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私は好きにした、君らも好きにしろ。

現役世代に身を切らせる少子化対策。

 政府が異次元と打ち出す少子化対策の予算を、2030年前半に倍増させることを目指し、必要な財源は別途議論する方針を示した。国のトップが、2030年代に入るまでの6〜7年がラストチャンスと訴えておきながら、2030年代前半まで予算の倍増を目指さないらしい。

 そもそも子どもの絶対数が少なく、倍増させたところで全体の予算から見たら大した額ではない。現に2023年度の一般・特別会計で計上されている予算の4兆8,100億円は、純計およそ270兆円の中で見れば、たったの1.78%である。

 500兆円ちょっとのGDP比で見れば1%を割り込む。税制面の優遇なども加味すれば1%ちょっとにはなるかも知れないが、それでもOECD平均である2%台に遠く及ばず、倍増させてようやくトントンになる具合である。

 それに、兵庫県明石市のような財政基盤が厳しい自治体でも、歳出のやりくりだけで子ども予算を10年で2倍以上に出来ているにも関わらず、国債を発行できる権限を持つ政府が倍増を目指すのに7年も掛かるあたりに、本気度が感じられない。

 生物学的に女性が子どもを産める期間は限られており、7年間も待たされたら、現在20代後半で家庭を持つことを考えている方は、2030年には高齢出産に差し掛かる。

 2022年06月13日に開かれた参議院決算委員会で、小野田議員から国費留学生や留学政策のあり方で、日本人の奨学金の予算よりも、国費留学関係の予算が倍以上であることに対して、「日本の子どもたちが日本の宝ですよね?」と投げかけられ、「日本の将来を担う子どもたち、若者は我が国の宝」と渋々答弁したのは記憶に新しい。

 そんな子どもを持つかの意思決定をする、若年層に対する子育て支援策の財源を、現役世代しか負担しない社会保険料から捻出するのは、ある意味「異次元」である。

年金、医療費は高齢者から捻出するのか?

 子育て政策をする財源がないから、現役世代で増税して、世代内で再分配する理屈がまかり通るなら、現に不足している年金、医療、介護の財源は、その恩恵を多分に受けている、高齢者の再分配で完結させるべきではないだろうか。

 国民負担率が40%台後半で推移しており、ただでさえ高齢者に押しつぶされる恐怖感のある現役世代に、これ以上の負担を強いる前に、できることがあるはずである。

 1997年に少子社会となり、それ以前からこれを予期していたにも関わらず、問題を先送りして、今になって少子化問題を現役世代に押し付け、身を切らせるのは、世代間での不公平感があまりにも大きく、シルバーデモクラシーと揶揄されても致し方ない。

 若年層が声を上げたところで、人口ピラミッドが逆三角形なものだから、日本社会全体から見たら少数派以外の何者でもなく、一人一票の選挙で現状を変えようにも、数の暴力によって黙殺された結果が、現在の衆愚政治であり、その鬱憤が一票ではなく、一発やり返す無敵の人事件に繋がっているように思えて仕方がない。

暴力を振るわれたら、当然距離を置く。

 タイトルはシン・ゴジラで牧教授が、グローリー丸に遺した封筒に記されていた言葉である。

 シルバーデモクラシーによって、日本社会は高齢者にとって都合の良い社会となる様に、何も変えずに問題を先送りして、将来世代にツケを回しては、多数派の票を集めて当選することを繰り返している政治家が、好き勝手に舵取りをした結果が、現在の失われた30年に他ならない。

 イーロン・マスク氏も危惧しているように、今の状態で日本社会が推移すると、西暦3000年には日本人が絶滅危惧種となるとの試算も出ているが、昨今の出生数80万人割れの状況から鑑みて、あと9世紀も持つとは思えない。

 今、少子化対策に本気で舵を切らなければ、国力が低下、衰退して900年後には絶滅危惧種となる運命にも関わらず、少子化対策の財源を、子どもを育てる現役世代に負担させる異次元っぷりは、まるで政府が「私は好きにした」と投げかけられているようにも取れる。

 それならば名言の続きでもある「君らも好きにしろ」に従い、合法的に再分配するための財源を取れないよう、税制をハックした生き方を選び、徴収されずに手元に残ったお金は、自分の周囲で好き勝手に分配するまでである。

 その結果が、課税所得の補足率が最も高い給与所得者、すなわちサラリーマンからのリタイアを意味する。都合の良いことに金融資産所得は分離課税だったり、クロヨンの言葉にもあるように、自営業者であれば、経費が使えることで、税法上の所得を低額に装うことは造作もない。

 現状の税制は暦年の損益に対して課され、資産に対しては課されない性質を利用することで、金融リテラシーさえ高めれば、あくまでも合法の範囲内で、課税標準をゼロ付近にして、資産を蓄積させる手法はそれなりにある。

 国民の大多数には倫理的に如何なものかと思われるだろうが、一介の若年層からすれば、余命幾許もない高齢者の人気取りのために、若者が搾取され続ける暴挙が許されている方が如何なものか。とつくづく思う。

 DV被害者が支援されるのに対して、若者のEV被害(Economic Violence:経済的暴力)には何の支援もないのだから、自衛手段として暴力を振るう対象から距離を置くのは当然の選択と言えるだろう。


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