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【音楽史】ガス室への分かれ道にて~ナチスに虐殺されたチェコ人音楽家(後編)

皆さん、こんにちは! 在米25年目、ニューヨークはハーレム在住の指揮者、伊藤玲阿奈(れおな)です。

前回の続き、ホロコーストの犠牲になったチェコ人音楽家、後編です。前編はこちらからどうぞ。


3.最後の最後に妻子を殺された指揮者カレル・アンチェル

2人目は、指揮者のカレル・アンチェル(1908~1973)です。今回ご紹介する3人のなかでは唯ひとり戦後まで生き延び、日本のクラシックファンのあいだでも有名になった人です。

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カレル・アンチェル

酒造業を営む裕福なユダヤ人の家に生まれたアンチェルは、プラハ音楽院を卒業後、ヘルマン・シェルヘン(画期的な指揮法の教科書を著したことでも有名)といった当時一流の指揮者のもとで学びながらキャリアを積みます。20代から30代前半にかけては、チェコスロバキア・ラジオ放送などで活躍しました。

しかし、チェコがナチスの保護国になってしまうと、ユダヤ人であるがゆえにキャリアを絶たれてしまいます。すぐに国外に逃避すれば良かったのかもしれませんが、敏感に未来を見通すことなど誰でも難しいものです。そのままチェコに留まった結果、アンチェルは1942年に家族と一緒にテレージエンシュタット収容所に送られてしまいます。

前編でも書いたとおり、テレージエンシュタットには優秀な音楽家が集められており、アンチェルはテレジーン弦楽合奏団の指導者に任命されます。もちろんナチスにとって真の目的は、1944年に予定されている国際赤十字社の査察団を出し抜くため。彼もその芝居に利用されたのです。

その時にナチスが制作したプロパガンダ映画『テレージエンシュタット』(1944年・正式名称『総統はユダヤ人に街を与え』/未公開に終わったが20分ほどのフィルムが残存)にもアンチェルは出演しました。

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ナチスのプロパガンダ映画『テレージエンシュタット』のオープニング。子供たちによるメンデルスゾーン作曲『エリア』(意図的に音楽はユダヤ人作曲家の作品を使っている)の演奏。

幸いにも、残存しているフィルムの中に、テレジーン弦楽合奏団を指揮している若き日のアンチェルの姿も確認できます。みんな一体どんな気持ちで演奏をし、聞いていたのでしょうか。協力すれば自由にしてやると言われていたはずなので、それに淡い期待を抱いていたのでしょうか。

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映画で指揮するアンチェル(periscopefilm.comより)

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アンチェルと弦楽合奏団の全景シーン

このような芝居をうって、まんまと国際赤十字社をだますことに成功したわけですが、そうなるともう音楽家もその家族も用済みです。終わるとすぐに殺戮施設を備えた他の収容所へと移送が始まります。

アンチェルと妻子も家畜用貨物列車につめこまれ、アウシュヴィッツ強制(絶滅)収容所へと送られました。

アウシュヴィッツには正門まで鉄道がひかれてあり、そこから収容所内へと入るときに、これからの命運をわける儀式がありました。医者をふくむ担当者が電車から降りて来た人々をふたつのグループに分けるのです。

ひとつ目はまだ働ける者のグループ。そして、もうひとつは労働者として役に立たない者のグループ。こちらには老人・病人・多くの女性や子供が含まれました。

前者のグループは、粗末な衣食住を与えられ、当座は生き延びることができます。しかし後者のグループは・・・。ガス室などで早いうちに殺されてしまうのです。

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鉄道から降りたら運命の分かれ道。アウシュヴィッツ収容所の「死の門」

若く壮健なアンチェル自身は前者に振り分けられて、なんとか戦後まで生き延びることができたものの、彼の奥さんヴァリィと、テレージエンシュタットで産まれたばかりの息子ヤンは、ガス室に送られてしまいました。

彼がどれだけの心の傷を負ったかは想像だに出来ません。しかし、その悲しみを打ち破るように、戦後は指揮者として大活躍しました。終戦から5年後の1950年には、チェコ随一の名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に任命され、同オケを世界レベルにまで引き上げます。

1959(昭和34)年にはチェコ・フィルを率いて来日し、大評判になりました。私の手元に、雑誌『音楽芸術』1960年1月特大号(音楽之友社)があるのですが、当時の名だたる評論家が勢ぞろいした「1959年度の演奏会を回顧して」という座談会記事でアンチェルとチェコ・フィルが絶賛されているのが確認できます。同時期に来日したウィーン・フィルとカラヤンのコンビよりも良いという評論家も数名いるくらいです。

こうして日本のクラシック愛好家のあいだでも、アンチェルは名前が知られるようになりました。彼の前半生を襲った運命を考えると、なにか嬉しくなってしまうのは私だけでしょうか?

