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地獄のバレンタイン

前に「生来のガサツが執筆まで影響してきて、もうやってらんないワ!」というnoteを書いたのだが、今日、また新たにひとつ加わった。お菓子づくりだ。

たしかにそうだった。
小学生の頃から料理、の中でも特にお菓子作りが徹底的にできないタイプの子どもだった。

お菓子作りが苦手な子どもにとってのバレンタインシーズンは、もはや地獄。大人こそ市販のチョコレートを送ることが許されているが、子どもはそうはいかない。暗黙の了解で、手作りでもらったものは手作りで返すという、いつかの時代の部族のような等価交換社会だったのだ。

で、手作りの友チョコでいちばんオーソドックスなのは、たぶん板チョコを溶かして流し込むアレだ。しょうがないから私もアレをつくっていた。

しかし困ったことに、板チョコを小さく刻んで、お湯をはったボウルの上で溶かすだけのそれが、どうもうまくできないのだ。
どうやらボウルに少しでも水滴が残っていると、チョコと混ざって温度が下がり、変に固まってしまうらしい。洗ったボウルを水滴を残さず拭くという行為が毎年できなくて、もしかして私のボウルは拭いても拭いても、水滴が取れない不思議なタイプのものだった......はずもなく、これもおそらくはガサツゆえだった。

チョコレートを溶かことすらできない自分の不器用さに、毎年発狂していた。けっきょく、湯煎はいつも母親にやってもらい、母親がつくったチョコレートを、さも「私がつくりました」とでも言うように涼しい顔をして渡していた。
母親が溶かすチョコレートは滑らかで、いかにもそれらしいチョコレートになった。どこへ持っていっても恥ずかしくない。同じ血をもらっているとはとうてい思えなかった。

しかし小中高...と学年がじょじょに上がっていくにつれ、おませな女子たちのつくるお菓子のグレードは格段に上がってくる。手先が器用な子はサクホロの凝ったクッキーを作ったり、パティシエ並みの創作的なチョコレートを格子状の箱に入れて持ってくる子が現れてきた。
もはやバレンタインデーはいかにチョコレート以外のものを作って広く学年に渡らしめるかに自らの「女子力」(死語)を勝負する日になっていったのだった。(チョコレートは一体いずこへ)


もうほんとうに勘弁してほしい。しかしクラスの村八分を恐れた私はこの流れに当然逆らこともできず、なんとか湯煎チョコレートから卒業する方法を考えた。

結果思いついた名案が、「手先の器用な友達を一緒に作る」というこざかしい方法だった。(今これを書きながら、そこまでしてバレンタインに命をかけていた自分がおかしくてしょうがない)
もちろん、私が担当するのは計量係のみだ。エプロンをしてただ友達の隣に立って実況し、しかるべきタイミングで材料を横から渡すだけ。材料は無駄にできないので、まさか私が混ぜたり、大事な焼き加減をみて測ったりなどは絶対にしない。さながらキューピー3分クッキングのアナウンサーのようだった。

彼女は私が知る人の中で1番几帳面で丁寧な人。ひとつもミスが許されないお菓子作りの現場でも、レシピを見ながらきちんと美味しいお菓子をつくれる、私から見れば天才中の天才だ。
けっきょく、その子のおかげで1人ではぜったいにつくれなかっただろう、絶品のブラウニーとスノーボールが出来上がった。本当に友達様様だ。本当にありがたかった。彼女のおかげで、バレンタインの修羅場に胸を張って応戦することができたのだから。

ということで、口が裂けても合作とはいえないわたしのお菓子づくりだったのだが、この友達のつくるブラウニーとスノーボールが、冗談抜きに、世界でいちばんおいしいお菓子だった。
特にスノーボールの、手作りだからこそ成せるやさしい甘さ、ていねいに網でこされた粉砂糖のなめらかさといえば、他のどんなスノーボールにも勝てやしなかった。セブンイレブンの高いスノーボールを食べた時もそう確信した。あの子のスノーボールが、今でも世界でいちばんおいしい。

無事バレンタインの修羅場をくぐり抜けた今、もはやお菓子をつくることはほぼなくなった。バレンタイン地獄で憂鬱になることもなく、デパートのラッピングコーナーもおだやかな気持ちで眺められるようになった。

......今日、マグカップケーキなるものを作った。

つくったというより、「混ぜた」。

卵1個にホットケーキミックス大さじ5杯、それから油と砂糖が大さじ1杯。(甘めがいい人は砂糖を大さじ2と書かれてあったので、私は大さじ4くらいじゃかじゃか入れた。)そしてレンチンで1,2分。

なんて簡単なの!これならきっと私もできるはず!♪
と思った私は、やはり自分を過信しすぎていたらしい。

マグカップが小さかったのか、すぐに溢れる寸前まで生地がなかから飛び出してきた。2分レンチンしても中身に火が通っているのかわからないほどテカテカしており、怖かったのでその後何回か1,2分を繰り返してレンジにかけることに。ホットケーキミックスなんだから、当然、ホットケーキのように、かわいい焼き目がつくとばかり思っていたのだ。

繰り返すこと2,3回、とうとう痺れをきらして中から取り出し、スプーンでぐさっと指してみる。

......あれ、硬い......!!!

熱を通しすぎて、もはや底がかちこちになっていたのだ。冷めていくうちに上のスポンジもかたくなっていく。慌てて底からぐさっと掬って口の中に放り込む。
だって元の生地はホットケーキミックスだよ?
こちらは当然、ホットケーキをコップの中に入れたような見た目をすると想像しているんだから。

カチカチになっていくスポンジを見ながら、
「......いやいやいや、焼き目がつかんとわからんでしょ!!!!」
とツッコミそうになった。レンジ1,2分を守らなかった私がどうみても悪いのだけど。
そしてなぜか薄味だった。砂糖を大さじ4杯も入れたはずなのに。
もしかして、あのスプーンは大さじじゃなかったんだろうか。なぜこうなったのかいまだによくわかっていない。

なんだろう、こういうところなんだよな、私。
プロがつくったレシピより、素人な自分の目と感覚の方を信じてしまう。そしてそれに拍車をかける自らのおおざっぱさ。

例えばお味噌汁とかカレーとかはまだいいのだ。失敗して味が薄くなっても、後から調整が可能だから。普通のごはんであれば、わたし特有のダイナミックな修正で一応「食べもの」にはなる。

お菓子作りの嫌いなところは、後から修正がきかないところ。
ひとつでも失敗してしまうと、もう食べられなくなるくらい全部がダメになってしまう。いささか繊細すぎやしないか。にもかかわらず、お菓子作りのレシピは皆、文字に書いてないところにもコツや技があるような気がしている。だって、レシピの文字通りに作ってもうまくいかないんだもの。

う〜ん、悩ましい、お菓子づくり。

カップケーキをじょうずにつくれた人は、そのコツと一緒にこっそり私に教えてください。参考にします。

失敗した今日のカップケーキ。トランプ元大統領の髪みたい。











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