自分らしい解釈が、自分を作る。
『名前とは、人生最大のキャッチコピーである。』
このメッセージを聞いた時、ハッとした。なんだか、ドキッとした。 名札、解答用紙、ノート、書類、カード、名刺、企画書…今まで数え切れないほど、見て書いてきた。最も長く付き合ってきた言葉たちなのに、ちゃんと調べたことがなかった。いや、向き合おうとしてこなかった。もしかしたら、小学校の宿題で向き合う時間があったかもしれない。ただ、記憶に残っていないということは、不真面目なわたしはきっと面倒だ!とまじめに取り組んでいなかったのだろう。
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わたしは今、「言葉の企画2020」に参加している。 第3回目のお題は、「名付けの企画」。名前の由来を知り、伝わるように企画書にする。何を伝えるか、どう伝えるかも自由。とてもシンプルなお題だが、無意識に名前と向き合おうとしてこなかったわたしには、何をどう伝えていいのかわからなかった。
由来に感動的なストーリーなんてないだろうし、課題とはいえ今更親に尋ねるなんて恥ずかしい。理由はわからないが、あまり好きではない自分の名前を大きく書いたノートを前に、どこから始めるべきか考えあぐねていた。そんな中、出来上がったものは名前の5字の語源をただただ調べたもの。「企画書」ではない。「資料」は求められていないとわかりつつも、これが精一杯という思いで提出した。
そして、いざ107名分の「企画書」を前にした時、恥ずかしくて仕方がない感情に包まれた。
「これじゃないよね…」
わかってはいたが、現実を目の前にすると心がギュッと締め付けられた。心の奥底にある感情に向き合えなかったことへの後悔。変わろうとしなかったことへの後悔。この機会を大切にできなかったことへの後悔。悔しい過去の想いを超えらればかった後悔。それでもまた、目の前の現実に素直になれず、自分の感情に蓋をしたまま数日間を過ごしてしまった。
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講義当日。阿部さんから冒頭にも書いたメッセージをいただいた。その瞬間向き合あえてこなかった理由がなんとなくわかった気がした。
『意思を受け取るだけで、自分らしいの解釈をしてこなかった。』
自分で自分を育てることができる。正解が決まっているわけではなく都合のいい解釈ができる。そう考えたときに、スッと腹落ちいた感覚があった。自分で好きなように決めていいんだと。それができたら、きっともう少し自分に自信が持てるようにもなるかもしれない。キャッチコピーとして誇らしく掲げられるかもしれない。そっと背中を押されたような気がした。
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向き合うことを避けてしまったこの企画、今ではありがとうという感謝の気持ちでいっぱいです。すべては自分次第、解釈次第で変わる。心がふわっと軽くなったからこそ、もう一度この企画にもう一度取り組みたいと思えている。
阿部さん、「資料」じゃないわたしの「企画書」作ります。 (そしてnoteの提出遅れてしまいすみませんでした)
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