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買い物上手が意識する「必要なもの」と「欲しいもの」


「欲しいもの」には際限がない

 私はものぐさな性格ゆえに、片付けというものが決して得意ではないことを自覚している。しかし、ハウスダストに塗れると、鼻炎薬が必須となる体質のため、小綺麗に整理整頓された部屋でなければ具合が悪くなる。

 片付けはしたくないが、小綺麗な空間に身を置きたい。そんな相反する条件を、単なる我儘と思わず、実現できる方法がないかと考えた末、必要以上に物を持たない境地に辿り着いた。

 特に、床にさえ物を置かなければ、あとはお掃除ロボットが、それっぽく掃除してくれるだろうと思うようになってからは、家具の購入に抵抗感を持つようになった。

 それにより、他人様を自室に招待する際、部屋のコンセプトは”内見”と説明してから扉を開けると、十中八九笑われる体たらくとなっている。

 時にカーテンくらい付けたら?とも言われるが、低層階とはいえ、窓側は道路に面していないどころか、景色は羨ましがられる?程度にリアル裏山で、物理的に他人が覗けるような位置にないことや、当直明けで日中に仮眠を取るシチュエーションもなくなったため、必要ないと判断して、未だに買っていない。

 春先に家電量販店なんかを覗くと、新生活応援セット的な、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなどの生活家電諸々をまとめ売りしている光景を目にするが、私からすれば必要ない物が含まれているため、結局のところ、必要なものだけ単品で揃えるのが、最も無駄がなく合理的な結論に行き着く。

 パンピーは、「欲しいもの」と「必要なもの」を混同しがちだ。その証拠に中古市場を見渡すと、不用品であれば仕方がないが、不要品で売りに出されているものが数多くあり、必ずしも必要ではないが、あったら便利かもしれない程度のものを、身銭を切って買っていなければ、不要品なんて出て来ないでしょうに。と個人的には思う。

 もので溢れかえっている現代の日本社会では、いかに消費者に必ずしも必要でないものを、「欲しいもの」と思わせるか、マーケティングを駆使して購買させているわけで、買っては整理してを繰り返している時点で、「欲しいもの」には際限がない。

お金持ちほど、出費は「必要なもの」に収束する?

 構図としては、子どもがしがないお小遣いで、やれあれが欲しいだの、これが欲しいだのと、ボヤくことにキリがないのと何ら変わらない。せいぜい金額の桁が変わったくらいなものだろう。

 良い酒が飲みたい、良い車に乗りたい、良い家に住みたい…6桁、7桁、8桁、9桁あたりまで叶えたら、流石に気が済むかと問われれば恐らく否で、今度はやれプライベートジェットだの豪華なお船だの、バカンスするための別荘だのと言い出し、成れの果ては宇宙旅行みたいな話になるだろう。

 「欲しいもの」にお金を掛けたところで、自分自身の心が、その場では満たされるかも知れないが、長い目で見ると満たされない可能性が高いのだから、そもそも「欲しいもの」に出費をすること自体、不毛なのではないか。

 そうして、「必要なもの」にだけお金を掛ければ、理屈の上では無駄金を使っていないのだからお金は貯まり、いつしかお金持ちと言える程度の資産規模になると考えるが、いかがだろうか。これは、お金持ちほどゴミが少ない傾向とも合点がいく。

 お金持ちのような、お金の扱い方が上手い人ほど、出費は「必要なもの」に収束していき、無駄金を使うことなく淡々と生きている。だからお金が貯まる。身も蓋もないが、堅実的なお金持ち像とは、そんなところだと思う。

根源的な欲求さえ満たせれば、不満はなくなる

 手前味噌だが、私は20代の中ではお金を持っている部類と思われる。それどころか、1世帯あたりの金融資産の平均値と中央値を見渡す限り、既にどの世代の平均値よりも多い金融資産を有しているのだから、相対的にパンピーよりはお金を持っていると記しても差し支えないだろう。

 そんな私が、今年に入ってから何を買ったか振り返れば、自転車+関連用品、衣類、スニーカー、S字フック、iPad程度なものである。iPadは明確に「欲しいもの」だが、それ以外は「必要なもの」の色合いが強い。

 とはいえ、「必要なもの」だから、費用も必要最低限で良いとは考えておらず、むしろ必要だからこそ使用頻度が高く、お金を掛けた方が良いと考え、この辺りがパンピーとの消費性向の違いとも捉えられる。

 人は食事、睡眠、運動辺りが満たせるような、衣食住の環境さえ整っていれば、日常生活で大きな不満を持つことは稀と考えている。

 日頃から特定保健用食品とか、エナジードリンクを多用するくらいなら、不摂生しているその状況を何とかするのが先。眉唾物の睡眠グッズに手を出すくらいなら、8時間しっかり眠る時間を捻出するのが先。運動不足で行くかも定かではないジム代を支払う前に、自家用車を手放すとか、階段移動に切り替えれば、否応にも運動量は増えるだろう。

 ついつい外出したくなるよう、機能性抜群のアウトドアウェアやスニーカーを揃え、朝日を浴びながら散歩に。軽く運動した汗を温泉や銭湯で流したら、風呂上がりに心置きなく美味い飯や酒を飲み食いしては、今日も良い一日だったと微睡みながら眠りにつく。

 読むだけでニヤけるような理想の生活を営めていれば、やれあのトクホやエナジードリンクが気になるだとか、あの睡眠グッズが欲しいとか考えないだろう。

 人はそうした目先の不満を解消するために、喜んで小銭を消費するが、根本的な解決に至っていないことが多い。それは根源的な欲求が満たせるような、衣食住の環境を整える「必要なもの」にお金を使わず、短絡的な「欲しいもの」にお金を使っているからではないだろうか。

 理想的な生活なんてできるわけがない…と端から諦めるのではなく、どうしたらそれに近づけるかを考えながら、投資的な視点で「必要なもの」にお金を掛けていると、いつの間にか買い物上手となっているかもしれない。千里の道も一歩から。



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