あいつのやさしさ
「俺のことを信じすぎるなよ」
「わかってる」
ううん、わかってなかった
あいつがどういうことを言っていたのか、何を言いたかったのか、何もわかっていなかった気がする。今だってわかっていないのかもしれないけど。
最近になって気づくやさしさがある
私は彼の言う通り、信じすぎていたのかもしれない。それは自分に対しても。周りに対しても。
周りにも自分にも「こうあってほしい」っていう理想を作って、自分の中で勝手に信じて、勝手に裏切られたような気持ちになって、それを繰り返していた。その人の一部しか知らないのに、残りの部分を想像で補って、その想像に裏切られた時に勝手に苦しんでいた。
大好きだった友人と、ある日突然縁が切れた。「あなたのことをこれ以上嫌いになりたくない」と言われた。
別の大好きだった友人に自分の相談事をバラされた。なぜか軽く嘲笑われていた。
別の大好きだった友人に、よくもわからない勘違いをされ、少し疎遠になった。
全部が全部嫌だった。自分も周りも全部が嫌になった。
しょうもないことの繰り返し。ぐちゃぐちゃになった感情が、自分の中でずっと自分の首を絞め続ける。
感情の整理が苦手な私は、それにずっと悩まされていたけど、その原因が「信仰」だと悟った
周りの人に対する信仰。特に大好きな人たちに対する信仰は、何よりも大きいのだろう。期待という意味もある。大好きだとよりそれが見えにくくなるから厄介だ。
いろんな話をして、仲良くなって、その人の一部を全てとして信じてしまう。期待してしまう。自分が言ったことに対して、全力で考えてくれているだろうとか。こういう行動をしたということは、こういう性格をしているんだろうとか、こういう考え方をしているんだろうとか。人はそれぞれ全然違うのに。その人の少ない情報から、その人の全てを勝手に想像し、信じ、期待していた。
大好きだった友人、君とならやり直せるって思っていたよ。そんな言葉を聞きたかったわけじゃない。私の中の君だと、「私も傷つくことはあったけど、思っていることを話せてスッキリした」って言ってくれるはずだった。
別の大好きだった友人、君ならもっと真剣に相談を聞いてくれていると思っていた。少なくとも私は君の相談を真剣に聞いて、真剣に考えて、君の話も全部、自分の中に留めていたよ。
別の大好きだった友人、思っていることは言ってほしいって言ってたじゃない?私も同じことを言ったじゃない?わからないもんだなぁ。
どれも私の想像で、どれも私の信仰。これを守る責任は誰にもない。昨日優しくされたから、今日も優しくされるかわからないし、明日なんてもっとわからないし。普段遅刻しない人が、今日は遅刻するかもしれない。でもそれだってそういうもの。普段遅刻しないからって、その人が今後絶対に遅刻しないってそれは私の妄想なの。
やっとわかった。やっとわかったんだ。
あいつの言っていた言葉の意味が。
あいつがあの日、あの時、どういう意味で、どういう気持ちで、私に何を伝えようとしていたのか。
でもね、だからこそ気づいたの。
彼はいつも私の信仰を裏切らなかった。
ううん、裏切らなかったんじゃない、裏切らないように、私を傷つけないようにしてくれていた。
いつも裏切りそうな時はこの言葉を言っていた。
「俺のことを信じすぎるなよ」
でも、それを言うことで、彼は私の彼へ対する信仰を守っていた。
だからこそ、君は、ずるいやつなんよ。
誰よりもやさしいくせに。
誰も信じていないとか言ってるくせに、自分が一番だとか言ってるくせに、誰よりも人を見て、誰よりも人の信仰を守ろうとしている
そんな君こそが信仰に囚われていて、いつも自分のことを見ていない
だいぶ前からその信仰に気づいているくせに。
皮肉にもそれが君のやさしさ
君はやさしくないって言うけれど
君は十分やさしいよ。
無論、これも私の信仰なのかもしれない。知ってる、そんなこと。
でもね、だからこそ私は君に惹かれたのかもしれない。
こんな不器用なやさしさも、身勝手な信仰も、愛に変わるのなら悪くないのかもなんて
自分が捻くれすぎて笑っちゃうや。
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