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茶漬けネタ 先駆者様が 既にいた

 昨日の記事『捨てられた永○園の浮世絵カードはどこへ行ったの?』を投稿した私は密かにニヤニヤしながら寝床に入った。

 毎日更新を謳っているものの書き溜めが苦手でライブ感100%で記事投稿しているので、ネタがパッと浮かばなかった昨晩は焦っていた。

 別にネタが不足しているわけではない。音楽ネタや おでかけネタに読書感想文など8,000個くらい引き出しを持っているが、短期間で形にする技術が不足しているのだ。大好きな作品を毎日更新の間に合わせのためにレビューするのは信条に反するし、何より作品に失礼だ。創作への礼節を欠いている。

 もう23時近くなり記事を書くのを半ば諦め、いつものクマの写真を弄って投稿してお茶を濁そうとしたその時、稲妻のような啓示が降り、昨日の記事が投稿できたのだ。大袈裟なこという割にネタがしょーもないとかいうなよ。


 私はこのネタを結構気に入っている。"美しいものを捨てる苦しみ"について書けたし、なにより「"永谷園のあのカード"に言及したのはネット上でも私だけだろ!」なんてことを思っていた。

 しかし自分の記事を見返していたとき、"おすすめ欄"にこんな素晴らしい記事が出てきた。なんと1年以上前に"あのカード"について記事を書いている方がいたのだ!!

 2021年以降は更新されていないようなので詳細はわからないが、こちらの方はウェブ上で活動しているプロのデザイナーさんのようだ、イラストも文章も素晴らしい。

 この記事で"あのカード"を取り扱っている部分の前半は、私の記事に近い紹介の仕方をとっている。特に"ポケモンパンのシール"を例にあげているところが凄い。実は私は丸パクリしていたんじゃないか?なんて読みながら青ざめたぐらいには、紹介の仕方が近いと思う。

 しかし後半で大きな差が出ている。この方は"あのカード"を「永谷園のお茶漬けを買ってくれている人たちの心と生活を、少し明るく、少し豊かにする」ものとして捉えている。

 一方で私は、脳髄の至る場所をこねくり回し、思考からありったけの毒をかき集めて、ドスゲネポスのごとく口からペッペッと吐き散らしていただけだった。


 人間としての器で、スケールで大きく負けた気がする。人間同士、勝負をしていなくても勝手に敗北してしまう事はよくある。なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい。

 確かにこの記事を読むと"あのカード"がいとおしいものに見えてくる。ダイソーのシールは絶対不要だが、"あのカード"だったら愛せる気がしてくる。

 同じものをみても、各々の人間性によって捉え方は大きく違うんだなぁってことを強く認識した今日この頃なのでした。感性は美しく清らかでありたいものですね。

おしまい


 まぁ反省なんてできないのだが。

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