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#1 毒親と生きて気付く事

自分の属性を嫌って生きてきた。
なんで自分はこんな人間なんだろうか。違う人生だったらよかった。と何回悔いただろう。

けれど私の人生での属性は、まさにこれを書く私を作り上げる糧、私をワタシたらしめる要素。

いつからか悔いはなくなっていた。

家庭の話をする。
私の母は毒親だ。
今思えば仕方ない、寂しい人だと思えるし、許せる事も多い。けれど"ワタシ"と私を解離させたのは紛れもなく両親であり20年近く私は悩ましい毎日を暮らした。その記憶を今でも夢で追体験する。ふとした日常に影を感じる事だってある。
現在は両親と離れ隠れるように暮らす事で平穏を享受できていて、愛する人もいる。周りにもできるだけ私で接している。だからなのかもしれない。許すという勇気を出せるのは。

私は親の家業を継ぐと生まれた時から決まっていた。そこが悲しい連鎖の発端とも言っていい。
私が家業を継ぐ為に両親、特に母親は多大な労力を使った。その労力が積もれば積もるほど祈りや期待が膨らむ。誰だってそうだ。課金したゲームをすっぱりやめられないように。そして期待とセットなのは落胆で、私は何度も彼女を酷く落胆させた。
父親は酷い浮気性で、機嫌が悪いとすぐ暴言を吐いた。父方の祖母も母親のことを執拗に責めた。
それが母親を毒親にしてしまったのだと思う。決して彼女の本質がそうだとは思いたくない。

母は私が勉強ができないとよく言った。
"こんなに一生懸命尽くしているのに"と。
幼い私は頼んでないのに…と思ったものだ。
私はお花屋さんになりたかった。メイクさんにもなりたかった。本屋さんにも。
なんで勉強をさせられているのか、子供は分からない。いや、自分はわからなかっただけ。
自分の興味関心を全て否定されて暮らす事がどれだけ辛かったか。今思うと小学生の頃までが1番辛かったと思う。
勉強室で30センチ物差しを片手に本を読む母親の隣で勉強をする私。滑稽だがそれが私だった。

その傍ら不倫を繰り返す父。単純で甲斐性のない人だ。彼がもっと嘘がうまかったら。器用だったらこうはならなかった。彼が女の空気を纏って帰る度母が泣き、怒り、私も怒られた。

可哀想な人。

孤独感と落胆に押しつぶされそうな生き方を私のせいでさせてしまった。

私がもっと出来がよかったら。申し訳ないばかりだ。

追い出されて玄関の前で夜を過ごす中で私はそう思う。夜空を見て暇を潰した。私は空が好き。それはいつだって私のそばにいた。何も言わずにただ見ていてくれた。私の支えでいてくれた。
朝玄関が開く。
"着替えて学校に行きなさい"
優しいのだ。
その声は彼女が母親に戻ったことを意味した。
安心できた。落ち着いた、と。
彼女が母親を諦めていないことが嬉しかった。


つづく

私の日常をおもしろいと思ってくれたら嬉しいです。 毎日"楽しい"を記せたらいいな、って思います。