悲しい知らせの「その時」の気持ち="人の数"ということ
悲しいことがあったから、
四六時中悲しんでいなきゃいけないわけじゃない。
その日、誰かの悲しい知らせが届いたから
即皆んなが皆んな泣くわけじゃないだろう。
悲しみのタイムラグや、振れ幅は人の数だけあると思ってる。
SNSやニュースで悲しい知らせが届くと、なにかしら「お気持ち」を投稿しなきゃいけない、本来不要だった義務感。
誰かに何かを言われる。
近親者や友人も干渉される。
おかしな世の中だ。
感情を一括りにしないでくれないか?
音楽を聴いてちゃだめなのか。
「辛くならないの?」って聞かれるけど正直回答に困るんだ。
彼らの音楽を聴くのは、今は辛い人もいる。
逆に寂しさが薄れる人もいる。
私は後者。
だから毎日聴いてる。それだけ。
寂しいのは悲しいのは私も同じだよ。
ちょっとだけ許しておいてほしい。
ほっといてほしい。
元気になる曲だってあるよ。
ダウナーな歌詞の曲もすっと入るよ。
中には、どうか今は聴くのは辛い曲もある。
私たちには日常がある。
いつも通りの日常がある。
率先して延々と所謂「病み」に突入し続けるするのは、個人的に合わない。
映像の中で、楽しそうに仲間と演奏している。
そんな彼らを見ているだけで元気になるよ。
本当に全員が大好きだ。
ギターの彼が心配だ。どうかゆっくり休んで欲しい。他メンバーもどうかご自愛を。
そんな辛い中で、
「今すぐ気持ちを整理しようとしなくて良い」
といった感じの内容のコメントをした、ドラムのリーダーの彼の言葉は今も心強く、心の支えになり続けている。
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