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人生は積み減らすべきと、改めて思う。


災害大国ニッポン。

 ここ数日の九州地方の大雨の映像が、ニュース番組などのYouTubeチャンネルで公開されているが、自宅が倒壊して濁流に飲み込まれる衝撃的な映像を目にすると、改めて自然に対して無力な人類の立ち位置を思い知らされる。

 常日頃、発達した都市文明の、命の危機に曝されない環境で過ごすからこそ、自然が猛威を振るった時のことなど、想定することなく日々の忙しさにかまけて何ら対策せず、いざその時にはパニックで何もできず呆然としてしまう。

 だからこそ、平時の時に想定外の事態を可能な限り予測して、それらが起きても慌てないような対策を心がけたいものである。

 そもそも日本は地球上にある4つのプレートがせめぎあう位置に島があるため、諸外国と比べるまでもなく地震大国であるのは、否定しようがない事実である。

 プレートがぶつかり合うことで、地震が起きたり、火山ができるわけで、地熱のエネルギーを温泉として活用したり、発電する形で、日頃は自然の力に恩恵を受けている側面があるため、一概にプレートが悪だとは言えない。

 それに加えて地球温暖化により、海面の温度が上昇すると、海水が水蒸気となり、雲になる。その雲が上昇気流で冷やされると、雨になり大地に降り注ぐ形で循環している。

 温暖化で気温が上昇すれば、水蒸気は多くなるから、結果として気圧配置によってスコールのような大雨や豪雨として猛威を振るう。これらを現代人の科学技術でコントロールする術がない以上、日本に住む以上、災害は付き物前と言った前提で生活設計するのが賢しい選択ではないだろうか。

「持たない暮らし」が理に適っている。

 そんなことを考えながら、大雨の中、部屋に引きこもって日本株の動きをウォッチする傍らで、弱者男性の姫で話題沸騰中のウェザーニュースのアプリで、近所の河川が避難判断水位になっていたため、浸水に備えていつでも外に出られる準備をしていた。

 定点カメラ画像を見る限りでは、氾濫危険水位や計画高を超えそうな様子はないため、万が一に備えて対策したものの、何も起こらずに終わる、いつものパターンだろうな。と内心思いながらも、まぁ何も起こらないのが一番だけど…とボヤきながら、床置きしている家電製品の類を底上げしていた。

 大袈裟に思うかもしれないが、日頃からルンバ至上主義で、ルンバの走行環境のために床にはモノを置かないのと、冷蔵庫や洗濯機の類は、2〜3年に一度のペースで引っ越している身として、移送や処分の面倒臭さから、とうとう保有しなくなったため、そもそも底上げが大変な家電製品がない。

 冷蔵庫は常温保存品+スーパーやコンビニでその日必要な分だけ調達し、洗濯機もトラベル用品の超音波洗浄機と、暇はあるため手洗いを駆使しながら、必要に応じてコインランドリーを使う形で済ませている。

 結果、床置きしている家電製品はルンバとブラーバに留まり、これらと比較的低い位置に置いているスキャナを、コンテナを積み上げて高所に避難させただけである。

 日頃から土砂災害警戒区域に住んでいることを意識して、所有物はほぼほぼクローゼットの上段(枕棚)に格納しており、テーブル代わりに使っている2つのコンテナも、1つが空でもう1つは衣類しか入れていないため、最悪泥水にまみれても諸々のダメージは少ない。

 元々、定住するよりも、色々な場所に住んでみたい好奇心が満たせるよう、身軽さを追求した結果、ミニマリストを彷彿とさせる持たない暮らしとなっていることが、図らずして災害耐性の強さに直結している。

 いざ警報級の自然災害が発生しても、クローゼットのバックパックに旅行用品を格納しているため、洗面台のトラベルポーチと、適当に着替えさえ突っ込めば、連泊仕様の荷造りは一応完了するし、余裕があれば被害を最小限に食い止めるための行動もできる。

 選ぶほどのモノがないから、あれもこれもと悩む必要がないのは、日頃は決断力の温存に使えるだけでなく、非常時にも効力を発揮する意味で、やはり定住を前提としない、持たない暮らしが災害大国ほど理に適っているように思う。

最期に「これで良い」と言える人生か?

 とはいえ、私はミニマリストがどうも宗教くさくて好きではないし、別に清貧思考を押し付ける意図はない。それでも持たない暮らしにこだわるのは、20代半ばで大病を患い、死を意識した影響が大きい。

 人気のない場所で、全く心当たりのない発作に襲われ、119番通報しようにも声が出せず、自分から何も伝えられない状態から、詰んだと察して通報を諦め「この発作がもし心筋梗塞なら、人生がここで終わるな」と思いながら倒れた。

 1ヶ月間の入院、手術で命は繋がったが、その時に生前に何をしても結局、墓場には何も持って行けない真理に、まざまざと気付かされた。

 尊敬する岡本太郎さんの著書にも、過去の累積物にこだわると、身動きが出来なくなるから、積み減らすべきだと思う。と自論を展開している。

人生は積み重ねだと誰でもやっているようだ。ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の累積にこだわると、いつの間にか累積物に埋もれて身動きができなくなる。

自分の中に毒を持て|岡本太郎

 工業高校卒でありながら、転職で収入アップを実現し、正規雇用でそれなりにネームバリューのある電鉄会社、20代ながら中央値よりは少し高い賃金と、出自を考えれば恵まれた地位だったのかもしれないが、それにしがみつこうと無理を重ねた結果、ストレス過多で内臓を悪くして失った。

 不確かな未来への打算から、身動きが取れなくなり、「今」を生きていなかった。入院時にそんな後悔ばかりが積もったからこそ、今、必要性を感じないものは手放し、積み減らしている。

 いつ起こるか分からないのが災害であり、Apple創業者のジョブズではないが、たとえ今日が最後の日だとしても、これで良いと思えるような生き方を、自分は出来ていないと思うなら、それを阻害している要素を積み減らしてみる価値はあると思う。


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