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”滅びる幸せ”はありか?

地方における少子高齢化社会の実態

MAACoは現在関東圏に住んでいるが、出身は秋田県だ。

今回は秋田を例にあげて、詰んでいるとしか考えられない既存の地域の少子高齢化について語ろうと思う。

秋田は不名誉なランキングに頻出する。
高齢化は全国1位で、付随する問題である自殺率や喫煙率なども言わずもがなだ。

MAACoとしては、絶対に帰りたくない。
長期休暇でたまに帰る分にはいいところだが住む場所にはならない。

これは秋田のみならず、少子高齢化の進む地方はきっと同じ様な問題を抱えているだろう。

  • 可処分所得が低い

  • なのに主要な生活域の賃貸は割高

  • 雪かきなど冬の生活が大変

  • 車はAWD必須、寒冷地使用、スタッドレスタイヤなど、都会生活より費用がかさむ

  • 競合が少なく価格競争が弱いので、物価も安くはない

  • 秋田弁は慣れないと威圧的で怖い

  • 高齢者が多いため超村社会で新参者や新しい価値観への寛容性がない

  • コミュニティでは圧倒的な数を誇る高齢者の意見が強い

  • そんな集団が作りあげる県だから、核家族や個性などの小規模集団は生きづらい

  • 若者が少ないから、若者向けの事業に乏しい

と、10代から40代には帰らない理由はあっても帰る理由が何もない。
仮に帰ってもいいかもと思うような歳の頃には、仕事に学校に持ち家にと、ほぼ骨を埋めている。

だから方針的には18~30歳あたりの人間を外部に出してはいけない。
縛ることはできないので、自らの意思でとどまりたくする必要がある。

この状況から、一度モラルをガン無視して対策を考える。

目的は人が増えるサイクルにすること。

若者が住みたい街になる必要がある。
出るきっかけを与えない必要もある。
若者にとって、馬鹿でもわかるメリットがあり、馬鹿でもわかるデメリットの無さ、これらが必要だ。

ということは、価値観は若者に全フリした方がいい。
世代間ギャップに関してはこれまでと真逆の構造をとる。

例えば老人たちは、会社であれ地域コミュニティであれ常に若者のご機嫌をとるようにする。
社会保障は老人から吸い上げ若者にまわす。
コミュニティは集団より個人を大切にし、PTAなどのガバナンスや政治の意思決定、地域コミュニティは、一定年齢で強制的に退かせる。

などだ。
今いる人達をなんだと思っているのか?という声しか聞こえない、策とは言えない策だ。

大半が高齢者である県では、ほとんどの人に余生を屈辱的に不幸に生きろという事と同義だ。

しかしそれぐらいの事をしないと、今度は若者に不幸に生きろと言っているのと同義だ。

つまり、未来のために今を捨てるか、今のために未来を捨てるかの二者択一となる。

政治的にこんな二者択一を選べる気のふれた人間は少ないし、いた所で人道的に賛同されないから数で勝てない。
経済的にも最大ボリュームである高齢者を無視することは不可能だ。

ということは、やはり根本的な対策はない。

ネフェルタリ・コブラが言ったように『国とは人』なのだ。
同じく『1つの街だって人』なのだ。

そうである以上、個別の『人』は正直なところ、自分が生きているうちがなんとかなればそれでいいのだから、大多数は今を犠牲にした未来を選べない。


誰も不幸にしないために

MAACoは、こういった地方は滅びるしかないと思っている。
というか、滅びるのが全体にとって一番平和で幸せだと思っている。

これまでを生きてきた人々を苦しめず、人生これからの若者を苦しめずに、誰の賛同も誰の否定も得ないですむ方法。

それは自然に滅びることだ。

個人個人が利己を最優先すれば、高齢者は若者のために自分等を犠牲にできないし、若者は高齢者の為に自分等を犠牲にできないのだから、ほっとけば勝手に滅びるわけだ。

そして自然に滅びる道を選んだ場合のみが、世代間対立を煽らない。

例えば行政がどちらかに手を貸した場合、相反するポジションから必ずその意思決定に対する恨みの念がうまれる。

滅びる一歩手前のあたりでは、既に手の施しようのないインフラの崩壊が発生し、残された人たちは地獄を味わうだろう。
対処できなかった国も責任の追求を逃れられない。

それでも、それを回避するためなら若者を犠牲にしていいとは思わない。
彼らには、『その環境にさえいなければ達成できたかもしれない未来の可能性』があるからだ。

地方や日本を捨てる判断力と行動力さえあれば、彼らにはどこでも幸せになれる道がある。
それが日本であってほしいのは、周りのエゴでしかない。

勝手に滅びる道を選んだ高齢者と、自分の人生を優先する若者が、それぞれの責任を自分で取れば良い。
誰が誰のせいにすることもない。

こういった意味では、MAACoは売国奴かもしれない。
どんなに守ったところで環境に適用できないものは自然淘汰されると、科学は知っている。

だからこそ、幸せになるのは日本人でも外国人でも誰でも構わない。
幸せになる努力をしている人、時代の変化に順応するつもりのある人に幸せになってほしいと切に願う。


Rethink MAACo

いつか誰かのためになる。 そんな好循環を夢見て活動しています。 お力添えをよろしくお願いしますm(_ _)m