見出し画像

うまく行かなくなった時に、本性が表れる。

パニックになると、メッキは剥がれる。

 友人と街に出て地下鉄に乗る際に、先に切符を買ってくると、いかにも田舎者感丸出しな小走りで地下に向かった。

 私はモバイルのため切符を買う必要はなく、余裕で改札前まで直行したところ、友人が焦った顔をしながら「電車止まってる」と私に言った。改札が人溜まりになっていないことから、ついさっき運転見合わせになったのだろう。所定の移動手段で行程をこなせなくなった。

 タクシーは居ない。バス乗り場はどこ?と今にも地上で右往左往しそうな友人を横目に、「ちょっと待て」とGPSをオンにしてGoogleマップを睨む。

 元鉄道員の職業柄、こういう時にパニックを起こすとロクな目に遭わないのは、嫌と言うほど経験している。人は想定外の事態で対処不能のパニック状態に陥ると、日本人の美徳でもある察しと思いやりがどこかに行き、駅係員は心ない罵声を浴びせられる。

 商談が間に合わない。どうしてくれる。と商談では絶対に見せないであろう、鬼の形相で突っかかって来られると、内心滑稽だと思いながら、人間の見苦しい部分を何度も垣間見た。

 自分も含めて、基本的に崇高な人などこの世に居らず、自分さえ良ければと欲に塗れては、他人の足を引っ張り不幸そうな姿を見ては蜜の味を楽しむ、ドロドロな醜い存在であることを自覚していれば、他人に期待することがそもそもの間違いであることに気付ける。人間などその程度である。

 だから私は、リスクを取らない代替手段がないか、地図アプリで調べ始めた。事故が起きると往々にして道路渋滞が発生するから、タクシーやバスに頼ったところで、状況は好転せずにお金がもったいなかっただけで終わることは往々にしてある。そこで何の罪もないタクシーやバスに怒りをぶつけてしまえば、なおさら滑稽だ。

 だから歩きで間に合うのか?ダメなら定時性の高い近隣の鉄道駅まで歩き、到着予定時刻で乗れるであろう列車でいつ頃到着できそうか。これらを目的地の方に向かって歩きながら考え、信号待ちでインターネットの力を借りて解決策を探った。

 結果として別の手段で、その後の行程を断念することなく旅程を終えた。

 経験上、人はパニックになるとメッキが剥がれて本性が出る生き物だから、パニックで行き場を失った怒りを他人にぶつけるような、見苦しい姿を晒す生き物であることを自覚した上で、いかに想定外の事態を平時に可能な限り想定しておき、いざ起きても際にパニックにならないかが重要ではないだろうか。

取り繕わずとも寄って来る他人は超貴重。

 冒頭の友人とは長い付き合いだが、学生時代から典型的な社会不適合者で、集団には端から交わる気のない変わり者の私と、何のメリットがあるのかも明確でない時期に、怖いもの見たさで寄って来た、数少ない変態である。

 私は自分が変わり者オーラをまとっている自覚があり、パンピーが仲良くしようと近寄って来ることは殆どないため、副産物的に寄って来た他人を選り好みする必要がない。

 だから来る者拒まず、去る者追わずのスタンスで居ても、寄って来る時点である程度クセの強い人種に厳選され、取り繕う必要性が皆無だから、結果として裏表がなく、一度関係を築くと去っていくことはほぼない。

 全員から好かれようと八方美人になったところで、結局のところ誰からも好かれない。逆説的に開き直って好き勝手に振る舞っても、全員から嫌われることもない。少なくとも同じことを頭では考えていても、実行できない人が応援してくれる。

 後者で築いた関係性は、損得勘定抜きな場合が多く、そもそも取り繕っていないのだからメッキの剥がれようがなく、うまく行かない時でもついて来てくれる可能性が高い。しかし損得勘定で付き合う人種は、本当に助けて欲しい時には真っ先に去っていく。

 そう考えると本心の赴くままに生きた方が、見栄や世間体を取り繕う生き方よりも俄然生きやすく、その上で余計な装飾がない分、社会的地位ではなく、人間そのものを見てくれる人と関係を築ける気がする。

 そんな旧友の域に達している友人だが、子どもが生まれてからパートナーとうまく行っていないらしく、私が平日に安宿を押さえたため、ダメ元で誘ってスケジュール調整が難しいと返答していた旅行に、申し訳なさそうにやっぱり行きたいからと、宿に再度人数変更をお願いして欲しいと頼まれた。

 そんなこともあろうかと、一度は断られたものの、私は2名で予約を押さえたまま、人数変更はデッドラインまで先送りしていた。単にものぐさなだけだが、きっと来るだろうと思って、変更の連絡は入れてないと伝えたら喜んでいた。モノは言いようである。

 私は友人が有給不回避な、あたおかスケジュールで勝手に予約しておいて、速攻で断られたにも関わらず、予約変更せず放置していた、単なるマジキチ以上でも以下でもない。

 それにも関わらず、向こうの気が変わって、やることが自動的に消滅しただけでなく、感謝までされるのだから、やはり本性が許容できる者同士で、取り繕う必要のない人間関係に勝るものはないと思う今日この頃である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?