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やる気に頼らない

朝、やる気満々で会社に行く人がどれだけいるだろうか。おそらく大概の人は、「あぁ今日も会社に行くのか~…」と、少し(あるいはとても)憂鬱な気持ちで家の玄関を開けて、外に飛び出していくのかもしれない。会社について自分の職場に向かう間、着替えが必要な人は着替えている間も、そんなことを考えながら、仕事場へ向かうのかもしれない。

同僚でも毎朝のように「やる気が出ない」「帰りたい」と言っている人がいる。もちろん、そう言っているだけで実際作業が始まればしっかりとやっているのだけど、憂鬱な気分があるのは事実だろう。若いうちは特にそうだと思う。そんな時、私はこう伝える。「やる気なんてないものだと思ったほうがよい」と。

やる気満々の自分を想定して、それと今の自分を比べるとこんなに差があると気づく。人間、実はそのギャップに苦しめられているのではないかと思う。やる気がある自分ならば、この程度の仕事は難なくこなして、もっと余裕のある状態で…と(無意識のうちに)想像する。しかし、実際にそんなことはあり得ない。やる気は出そうと思って出るものではなく、気づいたら勝手に出ているものだからだ。

だから、そもそも「やる気」に頼ること自体を諦めたほうがいい。最初から、そんなものはないのだ。やる気のない自分を一旦認めたうえで、じゃあどうしようか、と考えるわけだ。やる気がなくても、作業を行うことはできる。そうすれば仕事は進む。それでいいじゃないか。前に進んでいるのだから。どんな気持ちであれ、手を動かしていれば、物事は前進するのである。

それにやる気が無くても、やっているうちに気持ちが乗ってくることは、経験したことがあるはずだ。全然やる気なんてなかったけど、やってみたら意外と進んだ。そういうことだってあるはずなのに、そういうことは意外と忘却の彼方へ葬り去られる。ネガティブな記憶のほうが定着しやすいからだろう。

もちろん、本当にメンタル不調ならば、休むことも大切だ。頼れるものは頼ったらいいし、別にカッコ悪くたっていい。自分以外の人は、意外と自分のことを気にしていない(悪いようには捉えていない)ものだ。自分を悪く思っているのは、他ならぬ自分自身であることが多い。

やる気に頼らないようになってから、自分の人生も随分と楽になったような気がする。仕事に行くのもいつの間にか、ほとんど何も(負のことを)感じなくなった。今日も会社に行ってやるべきことをやりましょうか。そんな感じだ。やる気の出ない自分を責めていた時代もあったが、そういうことを乗り越えて今があると思うと、必要な経験だったのかなとも思う。

これからも自分の周りにいる「やる気が出ない人たち」に何度でも言い続けるだろう。「やる気になんて頼ってはいけない」と。

#我慢に代わる私の選択肢

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