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自然と文明の狭間。

 私は現在、経済的に独立して、生活のための労働に縛られない人生を夢見て、東京で質素倹約な生活に勤しんでいる。以前まで旅している中で、景色や街並み、食文化のバランスを勘案して札幌への移住を目論んでいる。

 しかし、札幌は1年の半分が冬で、その期間、ロクに外出もせず、燃料を燃やしながら家でダラダラと過ごすのは、どうしても少ない消費で早期リタイアを実現するLeanFIREと相性が悪く感じてしまう。漠然と温暖な気候のほうが低消費生活との相性が良いと考えており、思考整理する過程をここに記す。

オーストラリアを侵略したのが欧州人だった理由。

 欧州が歴史上、勝者になったのは欧州人が遺伝子的に優位だったからではない。ユーラシア大陸の気候では、十分な自然資源が得られず、農耕を発達しなければ生き残れなかった環境であったために、文明が発達したことが人類史で明らかになっている。このことは、引用した本に留まらず、ひろゆきさんがおすすめする「銃・病原菌・鉄」にも同じニュアンスで記されている。

”技術革命のきっかけはいつもそうだが、農耕も、人類が始めようと思って始まったことではなかった。土地を耕す必要のない場所では、誰も農耕なんて考えなかった。例えば、自然の恵みが豊かなオーストラリアでは、畑を耕したりしなかった。土地を耕さなければ生きていけない場所でだけ、農耕が発達した。”

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。
|ヤニス・バルファキス (著), 関 美和 (翻訳)

 温暖な気候の場合、自然資源の恵みを享受するだけで生活が成り立ったことから、過度な環境破壊を行わなくても、自然と共存することができた訳である。

大量消費社会に対する疑問。

 主観では、文明が発達する前のエネルギー循環システムが理に適っていたのだと感じる。木を切ることが間伐になり、森を強固なものにする。木材を住宅や薪に使用することで、住環境を整え、人類が生活を営む上で酸素を吸収し、二酸化炭素を排出、それを森が酸素に変換し循環していく。

 実際はそこまで単純ではないと思うが、これを何千年も繰り返していたわけである。しかし、現代の日本人は、自分が作り出すエネルギーの実に40倍ものエネルギー量を消費していると養老孟司さんが主張している。アメリカ人は160倍。石油などの資源は有限でいつか底を尽くわけだから、いつまでもここ百数十年で発達した文明が持続できるとは到底思えない。

 自然に還れと言いたいわけではないが、現代社会はSDGs然り、エネルギー消費量をコンパクトにしていく局面を迎えていると考えているわけである。

 仮に、いくら金融資本から資産が半永久的に湧いてくるような、経済的には独立している状態であっても、大局では寒冷な地域で燃料を燃やし続ける生活が、あるべき姿なのか疑問に感じてしまうわけだ。金融システムや貨幣経済は人類が作り出したものであって、自然破壊に加担してしまう性質を持ち合わせており、長期で持続することは不可能とすら思えてしまう。

 今騒がれている戦争も、根本を辿れば農作物の余剰によるものとされている。寒冷な気候で農耕から始まった文明を発達させて大量のエネルギーを消費するよりも、温暖な気候で大量生産大量消費社会とかけ離れた世界で、自然の恵みを享受しながら暮らしたほうが、世界平和のためには良いのではないかと考える今日この頃である。

”農作物の余剰が、人類を永遠に変えるような、偉大な制度を生み出したと言うこと。それが、文字、債務、通貨、国家、官僚制、軍隊、宗教といったものだ。テクノロジーも、最初の生物化学兵器を使った戦争もまた、元をたどると余剰から生まれている。”

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。
|ヤニス・バルファキス (著), 関 美和 (翻訳)

一周まわって自然と共存。

 私が尊敬する人は、ある分野で一般には成功と言われるだけの功績を残しているにも関わらず、そこから離れて自然と共存する路線に舵を切っているのが今まで不思議で仕方がなかった。一生涯生活するには困らないだけの富を手に入れた先が、自然との共存ではお金など殆ど必要とせず、本質的には少年時代と大差ないからである。

 四隅大輔さんは、ソニーミュージックでミリオンヒットを生み出すプロデューサーだったが、名声、安定、収入の全てを捨ててニュージーランドに移住して、キャンプと釣りによる半自給自足生活を謳歌している。

 高橋がなりさんはマネーの虎にも出演していたSODの創業者だが、2005年に代表取締役を辞任。農業を始めたいと国立ファームを設立してメディアからは姿を消した。

 宮崎駿さんは言わずもがな、ジブリの創設者である。彼はジブリファンの子供が家でトトロを鑑賞するのを、アニメなんか見る暇があるなら、外で遊ばせなさいと一喝した件からも、作品の世界観にあるような、自然の中で遊ぶことの方が、子供が成長する上で重要だと考えており、ジブリの社員保育所では、人工物を極力排除させている。

 養老孟司さんも同様の考えを全世代に向けて主張していて、都会で勤める人は毎年1ヶ月位田舎に行った方が物事が良い方向に進むとして、現代の参勤交代を提唱している。本人は東京大学の名誉教授にもなっている解剖学者だが、57歳で早期退職して趣味の虫取りを謳歌している。

都市と田舎の二拠点生活が理想か。

 私であれば普段は住居費のかからない田舎に居住し、刺激が不足する度にマンスリーマンションなどを契約して都市である札幌に出向く。何も、雪景色の街並みが見たいからと1年間の半分が冬である札幌に定住する必要はないのかも知れない。四隅大輔さんもニュージーランドを拠点に、東京で刺激を貰っていると著書で記している。

 人類は文明を発達させたことで、否応にも経済の循環に関わらなければならなくなった。経済合理主義を突き詰めると、仕事を求める人が自ずと都市部に集まる。しかし、都市部での生活は本来のヒトのあるべき姿である自然との共存とはかけ離れており、それが現代の不幸の根源なのかも知れない。

 だから、成功者はお金を手にした後は、終わりのない資産の増殖に励むのではなく、貨幣経済から解放されたことで、本来あるべき自然との共存生活に戻っているだけなのではないかと、最近思うようになってきた。案外、幸せというものは身近な自然の中で見つかるのかも知れない。自然のカケラもない東京から。


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