以上に、すごいかも?

*昨日、気の置けない人と喋りながら、ぽんと出たものでおもしろかった気付きがあった。それが「何色の本が売れるかって、あるのかなぁ?」というものだった。

喋りながら、相手がぽんと言ったセリフだったんだけれど、「どうして今まで見過ごしていたんだろう?」と思うほどにおもしろく、手前にある質問だった。たしかに、その本がどうして売れたのか?を考えたりすることはあっても、「何色の本が売れるか?」ということに関

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「今、ここ」なんて信じちゃいない

「今、ここ」なんて信じちゃいない

*「時間」という概念を超えたものが、もし世界に存在していなかったとしたら、どうなっていただろう。そんな全貌が見えないテーマを、俺は便器に座りながら考えている。もちろん便器に座っているので、下半身は裸の状態で考えている。

昔に流行ったマインドフルネスや、さまざまな思想や考え方の中で「今、ここ」がすべてなのだ、ということがよく語られる。過去でも未来でもなく、「今、ここ」が大事で、「今」があるからこそ

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ありすぎたら困るもの

ありすぎたら困るもの

*なんでもかんでも「ないものねだり」になってしまう反面、「ありすぎて困るもの」だってあるんじゃないか、と考えている。ありすぎて困るものというより、なんでもかんでも、大量にあればあるほど、それはそれで困っちゃうんじゃないかなぁ。そんなものないだろう!と思われるかもしれませんが、一旦、ちょっと本気で考えてみましょう。

「時間」はどうだろう。1ヶ月、1年間何をしてもいいです、自由です、と言われたら、け

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どうありたかったんだっけ?

どうありたかったんだっけ?

*昔のメモを見返していたら、たった一文だけ「反省大魔神」と書かれたメモがあって、自分でひとしきり笑ってしまった。日付を見ると7年以上前だったので、その頃から自分は反省フェチだったんだなぁと恥ずかしいが思う。

「反省」と言ってしまうと、どこか負け犬の遠吠えみたいに聞こえてしまうし、自分でもそれは多分にあるのだけれど、シャワーを浴びながらつくづく「どうしたかったんだっけ?」と自分に問い直すことがある

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