本当に望むものがわかれば、意識は量から質に向かっていく 〜過剰にお金を求めるのはやりたいことが定まらないから〜
セミリタイアを2年間経験して思ったことがあります。
それは、本当にやりたいことがわかっているのであれば「お金を持っているかどうか?」はそれほど大切なことではないと言うことです。
「いやいや、それはお金があるから言えることでしょ」っと思う方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。むしろ、お金に振り回されない人生を送るためにも「お金のあるなし」を超えた在り方について、考えてみませんか?
それが「本当に望むものがわかれば、意識は量ではなく質に向かっていく」ことです。
お金は量で感じるもの
なんやかんや言って自分はお金が好きなので、やっぱりお金の話から始めます。
お金は「量」で感じられるものです。
100円よりも1,000円、1,000円よりも10,000円の方が多いと感じるのは言うまでもありません。たまに「楽してもらったお金」と「働いて稼いだお金」は違うとなんとなく「質」を感じることもあります。でも、どんな形で自分のところにやってこようと、やっぱり100円は100円でして、お金とは「量」で感じられるものです。
やりたいことがわからないと量に魅力を感じる
本当にやりたいことがわからないときって、その「量」の魅力にとりつかれるんじゃないかと思うのです。
自分自身の望むものがよくわかっていないから、まずはわかりやすく自分自身を満たしてくれるような指標に頼りたくなる。
その一番わかりやすい存在が「お金」なんじゃないかと思うのです。
お金があれば自分が大きくなったようにも感じられるし、そのお金で手に入れられるものによって自尊心も満たすことができます。
経済的な不安も取り除くことができるし、やりたいことができる「自由」もお金で手に入れることができます。
子どもがお菓子売り場で駄々こねる時
最近のことなのですが、2歳の我が子がお菓子売り場で「これを買って」と駄々をこねるときがありました。で、まあ数十円くらいのものだったので、買おうとすると、さらに他のお菓子が欲しいというではありませんか。
「おいおいおい。さっきこのお菓子欲しいっていったやん」って思ったのですが、いっこうに泣き止む気配はありません。
しばらくは、あーでもない、こーでもないとなだめていたのですが、なんだかそのお菓子に特別興味はないように感じました。その時に「あ、これは子どもが求めているのはお菓子じゃないな」って思ったのです。
本人ではないので確かなことはわかりませんが、おそらく何か親の注意をひきたいとか、もうちょっとかまって欲しいとか、自分の話を聞いて欲しいとか、子どもはそう言った思いがあったのでしょう。しかし、自分でもその欲求がよくわかっていないので、お菓子を沢山買ってもらうことで、自分を落ち着かせようとしたのではないかと感じました。
なので子どもの話をじっくり訊こうと言う姿勢で子どもに向き合ってみると、お菓子のことなんてすっかり忘れて友達との出来事を夢中で話してくれました。
大人も似たようなもんじゃないかな?
これはうちの2歳児の話ですが、結局大人も似たようなもんなんじゃないかな?って思ったのです。
自分が本当に欲しいものとか、やりたいこととかがわからないから、とりあえずわかりやすい「量」で表されるものに夢中になる。
やっぱり「量」で表されるものは結果がわかりやすいものだし、自分の成果を他人と簡単に比較できたりして、自己満足を得ることができたりします。
それくら「量」の魅力は大きい。
その代表である「お金」が多くの人を引きつけるのもある意味仕方がないことなんだと思います。
でも、お金ってどこまで行っても手段にしかならないんですよね。
本当の望みは「質」で感じたくなる
しかし、本当に望んでいることとか、やりたいことを研ぎ澄ませていくと結局は「質」に行き着くのではないかと思うのです。
本当に好きな家具や道具は、たった一つお気に入りのものがあればいい。
それと同じように、本当にやりたいことがみつかれば、その欲求は量的ではなく質的に感じたくなる。
先程、お金は手段でしかないと書いたのですが、お金にどれだけエネルギーを注いでも、量は増えるのですが質を感じることができないのです。
「その量が増えることが幸せではないか?」
っと最初の頃は自分も感じていました。投資がうまくいったときなど、どんどん増えていくお金に興奮を覚えたし、幸せを感じたのは確かです。
しかし、結局量で表されるものには、最終的な満足は感じることができませんでした。
何にでも交換可能なお金には魂を込めることができなかったのです。
質を感じられれば満足がいく
何者にも変えがたいもの。
そう言ったものを見つけて、エネルギーを費やすことができれば、大きな満足が得られると感じています。
それは、結果がどうとか、世間的な評価がどうとかを超えた世界
そのことに自分が巡り合うことができて、全力で取り組むことができること、そのこと自体に感じる満足。
そう言ったものこそが、本当に人生を満足させるものではないかと感じるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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