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私がわたしを生きるまで。わたしの100人撮影①

出会いは、人を、人生を変える力になる。

そんなことをより実感する今日この頃。


先日、丸山嘉嗣さんの撮影についてのインタビューを受ける機会をいただきました。


一般の女性を、飾らない、盛らない、ありのままのその人を・・・

もっと言うならば


「日常の最高到達点」の女性の姿を撮る、人柄写心家として絶大な人気を誇る丸山嘉嗣さん(=つぐさん)。


毎年行われる春と秋の「100人撮影」は多くの女性の注目の的。

笑って、とも言われなければ、ポージングの指示もない。

むしろ「好きにしてていいよ」と言われる撮影時間。


1時間の撮影後、

ひょいと渡される、無修正&撮って出しのSDカード。

そこには

「私、こんな顔をするんだ」

自分では気づくことがなかった

出会えてうれしい、出会いたかった、自分がいる。


もっと自分を、わたしを、大切にして生きたい。

自分のための未来を、描いていいんだ。そんな、気持ちになる。


 2018.5 100人撮影 @yuigahama 



人生の流れを変えるカメラマン と自らをうたい、

「この撮影は、人生の転機になる」と掲げ

カメラひとつで、

女性が、もっと美しく、その人らしい人生を送れるようにと

限られた撮影時間を、全力で向き合う。


そんなつぐさんが、この度リブランディングをして

今秋ホームページを新たにするとのこと。


そのリニューアルのためのインタビューを受けてきました。


2019.8.30 こんなに楽しそうな二本の指は何を指したのか・・・・



私自身も、初めての撮影からの約一年、

3回の100人撮影を経験して、様々な変化を体感したけれど

インタビューを受けて誰かにお話しすることで

改めて気づけたこと

今だからわかることも、たくさんありました。


なので、つぐさんの撮影と、そこから感じたことを

改めて振り返り、書いてみようと思います。


2018.5 @yuigahama

不幸じゃないし幸せだけど

満たされる幸せがどこかにあるような気がしていた


こんなことを書くと

贅沢だ、ワガママだ

なんて思う人もいるかもしれないけれど。



恵まれた人生だと思います。


実家の家族関係ではかなり修行をしたけれど


それ以外


苦労したということもないし

何かのためにめちゃくちゃ努力をした、ということもなく。

来た波に乗っかって、生きてきた、というか。

実は・・・現実を直視せずにぼーっとして生きてきたのか。



でも、それは言いかえると、こうも言える人生でした。



受動的な

受け身な人生

受け身なかかわり方


いつも、誰かや何かのせいにできる

逃げ場のある

あとだしじゃんけんのような生き方


とも。



あの時あの人がこうしてくれたから、こうなったから、だから、こうしたの。


相手の出方を見て、自分の出方を決める。


柔軟性、臨機応変力があるといえる一方で

自主性、自立性のない人生ともいえるのかもしれません。


だから・・・・


やる羽目になったことには精一杯になれるけれど

自分から望むことに手を伸ばして

チャレンジするということは少ない

ともいえる

消極的な人生だったのかもしれません。


一方で、何とも言えない生きづらさも、ずっと抱えていました。


安心感がわからなくて

人と関わることに息切れしてしまう。

特に男性に対して、向き合った関わりが怖くて苦手。

近づきたいけど近づき方がわからない

ひとりが好きなさみしがり。(笑)


やりたい、より、やるべき、

元来感覚派なのに、感覚で動き始めた後

楽しいよりも正しいか?で考えてしまい

許容範囲を超えて頑張りすぎてしまったり

逆に動けなくなる。


表面上は明るくていつも笑顔で元気なひと


でもその実自分はどこかでいつも

ちゃんとしなきゃ

しっかりしなきゃ

きちんとしてなくちゃ

そう思っては頑張りすぎて窮屈になる


誰かに甘えたり、助けてとなかなか言えない。


子育ても、引き受けたことも

必要以上に抱え込んで結局自分が苦しくなって息詰まる

具合が悪くなって倒れるまで

ストレスになっていたことに気づけない

そして逃げ出したくなる


ちょうどいい力加減がわからない

そんなことが、これまでに何度もありました。


専業主婦として子育てをまるまる10年

おうちと近所の世界、しか知らなかった時代を超えて

外の世界を見だした時に

そんな自分の生き方に、気づき始め

出会ったのがコーチング。


子育てを通して

自分の基準はだいぶ緩められていましたが


いつも無意識のうちに


これでいいのかな

怒られないかな

嫌われないかな

失敗したら困るし


そんな無意識の心の声に影響されて

失敗を恐れ

人の反応を気にして


「周りの人の許容範囲を超えない自由」の中で

他者に認められるために生きていたことに気づきました。

認められることで、自分の存在を、知らしめたくて。



他人の基準の中で生きようとするわたし。


はたから見れば、それはそれで、

じゅうぶん、自由で気ままに見えていたかもしれないけれど



でも私はいつもどこかで


「これをやったら いいかな / だめかな」

「あの人は いいかな / 怒るかな」


誰かの基準を気にして

誰かの機嫌を恐れて、生きていました。


本当はしたいと思うことがあっても

それが誰かの機嫌を損ねると感じるなら、やらない。


それをもはや「ガマン」とも思うことなく

静かに譲り、引き下げらる

引き下げて、しまう。(誰にも言われていないのに。)


