あまり語られない、個別株投資の着目点。
倫理観が欠如した企業は論外。
新NISAを機に資産運用に興味を持った方もそれなりに居るかも知れないが、執筆時点での資金流入を見ると、年120万円上限のつみたて投資枠は、海外株式のインデックスファンド。年240万円上限の成長投資枠は、つみたてと同じファンドか、日本企業の高配当株が買われる傾向にある。
おそらくあと何年かすると、日本株のパフォーマンス次第ではあるが、パッシブ運用では物足りなさを感じて、個別株運用にシフトする流れが醸成されても不思議ではない。
その際、応援したい企業の株を長期保有する場合は、性質としては趣向品のそれに近いため、お好きにどうぞ的な感想以外ないが、資産運用の観点だと話がちがう。
成長性が見込める優良銘柄を保有したいとなると、財務諸表や相場動向を読み解く知識や経験が必要となってくるからだ。そうしたファンダメンタルズ分析や、テクニカル分析に必要な情報は、玉石混合で巷に溢れている。
それらの鑑識眼を身に付けながら、投資センスも養えるのが理想だが、巷に溢れている情報だけを参考に、財務諸表や相場動向を着目したのでは、大事な観点を見落とす可能性がある。それが倫理観だ。
除草剤、靴下、ゴルフボールの3点セットで話題になった企業が、もし上場していて、株式市場から資金調達していたら、その株主は悪行に加担しているとも捉えられる。
厳密には株式市場で売買しているお金が、直接企業に投資される訳ではないものの、株価×発行済み株式総数で算出される時価総額が、企業価値を表す一種のモノサシとして機能するため、その株を保有する行為が、倫理観が欠如した企業の温存につながり社会的に良くはないだろう。
先日、某SNS上でスラップ訴訟ではないかと話題になった上場企業があった。同じ企業で、一年ほど前に新入社員がパワハラで病みに病むストーリーが話題になった気がするが、そう言う体質なのだろうなと思い、個人投資家目線では投資に値しないブ□ックリスト入りしている。
上記のような、我々が住む日本社会を良くするためではなく、私利私欲のために資本力を駆使して嫌がらせをするような企業や、起こるべくして不祥事を起こすような企業は、たとえどれほど利回りや株主優待が良かったとしても、メッキが剥がれた時のリスクや、健全な社会の創出を阻害する観点で、私としては投資対象にはなり得ないと考えている。
社会全体を考えないと将来世代が苦しむ。
ワケガワカラナイヨ。儲かったお金をパーっと使って経済を回せば、どんな儲け方をしても別に良いじゃないか。お金に色はない。投資銘柄を選んだところで、自分たちの社会が何か変わるなんて大袈裟だよ。筆者は考え違いをしているよ(CV:加藤英美里)
という意見もあるとは思うが、では、社会というのは一体、誰が創っているのだろうか。首相?政治家?官僚?偉そうな役割を担う人たちは、方針を定めて、現場に指示するに過ぎない。
その政治家を選ぶのは民意だから、選挙に行こうなんて綺麗事を言いたい訳じゃない。シルバーデモクラシーで若者が束になったところで勝ち目がないことは、火を見るよりも明らかだ。
ここで伝えたいのは、ひとりひとりの意思決定の総和によって、この社会が形成されると言う事実だ。
いくら厚生労働省がブラック企業をリストアップしたところで、その企業に出資する資本家や、そこで働く労働者、取引先が居る限り、どれほど倫理観が欠如していても存続できてしまう。
逆に出資する人、働く人、商売相手それぞれが、自分さえ良ければと考えずに、将来の日本社会のことを踏まえた意思決定をすれば、自浄作用が働いて倒産まで追い込まれるだろう。因果応報である。
私は元鉄道員のため、鉄道銘柄には詳しい部類と思われるが、投資に値すると思う鉄道株はない。人命を預かる本業は、斜陽産業と見切りを付けてコストカットに終始。人材育成を含めた安全面の投資を渋り、航空会社と比較すると事業そのものの杜撰さが目立つ。
そのうえ、超が付くほどのドル箱路線を有し、1兆円単位の売り上げを稼ぐ上場企業が、認知症事故の遺族に対して約720万円の損害賠償請求をしたが、最高裁で敗訴。世間への見せしめで訴訟していると捉えられても致し方ない。
別の企業では、国鉄分割民営化の際に、鉄道事業の赤字を補うために交付された3,877億円もの経営安定基金という名の血税を、上場時に国庫に返納することなく、債務返済や新幹線線路使用料の前払いに充てるなど、自社の懐に入れたと捉えられても致し方ない会計処理をした。
またまた別の企業でも、果実的野菜と同じ読み方の、美味しそうな交通系ICカードの会計基準を変更する形で、本来赤字だった鉄道事業を強引にプラ転したと捉えられても、致し方ない会計処理をしたことは記憶に新しい。
そのような杜撰だと思う会社を市場が評価せず、働き手も居なくなれば、昨今の地方鉄道のように人手不足で減便に至り、事業規模を縮小せざるを得なくなると、薄給激務で酷使される現役世代が減り、稼げる会社、つまり儲かる産業に人材が移行していく。
「現状維持」と「価格安く」の二本柱でやってきたのが、これまでの失われた30年であり、問題を先送りしてコストカットに終始したことで、成長分野への投資が滞った結果、海外で売れるモノが作れなくなり、円安が進行しているのが現状だろう。
自国でモノが作れなくなれば、海外企業が作ったものを輸入する他ない。そうして更に国内の投資が滞る。自分さえ良ければと、社会全体のことを考えずに意思決定をした影響を受けるのは、なんの罪もない将来世代だ。
少子化とはいえ、身内親族や街を見渡せば、少なからず子どもたちの姿が見えるはずだ。そんな将来世代が明るい未来を思い描けるような企業のオーナーになることこそ、何者にもなれないパンピーにできる、最大限の社会貢献であり、巡り巡ってこれからの社会を創る行為に繋がるのではないだろうか。
配当や株主優待が魅力的だからと、倫理観が欠如した企業に投じるべきではない。