【クラシック超入門!】ピアノの超絶技巧は音の多さ・派手さだけじゃないぞ
皆さん、こんにちは! 在米25年目、ニューヨークはハーレム在住の指揮者、伊藤玲阿奈(れおな)です。
去る7月21日の午後、20年来の大切な友人であるピアニスト、マクシム・アニクーシンのコンサートがNYのワシントン・ハイツで開催されました。私は自宅から離れることが出来なかったのですが、幸いZOOMでのLIVE中継があったので、そちらで楽しみました。
マクシムは、共産党時代のロシア、つまりソビエト連邦に生まれ、リヒテルやギレリスはじめ数々の名ピアニストを生んだモスクワ音楽院で教育を受けました。
ソビエト連邦が崩壊した時にアメリカへと移住、米国籍を取得したのです。そしてジュリアード音楽院で学び、マンハッタン音楽院にてDMA(音楽芸術博士号)を取得しました。
私が彼と出会ったのは丁度20年前の2002年。ジュリアード音楽院の教室でした。その時にマクシムの演奏から受けた衝撃については、またの機会に書きたいと思いますが、それ以来の友人です。
カーネギーホールなどでも共演しましたし、YouTubeにはプライベート録音で音質はイマイチながら、マクシムをソリストに迎えたシューマンのピアノ協奏曲もあげてます。
さて、21日のコンサートは平日午後ということで、コミュニティー向けの1時間ほどの短めのプログラムではあったものの、圧巻だったのはロベルト・シューマンの傑作『交響的練習曲』。
この曲は、あるテーマのメロディー(主題)があって、それをどんどん変奏していく「変奏曲」と呼ばれるジャンルにあたります。変奏というのは、主題のもっている音や性格を変えていくこと、いじっていくこと。もとのテーマから変化しているのが聴き取りやすい変奏もあれば、楽譜を見ないと分からないものもあります。
それと同時に、「練習曲」と銘打たれているということは、弾きこなすと技巧を高める練習になるという意味も込められていて、この曲は難易度がことさら高く作られていることでも有名です。何を隠そう、私も大学時代に挑戦して、あまりの難しさに挫折しました(笑)
シューマンのピアノ曲は、技巧的に難しいのですが、それが表に出てこないことが普通です。たとえば、佐賀県の漁師さんもが憧れて弾いてしまうほど有名なリスト作曲『ラ・カンパネッラ』なら、見るからに派手で難しそうですね(実際は、そこまで超絶に難しくはない)。一方、シューマンはそんなに派手に響かないけれど、指の動きは非常に難しいというのがよくあります。彼がリスト風の見せびらかすような技巧を嫌っていたからです。
しかしながら、この『交響的練習曲』は例外。いくつかの変奏、そして特に終曲はピアノの轟音が『ラ・カンパネッラ』のように響き渡ります。
ただし!
その轟音は、リストの(一部の曲の)ように「ホラ難しいでしょ、ココ凄いでしょ」という「技巧を見せびらかすために大量に書いた」音符ではなく、「音楽的にここで大量に必要だから書かれている」音符なのです。つまり、どんなに轟音でも、ひとつひとつの音符にはっきりした意味があります。
どういうことか?
ここで、曲タイトルの前半部分に冠された「交響的」という言葉が関係してきます。この日本語は原語(ドイツ語:Sinfonische/英語:Symphonic)を忠実に訳したもので、文字どおり「交(まじ)わるように互いに響き渡っている」という意味です(ちなみに、「交響」の訳語を作ったのは『舞姫』などで知られる大文豪・森鴎外だそうな)。
つまり、さまざまなメロディーや和音が同時並行的に響き渡るのであって、単純に右手がメロディー、左手が和音で伴奏というわけではないということ(なお、同時に響き渡るのを独立したメロディーラインに限定するなら専門用語で「対位法的」と呼ばれます)。
したがって、『交響的練習曲』では、右手と左手がそれぞれ高音域と低音域で違う音楽を響かせつつ、さらに両手の中央寄りの指も動かし、真ん中の音域で別の音楽を響かせるという技を披露する場面が頻繁にあります。
たとえるなら、たくさんの楽器が鳴り響くオーケストラ曲をピアノ一台で再現する感じ。
したがって、「ここはフルート」「そっちはチェロ」のように、それぞれの音域で音色・ニュアンスを微妙に変えることも暗に求められているのです。これがまた難しい!
