灰が降る夜

昔のことを、ふと思い出す。

もう十年ちょっと前のこと。

当時は中学生で、バスケ部だった。それなりに熱心に続けた記憶がある。

決して強豪校ではなかったが、部員数はそれなりに多く、活発な部だったと思う。
自分はスタートの5人に入れるわけもなく、大概Bチームの試合に出れるぐらいだった。

しかし、たまにAチームの試合に出ることもあった。もちろん、交代でだが。

そういう時、チームメイトは羨ましがる。別に自分の時だけでなく、他のメンバーが交代で出る時も、ベンチは羨望の眼差しを向ける。

ただ、自分は試合に出たいとは思っていなかった。それは今でも、覚えている。

Aチームとしてはあまりに力不足だとか、そういう要素ももちろんあった。けれど、それだけではない何かが確かにそこにはあった。

こういう話をすると勘違いされやすいのだが、バスケ部に入ったことを後悔した記憶は一度もない。
入部して1年後のシャトルランは余裕の満点が取れてしまうほど、練習はハードだった。体育館が使えない日は走る、体育館でも結局走る。ほぼ毎日、そんな生活だった。今では考えられない。

けれど、辞めたいと思ったこともない。それなりに友人にも恵まれていたし、きつい練習も楽しく感じていた。環境に不満はほぼなかったと思う。

きっと、他のチームメイトとは目的が違っていたのかなと、今では思う。

試合に出て、活躍し、勝利する。そのために普通は練習を重ねるのだろう。でも自分は、苦しい練習に達成感を持ってしまい、それでよかった。日々の練習をこなすことがゴールになっていた。

自分の力不足が招いたことに違いはないだろう。
けれど、こういう考え方を持った部活動があってもいいだろうと、今では思う。

勝利至上主義は、僕が最も苦手とする思考だ。折角楽しいはずのスポーツなどが、義務に変わってしまって、後戻りできなくなってしまうような気がするのだ。

もちろんプロの世界のように、結果が求められる場であるならば、勝ちにこだわることに何の違和感もない。

部活動は、少し特殊な組織だと思う。強豪校が求める勝利と、一般校の求める勝利を、同一視する必要はあるだろうか。

全ての学校が、全国優勝を狙う必要もないだろう。純粋に競技を楽しむ、いわばサークル活動のような一面があってもいい。

もちろん、練習をふざけていいわけではない。それは競技を楽しむこととは軸がずれている。

キャッチボールをふざけてやる人は少ないだろう。ボールが直撃した場合の危険性は誰でも予測できる。けれど、キャッチボールをするだけで楽しい気分になれる人も多い。そういうところに、純度の高い「楽しさ」を僕は感じてしまう。

忙しない世界だからこそ、ゆっくりと時が過ぎる空間を作りたいだけなのかもしれない。

今日も本当に暑い。

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