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「な」は「泣いたっていい」「なんでも受けとめるよ」

おいしょっと、ほいさ。こんにちは

「泣いちゃだめ」

そう育てられてきたわたしたち世代(勝手に仲間意識バンザイ!)


泣くことが悪いことだって
我慢することが良いことだって


そう心と体に染みついてしまっているような気がする

二年間お世話になった恩師がコートの向こう側、対戦相手の顧問をしている
上手くいかないプレー
ごまかしきれない怪我が悪化
「なにやってんだ」「ぼーっとすんな」
観客席から罵声だけが耳に届く
それでも泣いちゃだめだ

父がいなくなったあの日も
兄が母を車で轢き殺そうとしたあの日も

わたしは泣かなかった、泣けなかった
もう心が麻痺していた


「泣いちゃだめ」は誰のため?


自分のためじゃないことに大人になって気がついた

泣かない強いふなこ
我慢強いふなこ

そういう わたし でいないといけないって
そういう わたし でいないと誰からも認められない気がして

勝手にそういう決まり、決めつけの中で生きてきてしまった


すぐに泣いてしまう人を軽蔑して
我慢ができない人を責めたくなって

独りよがりにもほどがある

できあがったのは強いわたしじゃない

心の狭いわたしだ



泣くのを我慢すると
泣くのを我慢している自分がえらいことになって
泣くのを我慢している自分を肯定してもらいたくなって

いつからか

我慢強いね

が最高の褒め言葉になってしまう

そして次は

「我慢をさせる環境や人が悪いんだ」

というマインドに陥りやすくてとても生きにくい、これ実体験

過去と他人は変えられないんだ、ふなこ
すぐに泣いてしまう人を軽蔑したり
我慢ができない人を責めたり
環境や人のせいにしたり

そうやって生きるのはしんどかったよね、ふなこ
むすめにそうなってほしいわけはない


だからそもそもの
「泣いちゃだめ」という決めつけを

とっぱらったのさっ
(爽快感を読んでいる方に届けたい気持ち)



子どもに

「泣かないでえらいね」とか

「我慢していてえらいね」とか

つい、言っちゃいそうになるけど、気をつけないと。


わたしはずっと泣きたかった

「泣いてもいいよ」って言ってもらいたかった



世間が決めたなんとなくの風潮のために
泣くのを我慢する必要なんてない


悔しかったら泣けばいい
悲しかったら泣けばいい

親は全てを受け入れてあげる存在でいてあげたい

「きみのなんでも受けとめるよ」


「泣いていいんだよおおおおお」
って、一緒に泣いてあげるくらいがいいんだ


結局は存在の全てを受け止めてあげる、っていう
自己肯定感を育んであげたもん勝ちなんだと思う

自己肯定感とは、自己に関する感覚であり、自分が自分についてどう考えどう感じているかによって決まる感覚です。
そのままの自分を認め受け入れ、自分を尊重し、自己価値を感じて自らの存在を肯定する「自己肯定感」の感覚は何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうかで評価するのではなく、そのままの自分を認める感覚であり、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態が土台となります。

日本セルフエスティーム普及協会HP

何を隠そうわたしは
自己肯定感がものすごく低い人間だったために

恋愛では相手に尽くすし依存するしで
見返りは欲しいし常に不安だから愛を注いで欲しいし
いわゆるメンヘラと呼ばれる面倒くさい女でありました

誰が相手でも共倒れをするお付き合いしかできなかった
相手が悪いんじゃない
わたしが変わらないとって気づいたところから
新しい女、ふなこが始まったんだ
いつかそれもnoteに書いていこう
(子育て記事なのに脱線すみませんんん)

自己肯定感がものすごい低い人間だったために
「自分軸」で生きることができず

「他人軸」・・・他者評価、他者基準

で生きてきたこれまでの人生

親や先生がえらいって、いい子って言うようなことだけをする
上司や先輩が喜ぶようなことができる
計算でもなんでもなくて
誰かに評価されることが自分の生きがいになっていった

悪いことではないんだけれどね

でもね、落とし穴は

他者に自分の人生を左右されてしまうこと


自分の人生なのに
自分で自分を評価、というか認めてあげることや
自分で自分を喜ばせることや
自分の機嫌を自分でとるなんてことが

できなくて。

結局は

人に依存した生き方

自立していない生き方

なんだ、って気づいてね。

子どもをもつ母親になって 

他者基準がありすぎたわけです

・義父母さん ・実母 ・近所の方 ・ママ友
・公園にいる知らないママさん(ちゃんとしてるって思われたい……)
・買い物中の知らないママさん(気にしなきゃいいのに、ほんと) 

そして
・溢れる子育て情報

苦しい しんどい 辛い 
頑張りきれない 正解がわからない

誰のための 子育て?
誰かの評価のために子育て、してるん?わたし?


だから変わりたくて。

自己肯定感を高めること
自分軸になること

旦那という素晴らしいお手本のもと
むすめが生まれてこれまでの五年間で
ここまできたようなふなこなのです
旦那の生き方や考え方を「別人種だ……」と捉えていたくらいでしたが
今はわかります
いや、まだまだわからないこともたくさんあるけれど
責めることはなくなりました(夫婦円満noteなんて書いてもいいかもしれないがおこがましいな、やめよう、プロに任せよう)

長々書きましたが

「泣いたっていい」って子どもに言ってあげるんだ、そして
「なんでも受けとめるよ」って。

それだけで大丈夫。

みなさまに幸あれ。

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