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地方でガツガツしている人、ほぼ居ない。


時間がゆっくり流れる、刺激のない地方。

 某日、普段の生活圏内では手に入らないものを買うために、県庁所在地まで出向いた。

 ネットショップで注文して、宅配で受け取っても良かったのだが、一定金額以下で注文すると送料が発生するため、送料が発生しない実店舗で受け取るか、送料無料の条件を満たすために余計なものまで買うか、大人しく送料を支払うかの三択で、店頭受け取りを選んだ。

 送料と片道の電車賃が大差ないのと、県庁所在地の図書館であれば、会社四季報が置いてあり、ちょうど発売時期と重なったため、買い物ついでに四季報を通読すれば、電車賃の元は取れると判断したからである。

 そうして地方都市に出向いたものの、電車は1時間に1本あれば良いほう。特急列車の接続待ちで同じ駅に10分近く停車するのはザラで、今ではそれに慣れてしまったが、私が首都圏で鉄道員をしていた時に、緩急接続で5分も停まれば長い感覚からはかけ離れている。

 駅構内で歩く人のスピードはゆっくりだし、大型ショッピングモール内でクレジットカードの営業と思しき、販促法被を着てプラカード的なものを持っている人は、全く声をかける様子がない。

 都内の高校に進学した後、就職して10年スパンで23区内で過ごしたエセ都民の感覚としては、ボーっと生きてんじゃねぇよ!と言いたくなるようなダラダラ具合だが、その刺激のなさ加減や、全体的にやる気のない雰囲気こそが、地方は時間がゆっくり流れていると言われる所以なのだろう。

衣食住が安いと、必死に稼ぐ理由がない。

 そもそも地方は最低賃金で見ると確かに都市部と比べて2割程度安いものの、賃金の安さ以上に、衣食住のコストが安くできる余地がある。

 とはいえ、田舎暮らしで車が必需品となる場合、生活コストは都市部と大差ないため、あくまでも安くできる余地があるだけだ。

 衣類はユニクロなどのファストファッションや、古着を活用すれば毎月のスマホ代より安く抑えられるだろう。私はファッションに興味がないことから、機能性重視でアウトドアウェアを多用するため、買い替えサイクルが異様に長く、ここ数年は年間で1万円も使っていない。

 食に関しても、地産地消が根強い傾向があるため、産直品は安くて新鮮だ。逆にその地域で採(獲)れないものは、輸送コストの分だけ都市部よりも高くつく。

 そのため、地方移住を検討する方は、その地域の特産品や産直の傾向を抑えておくと、自炊中心の食生活で1日1,000円以内、月に3万円も掛けずに済むだろう。

 住環境は人口減少時代のため、相当な僻地でもなければ供給過剰気味で、投げ売り、投げ貸し状態となっていることが多く、ワンルームであれば家賃2万円台も出せば、それなりの物件で暮らせる。

 広義の住居費で、水道光熱通信費は外せないが、日本は水道技術は世界トップレベルで、公共インフラだから月に数千円。電気代は昨今高騰しているとはいえ、原発が稼働している関西電力、九州電力エリアに居住すれば、ひと昔前の料金水準で暮らせる。

 ガスは雪国でない限り、プロパンガスを契約する位なら、そのお金で銭湯通いした方が理に適っているのが持論で、通信費もオンライン専用プランなら3,000円前後と大して掛からない。

 生きていくのに必要な衣食住+水道光熱通信費が、月6〜8万円程度と都内ワンルーム相当の賃料があれば、地方では最低限の生活が賄える訳で、これなら別にダラダラ働いて手取り13万円とかでも、とりあえず生きていける。

 だから都内のリーマンみたいに、死んだ魚の目をして満員電車に詰め込まれ、消耗してまで必死に稼ぐ必要がない環境が、就業意識の違いとして現れているのだろう。

都会で消耗する以外の選択肢。

 都市部の貨幣経済が絶対的な社会システムに嵌りこんでしまうと、収入が途絶える=割高な生活費で資金が枯渇する=社会的な死を連想することから、アテもなく会社を辞めることが、この世の終わり的な漠然としたイメージを持っている人は多い。

 勤め先がブラック企業の場合、この考え方は危険で、逃げずに消耗していつかは潰れてしまう。そうならないためにも、地方民のような、意識低い系ダラダラスタイルの価値観を知っておくと、視野狭窄に陥らずに済む。

 現に失業率ワーストで名高い沖縄県は、幸福度ランキングでは上位に位置している。日本列島の中で沖縄同様、南国気分を味わえる九州地方も似たような傾向で、失業率の高さに反して、幸福度は高い。

 日照時間の長さから、幸せホルモンと言われるセロトニンの分泌量が多いことや、温暖な気候から動植物がよく育つ。そのため、オーストラリアのアボリジニのように、人さえ多くなければ元来、野にあるものを消費するだけでも、それなりに生きていける環境なのだろう。

 それが、たとえ自分が何もしなくても、野垂れ死ぬことはない安心感となり、就労意識の低さに繋がるのかも知れない。そうした価値観は都会で生まれ育った人ほど、持ち合わせることがないため、結果として意識高い系のガツガツした人が牽制する構図となるのだろう。

 そんな都会で消耗している人ほど、高度に発達した資本主義の文明社会から、一定程度の距離を取る生き方を選択肢として持っておくことが、何より大切なのかも知れない。


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