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てまひまかけたぶんだけ

*今日は一日、ずーっとある原稿を作っていた。というのも、週末にある紙芝居のイベントに、ひょんなことから僕も出ることになったのだけれど、忙しさにかまけてなーんにも手をつけていなかったのだ。本番は31日。ざっくりとした方向性こそ決まっているものの、原稿も絵も何もできていない。正直言ってピンチである。いやぁ「多忙は怠惰の隠れみの」とは、本当によく言ったものだ。

さすがに今日中に完成させなければと、朝から晩にかけて、一日中内容を考えていた。考えていたのだが、近づいている台風がおれのやる気まで飛ばしていったのか、驚くほどにやる気が出ない。このまま締め切りまで飛ばしてくれないだろうかと思うが、そんなこたぁない。

昼頃にはなんとか方向性が決まり、そこから数時間かけてある程度の原稿を書き終えたのだけれど、そこでふと見直してみると、あんまり面白くないかもしれない、と気付いた。気付いてしまった。ちょっとはおもしろいだろうけど、そこそこおもしろくはないのだ。ここ数時間が無駄になったようで、なかなかにショックを受けてしまった。

そのことに打ちひしがれていたのだけれど、ふと、尊敬する小林賢太郎さんのことばを思い出した。「一日、本気で考えれば、0.1くらいのおもしろいものは作れるんですよ。絶対に」みたいなことばだ。それは僕にとって勇気であり、希望でもあり、そして大いなる「めんどう」でもある。一日本気で考えなければいけないのだから。ただ、そのめんどうをきちんと引き受けた先には「0.1」くらいの面白さは生み出せるはずなのだ、と。

これは絶望でもあり、微かな希望でもあるような真理なのだが、手間暇かけたものは、ほんの少しだけでもきちんとおもしろくなるんだよなぁ。逆に言えば、その手間暇をかけていないものは、やっぱりおもしろくならない。それは「時間」というよりも「てまひま」であって、そのめんどうを引き受けるかどうかが、ものづくりには大事なことのような気がしている。

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