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ローカルルール(校則)を守らせるという困難 ~学校・教師と懲戒権

ローカルルール(校則)を守らせるという困難 ~学校・教師と懲戒権 | EDUPEDIA

「間違った #権利 意識と #平等 感」

何事にせよ、「する」権利などはなくて、「しない」権利だけがあります。

どんなに好きでも、つきまとう権利はありません。

反対に、どんなに好かれようと相手にしない権利があります。

今日の教育が決定的に間違っている点は、「誰にでも人を好きになる権利はあるはず」と思い込ませてしまうところにあります。

人を好きになるのはとめられません。

また、とめる必要もありません。

だからといって、権利ではありません。

相手が拒めば、いつでも引き下がらなくてはなりません。

権利は拒む側にこそあります。

何と思われようと己の気持ちに正直に…、といえば聞こえはいいが、それはただの #エゴイズム にすぎません。

たしかに相手の思惑を気にしすぎるのは俗物であろうが、それをうかつに頭の悪い子供達の前で言ってはなりません。

何故なら、人の思惑など一切顧慮せぬのが偉大な人間である、と勘違いして孤高の一匹狼を気取る馬鹿が増えるだけだからです。

頭の悪い子供達に間違った権利意識と平等感を吹き込み、常識や良識を軽んずることが自由で柔軟な発想につながるかのような誤解を与えた場合、どんな人間ができあがるかは、ちょっと周囲を見回せばわかります。

誰にでもやさしいのが健全な社会ではありません。

人間は他者からの援助や協力なしには生きられません。

単独では非常に無力な存在です。

特にその #幼児期 にあっては、快不快のすべてを周囲に依存しきっています。

人間でも動物でもこの時期に身につけた行動の仕方が、その後の生涯を支配します。
子どもへのまなざし|福音館書店 (fukuinkan.co.jp)


「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」、という題の本が大分以前にあったが、 現在では大事なことを何ひとつ身につけないで砂場から出てきたような不快な人間が社会のあらゆる階層に増えています。
人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ - Wikipedia



就学児童にまず最初に教えるべきことは、 「この自由な #日本 という国では、本人が望まないことは何人といえども、これを強制することはできない」ということです。

つまり、「たとえ親や教師であっても学校へ来たくない子供を無理に学校へ来させることはできない」という事実です。

そして就学児童の親達に伝えるべきことは、「人並みの教育を受ける権利などというものはなくて、あるのは人並みの教育を受ける機会だけだ」ということです。

しかも、この機会は親にではなく子供本人に対して与えられたものです。

教育にかぎらず #民主主義 が保障する権利とは、機会は均等に与えられねばならぬという権利と、与えられた機会に対して本人自身が望まぬなら、これを放棄する権利のことです。

与えられた機会を手中にするには様々な制約が伴うし、それらの制約をみずから進んで受け入れる覚悟が必要です。

すなわち、人並みの教育を受け、人並みの生活を送りたい、と願う者は何人も、人並みに社会の現行ルールを守らねばならないということです。

教室での最低限のルールが守れない者に授業を受ける資格はありません。

学校へ来ることを拒む権利が本人に保障されている以上、教室にいる生徒は全員が自ら望んでそこにいるということです。

分かりにくいところは少しもありません。

小学生にでも、ゆっくり説明すれば充分に理解できます。

そもそも、主義や制度以前に生きる権利、などというものが何人にもないのであって、この世に生をうけるというのは単に生きる機会を与えられたにすぎません。

#神 によってかどうかは知らないが、その機会ですら必ずしも一律に与えられているわけではありません。

生まれつき心臓に欠陥を抱えて不安な人生を送る人もいます。

生きるという事は極めて #不公平#無原則#生存競争 に参加するという事です。

大会ルールに文句をつけてもはじまりません。

どうしても気に入らなければ棄権するほかないが、その場合は他の参加者に迷惑がかからぬよう静かに退場しなければなりません。

#学級崩壊 #基本的人権 #機会均等  


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