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大企業を辞めて、下駄屋の後継ぎになることを決意した日

2019年12月、私は下駄屋になることを決意した。

2014年に入社した会社で働き始めて6年が経とうとしていたときのことだ。そのころはまだコロナという言葉も聞いたことがなかった。もちろんマスクもせず、ふつうにお酒が呑めた。そんな世の中だった。

12月は忘年会シーズン。奥さんの家族との忘年会が神保町の牛タン屋さんで開催された。お義母さん義叔母さんと私たち夫妻、4人で牛タンとお酒を愉しんでいた。そんなひとときで、私は下駄屋になることを決意することになる。

仕事が好きでたまらなかった

当時、サラリーマンだった私は、
「仕事することが好き」✖️「仕事内容も楽しい」✖️「給与も十分」という最高の環境で働いていた。それにも関わらず、この飲み会をきっかけに下駄屋になることを決断した。
一見矛盾しているように感じるこの決断についてお伝えしたい。

なぜ大企業を辞めてまで、下駄屋を継ごうと思ったのか。

今振り返ってみると、毎日の仕事は楽しいけど心から楽しめていないような、ワクワクした日々が過ごせていなかったのが原因だった。

この気持ちを言葉で表現するならば、いわゆる「将来が見えてしまった」ということだと思う。
決して、「きっと、X年後かに〇〇になって、そのX年後に本社に戻ってくる。そして、どこでも活躍できる自分ならばいつかは役員に….」といった驕った話ではない。

仮に出世できるとしても、出世しないとしても、「答えがわかるには数十年かかる」ということがわかり、少しだけうんざりしてしまっていたのだと思う。
(もちろん、私という人間がサラリーマンの年功序列型社会に合っていないということも原因のひとつではあるが…)

「会社が嫌で嫌でたまらない!」とか、「毎日の仕事がしんどすぎる!」といったネガティブな理由で会社を退職したわけではなく、ポジティブな新しい一歩へのチャレンジとしての退職だったからこそ、”今”があるように思える。

きっとネガティブな理由で退職するための手段として今の道を選んでいたら、怖すぎて想像すらできない。

少しの自信と酒の勢い

話を牛タン屋の中に戻す。

普段通りの何気ない会話を楽しんでいたが、ふとした時に話題は奥さんの家族の稼業である「大和屋履物店」のことになった。

当時、大和屋履物店は80代の義祖父母がお店に立って切り盛りしていた。そこに義母がサポートに入っている形だ。(もちろん、これはこれでものすごく情緒的で良いことではある)

80歳を超えると体力・体調の面が心配だ。それに加えて、何やら義母・義叔母にもお店の将来のことで考えていることがあるように感じた。不安と同時にやりたいこともある。どうやって進んだらいいかわからない状況のようだった。

私はワクワクした。不思議だがワクワクという感情しかでてこなかった。文字で書くと、失礼なやつに感じるかもしれないが、私の心は高揚したのであった。

なぜワクワクしたのか。

まず、目指す姿がはっきりとあること。そして、そこにどんな人材が必要なのかが明確にあったこと。この2点を聞いた時、変な自信が湧き上がってきてしまったのだ。

「あ、自分でパズルが完成するじゃん!」

そう感じた。謎の自信に満ち溢れていた。会社生活で身につけたスキルと知識を活かせると思ったのだ。

そう感じた時、すでに「私にも協力させてください。」と発していた。ビールならばほとんど酔わない私ではあるが、慣れないワインのせいで酔っていたのか、かなりの思いつき発言ではあるが、そう口にしていたのだ。

いま考えると、奥さんに何の相談もせずに勝手に下駄屋になる決意を酔っ払ってしていたのでひどい旦那だと自覚している。

さらに言うならば、この時私の頭には「奥さんの実家だし反対できないだろう」という計算もすこしあったので嫌なやつだということも自覚している。

そして、その発言を受けた義母と義叔母。さすが神保町出身の江戸っ子!「いきでいなせ」なもので、細かい事を気にせずにお義母さんたちも大賛成してくれた。
もしかしたら超安定の大企業で働く男性と結婚することが夢であったかもしれない、私の奥さんの意見なども気にすることもせずに…

リニューアルまでまだ1年半

こんな勢いで決断した私の転職(独立?)だが、そこから間も無く3年が経とうとしている。結果は、まったく後悔をしていない。もちろん、リアルな部分で言うと、収入は減ったが、チャレンジすることで一時的に収入が減ることは許容しないといけないことだと考えている。

何よりも変え難いのは自由な時間が増えたこと。そして出会える人の幅が広がったこととその人数の多さに驚いている。これはどちらも自分自身の成長に大きく寄与していると思う。

この記事で書いてきたことは、2019年12月の出来事。その後のリニューアルオープンは2021年の5月。1年半の月日が流れることとなる。

「大和屋履物店」の改装計画はこの1年半の間にたくさんの話し合いを重ねてきた。どれも重要な話し合いだった。

もちろん、経営に関して全員で方向性を合わせるといった内容であったが、それ以上にお互いの信頼関係の構築の時間でもあった。

どんな打ち合わせをしてきたのか。私はその中でどんな役割を担ったのか。そのようなお話もこれからぜひお伝えしていきたい。

つづきます。

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