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いつも心にあったのは。

中学三年生の終わりかけ。

体育の授業だと言うのに、いつだって半袖に、薄い長袖のジャージを着て、外でテニスをしていた。

私は別に体育が格別にできる方ではなくて

嫌いな競技だってあった。

それでも自分なりに楽しみながら、全力で、頑張っていた。

運動部に入っていたわけではないから、体育の先生とはそこまで親しくはなく。

顧問として面倒をみている生徒には優しいくせに、それ以外の生徒には厳しい先生は嫌いだった。

持久走なんて最悪だ。

どの体育の先生も持久走だけは特に、怖い声で喝を入れていた。


冬はいつも持久走と何か別の競技を交互にやっていく。

あの日はテニスをしていた。

夕暮れ。

体育が終われば、あとはホームルーム。

それを意識しながら、授業を受けていたと思う。

その日は連日の疲れが溜まっていて、体力も限界だった(10年ぶりにインフルエンザにかかるくらいには疲れが溜まっていた)

ちょっとだけって自分に言い聞かせながら、近くにあったベンチに腰掛け、ぼんやりと周りを眺めていた。

どれくらい経った頃か、

いや、そんなに時間は経っていないはず。

隣に誰かが座った気配がして、パッと隣を見た。

そこには体育の女の先生が座っていた。

まずいと思って、立ち上がろうとしたが、先生は

「疲れたね」

と優しい言葉をかけてくれた。

そうだ、この先生は、この先生だけは、いつも優しい。

体育の先生は大嫌いだけど、この先生だけは別だった。

一度、持久走の記録帳の感想の欄に

「最近、2時間しか眠れていないせいか、走りながら眠ってしまった。反省」

と書いたことがある。その先生は返答に

「身体を大切に、無理のない範囲で頑張ってね」

と、コメントが添えられていた。

他の先生だったら、きっと怒られていたに違いない。

こんな感じで、この先生だけはいつも優しかった。


「〇〇(苗字)は、将来、何になりたいんだ?」

突然の質問に戸惑いながら、時期的に、そういうものか、と解釈し、答える。

「研究者になりたいです」

そうか、と彼女は頷くと、沈黙が生まれた。


「なれるよ、〇〇なら」

沈黙を破ったのは彼女の方からだった。

「なれますかね」

私はそう返した。

「うん、最近も頑張ってるの、先生知ってるし。すごく難しいことも発表してたし。あれ、すごかったね、先生、びっくりした。難しすぎて先生、わからなかったもん。あ、でも、すごいことはわかったよ??」

二人で一緒に笑った。

嬉しかった。先生が嘘をついているように見えなかったから。

「身体を大切に、無理のない範囲で頑張ってね」

これが彼女と交わした最後の会話だった。

この授業を最後に、先生は産休に入られる、とのことだった。

誰も知らされておらず、とても驚いていたのを覚えている。

確かに、少しだけお腹が大きくなっていたような...

曖昧な記憶しか残っていない。

それから間も無くして、彼女の相手が、当時、その学校の中で、一番イケメンだと言われていた体育の男の先生であることがわかった。

彼女は格別に綺麗だと言うわけではなかったけれど、その時ばかりは、その男の先生に対して「見る目あるじゃん」なんて、生意気に思ったりもした。


時は過ぎ、あれから一年、二年、三年、と月日は流れ、私は今、研究者のタマゴをやっている。

まだ研究者ではないけれど、研究者のタマゴ。

ここにくるまでに、本当にいろんなことがあった。

進路で親と揉めて、家出をした日。

受験前に、周りに「無理だろう」と言われていた日。

受験に落ちてしまった日。

最後の最後で大学に受かった日。

実験だらけで、夜遅くに泣きながらレポートをやった日。

難しい参考書に頭を抱えた日。

自分でさえ、自分を信じられなかった日もある。

それでも、悔しい時に、苦しい時に、辛い時に、いつも心には、あの会話があった。

「研究者になりたいです」

「なれるよ、〇〇なら」

私の言葉に、嘘なく、真っ直ぐに「なれるよ」って返してくれた先生の言葉に、いつも支えてもらっていた気がする。



先生、お元気ですか。

赤ちゃん...も、今では、すっかり小学生ですか。

私も中学生から研究者のタマゴになりました。

私、今でも先生との最後の会話、覚えているんです。

今度は私が本当に研究者になってから、最初の会話をしに行きますね。

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