見出し画像

今日も今日とて、つまらぬものを

毎日だ。

毎日、別に書かなくてもいいこと、つまらないことを書いている。ここ最近は特にひどいと自分でも思う。駄作にも程があるだろう。こんな内容を書いていて、もしやお前は暇なのかと自分で自分にツッコんでいる。「よくぞこんなにつまらない内容を堂々を数千字も書けるよな」と。言っておくがこれは卑下でも隠しきれてない自惚れでもなんでもない。菓子折りを手渡される時に言われるアレでもなく、私のこれは心の底からつまんねえなあと思っているのだ。

懐かしい友人と会って幸せな気持ちで帰路につく帰り道、突然自分のつまらないnoteのことを思い出してふと憂鬱になるときがある。でもここ最近はそれすら消えて、もはや道のど真ん中で笑い出しそうな気分にすらなっている。あまりにもつまらないnoteを書く自分がおかしすぎて。多分何かのリミッターが外れている。

「なんてオレはつまらない人間なんだ。自分は本当になんてことない人間だ」と、絶望に打ちひしがれているうちはまだ可愛い。そこからもっともっと段階が上がると、人は開き直ってつまらない内容をつまらないと知りながらも平然と真顔で書けるようになってくる。人はと言うか、私の場合は、だけど。今も真っ暗な部屋でめちゃくちゃ真顔でこのnoteを書いている。

今年でnoteを初めて3年目になるが、noteで発信する上でまず第一にきたのは純粋な書くことの喜びだった。最初はとにかく書くことが楽しくて楽しくて。書くことも無限に出てくるわ、澱みなくスラスラ言葉が出てくるわ、いいねもそれなりにつくわで、それはそれは輝かしいスター状態を誇っていた。

第二のフェーズ、一気に自身喪失状態に入る。書くことに慣れてくるとだんだんと他の文章が上手いユーザーやフォロワーの多いユーザーが視界に入ってくるようになる。いい気持ちになっていた自分の実力不足を実感して、筆のペースが遅くなる。

第三フェーズは、そこからなんとか自分の実力をあげようと、今度は文章が上手い人の真似をしはじめる。好きな作家、好きなウェブライター、好きなエッセイスト......とにかく憧れの文体を、まるで乗り移ったかのように真似して書いていく。一応、「書いている」気分にはなれる。

第四フェーズ。そこから卒業できない自分にまた苦しむ。守破離の離ができなくて、何を書くにも憧れの文体が亡霊のようにまとわりついてくる。自我の喪失、書くモチベーションの喪失。憧れの人たちの真似事ばかりをしていたので、「自分の書くことも所詮は彼らの二番煎じだ」と思い込み、自分のことを信じられなくなる。

第五フェーズはようやく亡霊から解放され、noteデビュー以来の待ち侘びた春が訪れる。書くことが楽しい時期の再来だ。ここで、なんとなく自分が世界に向けているアンテナの立て方の癖のようなものがわかってくる。「自分は意外と哲学的なんだな」とか、「おれは結局ネガティブだよな」とか。ちなみに私の場合は、とにかく思考の渦が下に向いていくような困った感じのアンテナを立てがち。少し前にnoteのコメントに「れおにーさんの書くエッセイは独特な重量がありますね」といった内容を皮肉ではなく純粋な気持ちで書いてくれた人がいた。ひどく納得した。私のエッセイは多分超重量級。

第六フェーズ。自分のアンテナの立て方の癖を矯正したくなる。
自分のものの見方の癖がわかってくると、その癖が文章の中で万人受けするかどうかもなんとなくわかってきてしまう。もちろん、私の書く重たいゴリゴリの思考トルネード型エッセイが広く受け入れられるタイプなわけがない。そこで自分のアンテナの矯正を図ろうとするのが第六フェーズだ。

ここからはすこしだけ余談。
女性のエッセイは、結局丸いものが求められている。丸くあれとは誰も言っていないが、上にあがってくるものをよくよく見ればわかる。どれも丸っこい、結局人懐っこいエッセイしかない。女性らしい、食や美しいものや人と繋がりに関するやわらかいエピソード。出てくる人たちの言動のおもしろさ。それらに対する、書き手側の丸くあたたかくも芯のある自らの行動や感情。大前提、自分のことを「オレ」などと言って困惑させないことなど。
もちろん、私はそういう丸っこい女性らしいエッセイが書けない。というかそもそもがそんなに丸っこい性格をしていないから当然だろう。息を吸うように丸っこいエッセイを書く女性に、別の生物を見るようなまなざしで見つめている。無論、思考の癖やアンテナの癖はそうそうに矯正できない。

第七フェーズ、おそらく今の私がいるところ。無の世界。もう何も思わない。いや思うんだけども、まるで神経を失った生物のように平気で無心に書きつづける。人とも比べるし、自分の幼さや読み手を選ぶ内容であることへの謎な罪悪感もある。周りの「上手い文章」をかく人への憧れと同時に、「多分どう足掻いてもそうはなれないだろう」という諦めに近いが本能的な勘もある。ほぼ毎日面白い内容を書いている人への感心もある。
嫉妬、悲しみ、喜び、楽しみ、悔しさ。全ての感情を使った。その上で、ああ、今日もつまんないなと思いながら書く。この強靭なメンタルよ。そろそろ悟りが開けてきた頃かもしれない。

ここで私は卑怯な技に出たいと思う。卑怯な技とは、この第七フェーズを勝手に正当化させるために、著名人のツイートを貼り付けることだ。声のでかい人間の意見を引用するなんて、基本的に弱い人間のすることである。それを私はやる。

吉本ばななの次に私の人生の師匠である坂口恭平は、無能こそ継続をすべきだという教えをといてくる。質やクオリティでウンタラカンタラ言って外に出さなくなる方がまずいのだと。私も師匠の教えに従い、質なんて気にせず毎回つまらねえこと書くなあと思いながら、なんだかんだこれからも毎日更新していくつもりだ。
結局言いたいことはそれかよってね。

そろそろ明日は書くことに恵まれたいです。明日も頑張って生きましょう。おやすみなさい。

最後まで読んでくださりありがとうございます。 いいね、とってもとっても嬉しいです!