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投資でモチベーションを保つには。

いわゆるレールの上を行く男たちの人生。

”毎日律儀に定時に会社に通い残業をし ひどいスケジュールの出張もこなし…時機が来れば単身赴任…夏休みは数日…そんな生活を10余年続けて気が付けばもう若くない30台半ば……40、そういう年になってやっと蓄えられる預金高が……1千…2千万という金なんだ…”

賭博黙示録 カイジ|福本 伸行

 これはカイジの利根川の台詞で、私の好きな名言でもある。

 高卒社会人1年目に取り敢えず100万円の貯蓄を目標にして、予定通り1年で達成した私だったが、100万円は成人前の若造(成人年齢引き下げ以前)には大金だとしても、一昔前の価値観で車や住宅、結婚資金などを視野に入れるとまるで足りないことが分かった。

 社会人の100万円なんて、大きな買い物をする時の何れかひとつの頭金にしかならない程度の額で、学生時代に想像した100万円と違い豪遊できる訳でもない現実に落胆したことを覚えている。

 では、いくらの預金があれば、後先考えずに遊べそうな額なのだろうか。そう考えた私は1,000万円という、今まで扱ったことのない桁の数字が思い浮かんだが、今の貯蓄額で逆算すると、10年の歳月を要するのは小学生でも分かる。

 これを何とか短縮するには、質素に暮らして貯蓄率を上げたり、転職して賃金を上げたり、運用して効率的に増やしたりする必要があり、思い浮かぶものは片っ端から試していった。

 保険の解約、格安SIMや新電力への乗り換え、所有物の整理と引越しで家賃削減、転職で月5万円の賃上げ、資産運用で相場の波に乗るなど、幸いなことに試行錯誤の結果が総じて良い方向に向かってくれたお陰で、利根川さんの台詞にある「そういう年になってやっと蓄えられる預金高」を20代のうちに築き上げるに至った。

イチローさんに学ぶ。

 資産額を明かしている友人からは、やれ変人だ、ぶっ飛んでいるだ、頭おかCだ、お金があるのにそこまでケチるかなどと、褒め言葉のデパート状態である。

 ここで感じるのは、恐らく大衆の感覚では、いくら蓄財によって今よりも未来が良くなることがと頭では分かっていても、長期で1,000万円単位の資産を積み上げるモチベーションが保てないから、思うように蓄財できないのではないかと推察している。

 実は私も、大きな病気で入院手術を経験した時は、今までストイックに蓄財してきた過去を若干後悔した。もし医療事故に遭ったら、手術で後遺症を患うことになったら、麻酔科医がしくじって最期だとしたら…。

 ネガティブバイアスに囚われていた側面も多分にあるが、もし仮に今日が人生最期の日だとしたら、今まで蓄財してきた大金を消費して、今日中に使い切ることはできないのは事実で、「貯蓄一辺倒の人生で後悔するだろうな。」と、ほぼ起こらない心配事による後悔に妙なリアリティを感じた。

 この時、今まで愚直に投資元本を積み立てられたモチベーションが、今よりも未来が良くなると信じて疑わなかったことではないことに気付いた。私は受取配当金の総額が年々増加していたことで、モチベーションが保たれていたのである。

 これは、イチロー選手が打率ではなく安打数にこだわっていたのと同じ理由である。打率、運用成績はどちらも割合であり、調子や相場の悪い時に下がってモチベーションが低下してしまう可能性がある。

 それに対して、安打数はヒットを打てば確実に数字が積み上がる。配当金の場合は減配があるから、確実には積み上がらないものの、配当金再投資によって保有株式を増やすことで、滅多なことでは前年より少なくなることはない。

 実際に疫病に伴う業績悪化で減配した銘柄も多数あったが、相場が暴落している隙に、数銘柄を買ったことにより、前年よりも多額の配当が入金されていた。

 この配当金が年々増加するのが快感で、ストイックに支出を削減して、毎年320万円程度の可処分所得に対して、200万円以上の種銭を捻出してきたのである。

 投資は相場に長居している人ほど勝率が高い。継続することが何より重要なのである。だからこそ、確実に積み上げられる性質の数字にこだわることがモチベーションを高く保つコツだと考える。

蓄財した資産を「何に使う」か。

 とはいえ、お金は道具に過ぎない。時には資産運用に精を出すのも悪くないが、最終的には増やしたお金で何を成し遂げたいのか、よく考えた方が良い。

 以前にも記しているが私は幼い頃、乗り物の中では鉄道車両が好きだった。それは、経済的に恵まれていない家庭で、自家用車でしか出かけることがなかったことによる、特別感から来たものかも知れない。

 これは大きくて動くものに感化される、男の子にありがちな乗り物好きの感覚(男性ホルモンの作用であることが最近の研究でも明らかになっている。)であり、成長するに連れ薄れていったが、結果として鉄道乗務員を仕事にしている。

 根っからの鉄ちゃんの念願が叶ったのとは状況が異なるかも知れないが、幼少期に一度は自分の手で動かしてみたいと思った電車を運転する仕事に就いた意味では、夢を叶えた人間と捉えられる。

 しかし、現在は完全に燃え尽きており、子供に夢を与えることすら社会正義を考えたら悪だと思う程度に笑顔が消えている。これならまだ、夢を追いかける過程の方が充足感があった。

 これは、バフェットさんの「結果よりも、そこに至る過程のほうが楽しい。」や、高橋がなりさんの「今できないけど、なりたいって目的を持たなくなった瞬間に人生が終わる。」の発言に通じる部分があり、経済的に独立することを新たな目標にするのは良いものの、働かない自由を手に入れた後に、自己実現として何を追い求めるのかが、人生において真に重要になると考えているため、執筆を初めとする創作活動を手広く行っている最中である。


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