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『音楽芸術』1960年1月特大号(音楽之友社)p.149。世界最高峰のウィーン・フィルと「帝王」と呼ばれた指揮者カラヤンよりも断然よかったと評されている

4.咳をしたせいでガス室に送られた作曲家パヴェル・ハース

最後にご紹介するのは、作曲家パヴェル・ハース(1899~1944)。

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パヴェル・ハース

ハースはブルノで靴職人として働くユダヤ人の家に生まれ、ブルノ音楽院で音楽教育を受けながら、チェコの有名作曲家レオシュ・ヤナーチェクにもついて学びました。

活動期間が比較的短いこともあり、残された作品はあまり多くありませんが、主に劇場(映画もふくむ)のための音楽に秀でていたようで、1938年のオペラ『サルラタン』は評判を呼びおこし、当時チェコ音楽界で権威のあったスメタナ財団から賞されています。

ところが、そんな栄誉もつかの間、1941年にはテレージエンシュタットへと送られてしまいました。運命を予感していたのか、事前にユダヤ人ではなかった妻ソーニャと離婚することで、ソーニャはもちろん、まだ幼かった娘オルガまでも捕まらないように配慮したそうです。ハースは優しかったんでしょうね。

収容所では精神的に落ち込んでいたようですが、仲間の励ましにより作曲活動を続けました。そのうち3曲が現存しており、そのうちの1曲『弦楽のための習作』はプロパガンダ映画『テレージエンシュタット』でも披露されています。

実は、その指揮を担当したのがアンチェルでした(そして、このスコアを後世に伝えたのも彼です)。ですから、先ほど紹介した映画からの写真はハースの作品を演奏しているシーンだったのです。

ハース自身も、映画のなかで曲が終わって拍手をしている観客にお辞儀をしているところが一瞬だけ写っています。

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お辞儀をするハース(舞台下、左の立っている人物)。舞台上で立っているのがアンチェル(映画『テレージエンシュタット』より)

このように、アンチェルと親しく交わっていたハースです。アウシュヴィッツへと移送されるタイミングもアンチェルと同じでした。

ここからはアンチェルがハースの親族に語った内容です。

家畜用輸送車から降ろされ、アウシュビッツへと入る段になりました。そこでは先ほど書いたとおり、人々はふたつのグループに分けられます。その選別作業を担当していたのは、「死の天使」と呼ばれた悪名高き医師ヨーゼフ・メンゲレ(下記参照)でした。

ハースは、アンチェルと隣同士で並んで待っていたいたそうです。いざ順番になったとき、アンチェルは危うくガス室送りのグループに行かされそうになったのですが、その時、もっと身体が弱っていたハースが咳き込んでしまいました。それを見たメンゲレは、アンチェルの代わりにハースをガス室に送り込んでしまったのです。

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アウシュビッツで微笑む「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレ。
アウシュビッツで非道な人体実験を行った。その実験体を手に入れるために、自ら進んで選別作業を買ってでていた。戦後はブラジルに逃走、偽名で暮らすも1979年に溺死。

なんという2人の運命でしょうか・・・。妻子はもちろん、自分が親しく交わった同僚もこのような形で見送ることになるとは、残されたアンチェルは思い出すたびに苦しかったことでしょう。

ハースとアンチェルの家族がアウシュヴィッツに移送されたのは1944年10月15日。そのアウシュヴィッツがソ連軍によって解放されるのが1945年の1月27日。前編のルドルフ・カレルもそうでしたが、本当にあともう少しで平和が訪れたのに残念でなりません。

今回はナチスのホロコーストによって犠牲になったチェコ人の音楽家を、たった3人だけではありますがご紹介しました。皆さん、いかがだったでしょうか? ぜひ皆さんもこの悲劇を伝えて頂ければと願っています。

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執筆者プロフィール:伊藤玲阿奈 Reona Ito
指揮者・文筆家。ジョージ・ワシントン大学国際関係学部を卒業後、指揮者になることを決意。ジュリアード音楽院・マネス音楽院の夜間課程にて学び、アーロン・コープランド音楽院(オーケストラ指揮科)修士課程卒業。ニューヨークを拠点に、カーネギーホールや国連協会後援による国際平和コンサートなど各地で活動。2014年「アメリカ賞」(プロオーケストラ指揮部門)受賞。武蔵野学院大学大学院客員准教授。2020年11月、光文社新書より初の著作『「宇宙の音楽」を聴く』を上梓。

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