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爪切り髪切り自分切り

*あの、我々ってね、「爪を切る」じゃないですか。いやね、ちょうど僕もいまさっき、爪を切ったんですよ。ぱっちんぱっちんとね。で、切られた爪を見ながら、思ったんです。これってつい1,2分前まで、俺の一部だったんだよなぁ、と。こいつがまだ指の一番先っちょにいたときには、こいつのおかげで触れられたり、痛かったりしたこともあったろうに、こうして自分から離れてみると、なんだかまったく別のものに感じてしまう。これってふしぎだよなぁ。

「髪を切る」とかも、近いところがあるかもしれません。切られたときは、なんだかちょっと痛い気すらするじゃないですか。でも切られて、床に落ちた瞬間から「ごみ」だと認識するわけです。それに、髪を切るってのは、なんだか自分を少しずつ切り離しているような感覚もしますから、なんだか憑き物が取れたようで、すっきりしたりもするじゃないですか。失恋で髪を切るって迷信も、そこからきていますよね。

あ!それでいうと、いっちばんは「うんち」だよね。つい数秒前まで自分の中にあったもの、自分だったもののくせに、出した瞬間に汚物扱いですよ!?あれ、うんち側からしたら、たまったもんじゃないだろうなぁ。その思いまでは、なかなか水に流せないかもしんない。

ついさっきまで自分だったもの、の反対側には、ついさっきまで他人だったもの、があります。例えば目の前にある生ビールは、いまこうして置いてある時点では、ただの「生ビール」ですが、ごっきゅごっきゅと喉を鳴らして飲んだ瞬間から、自分の一部になります。隣にある、そのハムカツだってそうですからね。つい数秒後には、自分になっていますから。

そういう「自分」の乗り移しって、おもしろい感覚だよなぁ。友人がばかにされたら自分のことように怒りを感じる「自己拡張」に近いものもあれば、その逆もある。猫や犬にも、なんだか自分を乗り移して考えること、あったりするもんなぁ。

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