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SOSを出すことの難しさ、でも気づいて待ってる人は意外といるかもよ、の話。

人を信じることの難しさ

暑さでうんざり。
お盆の親戚の集まりで、悪気なく?良かれと思って?ズカズカと踏み込んだこと聞かれてうんざり。
夏休みの終わりがみえてきて、迫ってくる2学期にうんざり。
それだけじゃない、今に始まったことじゃない、長く抱えている様々な悩み事の重さに、抱え続けた疲労に、いいかげんうんざりして、手放したくなる。

うんざりだらけの悩みを手放せたらいいのに、と思う。
でもその段階をとうに過ぎたら、
“自分を”、意識から、記憶から、集団から、現実から引き剝がしたくなる。
その段階に至るまでに、SOSを出してもよかったし、出してほしい、と思うのだけれど、それが難しい。

環境の中で傷つき体験を重ねていたら、人を信用して内面を話すことは論外だし、ヤングケアラー的に「常に聞き役をしてきた」人にとっては、「自分が話せば相手に『聞く負担を負わせてしまう』」と思って話せなくなる…。

勇気を出して、やっと抱えてきたものをオープンにしたときに「もっと早く誰か(家族とか先生とかSCとか?)に言えばよかったのに」という言葉はあまりに非情。そんなの出来たらここまで追い込まれてないよ!って。

それでも一歩を

信じられないかもしれないけれど、話してもいいかなっていう人に出会えること、今なら話せそうというタイミングに至ること、いつかその時が訪れてほしいなとこころから祈ります。そして、もしよかったらそのお手伝いができたらなぁと思うのです。

 クライエントさんと一緒に振り返り作業をしていきながら、落ち着いて眺め直すと、もしかしたら近くであなたの苦しさに気づいてたかもね、違和感を覚えながら、見守っていた人がいたかもね、この人はもしかしたら何か手を差し伸べていたかもね、言えんかったけどね、と思い返される方もいます。

過酷で厳しいところにいる方にとっては、SOSを出すことなんて考えもしなかったし、自分にそんなことは許されないし、第一誰を信じていいか誰も教えてくれなかったし、希望や期待をもつだけ無駄、諦めている、と思うかもしれません。

でも。だから。専門家でなくてもいい、匿名のコミュニティでもいい、周りを見渡して、「悪くはない」と思えそうな人に、「試すつもりで」いいから、チラ出しからでいいから、SOSを出す実験をしてほしいなと思うのです。誰かを頼ることを自分に許してほしいのです。

「試したけどダメだったじゃないか!!」という事が起きたら、私のところにぶつけにきてくださいな。待ってます。

Re:treatこころの相談室
たけもと さちこ


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