以上について、『交響的練習曲』から具体的な例をあげてみましょう。楽譜付きのYouTubeの動画がありましたので、目と耳で確認してみて下さい。
まずは、やはり変奏の大元になる主題テーマの確認から参りましょう。動画の始まりをご覧ください。譜面はこのようになってます。
赤でひいたラインが、この曲全体の主題(テーマ)です。「ドーソーミード」と下がる音形で始まっていることを認識して下さい。
この主題は、シューマンの友人が作ったものです。変奏曲は自作する場合もありますが、他の作曲家や民謡から主題を借りてくるケースの方が多いのが特徴です。
主題メロディー(赤ライン)以外は、シューマンが作ったもの。特に下の段の2小節目以降は、オタマジャクシの尻尾の向きが、同じ段の中でさえ上と下に分かれていたりして、他人の作った主題をシューマンが「交響的」に作り変えていることが、冒頭からすでに分かります。
そして、この赤ラインの主題が、これから変奏されていくわけですが、例として、「第2変奏(第2練習曲)」の冒頭(2分43秒)をあげておきます。譜面ではこうなっています。
赤でひいたベースラインが主題です。そのまま「ドーソ―ミード」となっていますね。対して、青でひいた最も高い音域ソプラノは、ここだけに新しく付けられたメロディーが書かれています。そして、緑で示した真ん中の音域(アルト・テナーにあたる)で細かい音符がならんでいるのが伴奏音型。ハーモニーを打っています。
ちゃんと「変奏曲」になっているでしょう? そして、まさに「交響的」ですね!
この第2変奏、テクニック的に難しいのは、右手の小指と薬指で青ラインを、左手の小指だけで赤ラインを弾いて、ともにメロディーとして目立たせつつ、他の指で伴奏音型を弾かなければならないことです。
しかも、伴奏音型はメロディーより目立ってはなりません。
正しい音を抑えることはもちろんですが、この音量バランスのコントロールだけでも、初心者・中級者にはハードルが高いものです。実際にやれば分かりますが、強い筋力としなやかさが必要で、相当な指の訓練を要します。
やはりこの曲は「練習曲」でもあるというわけですね!
最後に輝かしい「終曲」を見てみましょう。この終曲は主題とはまったく別のメロディーが一貫して使われているため(ある作曲家のオペラからの引用)、とても明るく勇壮なものの、それまでとは違う印象を受けます。
いずれにしても、最後のクライマックスにいく直前から聞いてみて下さい。
「終曲」のクライマックス直前部分(32分17秒)。この部分、楽譜ではこうなっています。
もとの主題とは無関係のメロディーが展開されるのですが、この部分になって主題(の一部)が回帰しています。赤ラインをひいた部分がそうで、最初は左手の真ん中音域(テナー)、次に右手ソプラノとアルト、というふうに。交互に繰り返されます。
他にも声部が同時に鳴っていますが、ここまで読まれた方には、どこがどう交響的になっているか、もう見つけられるはずです。
各音域ではっきり役割分担がなされていますね。オーケストラ楽器をあてはめるなら、低音域はコントラバスやチューバ、中音域はホルン、高音域はバイオリンやフルートが担当といったところでしょうか。
ちなみに、このあと大盛り上がりになって全体を閉じますので、ぜひ最後まで聞いてみて下さい。
この曲もシューマンらしく、聴いた感じよりも実際はさらに難しいです。いっぺんに幾つも音を鳴らさないといけない箇所が多いので、日本人の手のサイズには相当キツいかも(経験者談(-_-;))。
しかし、いくら難しくても、音符のすべてに音楽的な意味があることは、何となくお分かり頂けたと思います。
いずれにせよ、指の速度や一度にさばく音の量だけが超絶技巧なのではなく、これらの要素も同じく超絶的に難しいものであり、一流のピアニストであればあるほど大事にするものであることはクラシック美学において大切な真実なので、皆さんもぜひ知っておいて下さい。たくさんの音を速弾きするばかりのピアニストの演奏なんて、音楽の必要とする要素を理解できていない、またはそれを再現できるテクニックがないわけで、つまりは音楽的な内容はむしろ乏しいのです。
さて、コンサートの話に戻ります。
わが友マクシムは凄まじい圧のある音楽を繰り広げてくれました。もともとロシア系のピアニストは、恵まれた体格を活かしたテクニックで圧倒する人が多い印象があります。
マクシムも、巨人が咆哮するように圧倒的な部分と小人が囁くように繊細な部分のコントラストがついた、ロシアの伝統的ピアニズムの面目躍如たる演奏でした。
もともとベートーヴェンが得意なだけあって、いろいろな音を「共に鳴り響かせる」ことでガッチリした建築物を創りあげる『交響的練習曲』との相性も抜群だったと思います(ただ、テンポを揺れさせる必要のある曲とは、昔からマクシムは適性が合いません。たとえばロシア人ながらラフマニノフを苦手としています)。
この超難曲で凄まじい爆演を聴かせてくれたマクシム。あらためて友人として誇らしく思いました。
あ、いや・・・
この曲で挫折したことのある私には、途中からまるで千手観音がお弾きになっているように見えちゃったよ(笑)
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