こんな僕の父親

「アスファルトを蹴り飛ばして、退屈な夜にドロップキックしたつもりで、すべって空振りしてもかっこいいのが赤西仁。そうじゃないのが僕。」と言い続けている僕です。#RealFace
みなさんこんばんは。

父について

両親の家系はめちゃくちゃ運動神経が悪いです。だからかわからないですけど、きちんと僕も悪いです。
しかし、なぜか父はめちゃくちゃ運動神経が良いです。

高1の秋からハンドボールを始めて、途中で骨折をして練習していない期間があるのにも関わらず高3の時に国体に選ばれたり、今も未経験者でありながら、経験者に混じって、草野球メンバーの主力だったりしています。

僕が小学生の頃

僕はスポーツをしていて、6年生になったタイミングで、なぜか母が監督になった。
5年生の頃までは、県の中で「下の中」くらいで、本当に弱かった。(予選敗退は当たり前でした。)
練習や練習試合は楽しかったけど、大会はすぐに負けるから、めちゃくちゃ嫌でした。
予選リーグで負けると、昼から暇で暇で…
母が監督になった時、僕の小学校生活もあと1年。
負けてばっかりは本当に嫌だったし、母もそうだった。
『本気で全国大会を目指そう』チーム全員で約束し、監督になった母、知らぬ間にコーチになった父と家族でも約束をしました。
両親とも、僕がしていたスポーツの経験はないし、母に至っては運動の経験もあまりない。
そんな感じの1年の始まりでした。

こんなこと書いてたら、めちゃくちゃ長くなってしまう!
1年間チーム全員で頑張りまくって、無事に全国大会に出場することができました。

大人になってから

僕が大人になってから、父と昔話をしていました。
僕が5年生の頃なんかは、父はコーチになることを嫌がっていたのに、なぜ引き受けたのか。一番楽しかったこと、思い出に残っていることは何か。

色々な話をしましたが、一番楽しかったことの答えにすべて詰まっていたと思います。
息子と同じ夢を追いかけられるなんて、父親としてそんな幸せなことないぞ。小学生くらいしかないやろ、親が一緒に長くいられる時間なんて。」

めちゃくちゃ嬉しかったですね。泣きそうにもなりました(笑)

僕はそれから、次のことをすごく意識するようになりました。

まず自分が楽しむこと。

『息子のため』ではなく、『自分のため』と言ってくれた父。
うまくいかないこともたくさんあっただろうし、親子喧嘩だってたくさんした。
でも、ずっと楽しかったって言ってくれてました。
息子の立場でこんなこと言うと偉そうですけど、僕と一緒に何かをするってこと自体を楽しんでくれていて、指導がうまくいくとか、結果がどうとかはそこまで意識していなかったかもしれない。
『楽しさ』が一番にあることは、何より大事なことなのかもしれない、と強く思うようになりました。
これからも『楽しさ』を一番にやっていこうと思います!

最後まで読んでいただきありがとうございました!
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#前田敦子  #夢 #教育 #指導 #西野亮廣エンタメ研究所 #父 #親子

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