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悲しいとき、寂しいときは。【モニターの向こうにいた好きな誰かを失ったときに】
悲しみにはタイムラグが人の数だけあると思っている。
年々そう感じる。
好きなミュージシャンを失った時どう考えるか。
訃報のあったその日、悲しまないといけないわけではない。
そして必ず泣かなきゃいけない決まりなんてない。
けれど泣きたくなった時は、遠慮なく泣けばいいじゃない。
もうすぐ好きなバンドのライブがあります。
私は精神が持ち堪える自信がないので、家で配信を見るかさえ迷う状態です。
行けても、当日はきっと会場にいて立ってられる自信がない。
そして実はそのバンドのメンバー全員が大好きなんだ。
ファンのかたちにも決まりはない。
悼み方は人それぞれ。
メンバーの心強い公式コメント
そのバンド内のメンバーが言っていたコメントに救われる時もある。
今回はその言葉でとても心が軽くなった。
そのコメントは、
同じパートを演奏している彼。(私は高校時代のみ部活として演奏)
そちらも勝手ながら、ほんの少しだけ縁を感じる。
ますますメンバーたちが大好きだ。
悲しいのは、寂しいのは私たちだけじゃなくてメンバーも悲しい。
メンバー達のそのままを更に受け入れるということ
そのメンバーたちも今は決して無理をせずに、また笑える日を気長に待っている。
どんな形になっても受け入れようと思う。
大切なのは無理をしないという事だ。
悲しみ方・悼み方は人の数だけあるということ
悲しみのかたちや悼み方のかたちを一括りにしなくても良い。
同じファンに心無い言葉を言う人は時々いるね。
「お金落とさないならファンじゃない」
「にわか乙」
「パ○ピ」←(某掲示板のほぼ貶しの意味を現す用語)
誠に窮屈だ。
そんな声。気にしなくていいのに気にしまう。
時としてそんなことはある。
悲しい時こそネットは見ない
そしてその短い単語の言葉で、どれくらいの人が長く引き摺ってしまう事か。
投稿ボタンを押す前に、是非とも
・言葉に棘がないか、
・不機嫌な時や落ち着かないときに投稿しようとしてないか
これらを確認して欲しいのだ。
今回その事も試されている出来事と、私は個人的に考える。
ファンのかたちを草分けする窮屈な社会
ちなみに私はバンギャではなく一般のファンである。よく尋ねられるのでこう答える。
バンドが好きなだけで、バンギャなのか一般のファンなのかを草分けしなければいけない。これまた窮屈な世の中になっている。
悲しみに暮れているときは、しばらくスマホを置いておく時間を増やそう。
情報を得ようとしても、毒にしかならないのが目に見えてる。
見ても公式の情報待ちのみでいい。
ノイズはオフ多めにしておこう。
ネットで人の心の闇が顕在化した世の中。
ネットで普段合わないような人が、良くも悪くも視えてしまう世の中。
やはりスマホは一旦置いておこう。
気分転換に散歩に出かけたり、
誰かと生の雑談を楽しんだり、
読書をするのもいいじゃない。
だんだん気分が晴れていくのがわかる。
でも無理に気分を晴らそうとしなくていい。
心強かった
そんな心境になる事が早めに出来たのが、そのバンド内のメンバーのコメントでした。
今回引用は割愛します。
ありがとう。
そしてエッジの効いた独特の弦楽器を弾いて、時にラジオやテレビで楽しく癒してくれたその人へ。
今までありがとう。
さようならではない。
君の存在は癒しでした。突然いなくなってしまって今とても寂しいですが音楽はずっと聴いていこうと思います。
というかさっきも聴いてた。
飽きないな。
生きづらいこの社会と世の中に、
とても必要なキャラクターの持ち主だったのではないかな。改めてそう思う。
肩が凝ったのでハーブティー飲んで
一服するとします。
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