いつの間にか消えていく本音

わからなくなってゆく「どうしたいのか。」


だから、思っていたのでしょう。


不幸じゃない、幸せだと思う。

でも、満たされた生き方は、

私が本当にしたい

生き方は、ライフスタイルは

ほかに、あるのかもしれない。

もっと、

わたしのまんまで楽に生きられたらいいのになと。


2018.5@yuigahama



たった一枚の写真が、出会いになる


そんな時、Facebookである一枚の写真に出会います。

それは・・・・


同じ、トラストコーチングスクール

コーチとしてご活躍のある女性の写真。


私にとってその女性は、

手の届くはずもない、憧れの女性、でした。


客室乗務員として勤務したのち、研修講師になり

マナーの先生としても実績を豊富に持ち

立ち居振る舞いも美しく

使いこなしている資格や経歴は数知れず。

もちろん、美人でスタイルも抜群。

頭の回転はとても速くて、おしゃべりはユニークさにあふれて

笑いがこぼれるばかり。

華々しいばかりのその方は

数少ない対面の機会でも、いつもどこかがキリっと引き締まっていて

大人の女性そのもの。

なのに、どこかに漂う、はかなげ。

完璧で、かなわない女性。



私が見つけた写心のその人は




とっても、まろやかにやさしい美しさだった。



今まで私が見たことがない


一歩近づきたくなる、話したくなる

鎧をふわりと脱いだような

安心しきった姿で写っていて


瞬間、その写心に見とれたのち


「私も、こんな風に撮ってもらいたい」


直感的にそう感じて

一体誰に撮ってもらったの、とすぐ連絡をしたのを覚えています。



なぜあの時、


ほかの誰かの意外な一面をみて

「私もこんな風に撮ってもらいたい」と思ってしまったのか。



それはきっと


ほかの人に心からオープンになれない私がいて

ずっと、しまい込み続けているホントの気持ちがいくつもあって

安心してそれをさらけ出せる場所がなくって


それが、あの写心に投影されたのでしょうね。


自分を偽らない自分に

自分に安心できる自分になりたい、と。

      




その時教えていただいたのが


「つぐさん」という人でした。



100人撮影というのをやっている人だということと

名前を教えてもらったくらいで

詳しくはわからなかったしリサーチもせず。

「撮ってもらうといいよ」とのことだったので

教えてもらったLINE@に登録しただけで、春の100人撮影お知らせまでは放置。(笑)

そして春が来て、私は初めての100人撮影に、出会います。


2018.5 @yuigahama 


自分のための写真撮影


写真って何のために撮るの?


改めて考えてみたら、それまでの私は、

記録のための写真、という意識が強かったかもしれません。


成長の記録に

記念日の記録に

忘れないように

いつか、見るために。



でも、つぐさんの100人撮影は、そうではなかった。


~It's My Life ~ 誰のものでもないわたしの生きた姿をここに残そう。


あなたがもっとあなたらしくなるために

この撮影にどう臨もうか。


申込と同時に、あるファイルが送られてきて

開くとそれは、難解なマインドマップのような

足がたくさんのクモみたいな図と小さな文字。


撮影に向けてやることがたくさん、書いてありました。


やってもやらなくてもいいけれど

やった方がきっと素敵な撮影とあなたになるための

つぐさんからのGIFTともいえる、リスト。



今改めて見ると、このリストをすべてやるだけで

人生は激変するんじゃないかと思う。

(ということは、私は全部やらなかったひと。)


撮影を子どものためでも、家族のためでもなく

ただ、自分のためにする


それまで、いつもどこかに「ママ」という役割があって

専業主婦でママの世界を生きてきて

地域でママのための活動もしていた私にとっては


自分のために撮影をするということの意味が

あまりに大きすぎて

全部を受け止め切れてなかったかもしれないなあと

今となっては思います。



それくらい私は

地域で、ママとしての人生の時間が

圧倒的に、ものすごく圧倒的に、とてつもなく、大きかった。


2018.4 @kisarazu



だから、ママではないたった一人の私として

一人のカメラマンさんと関わり、撮影に挑むことが

新鮮であり、ソワソワでもありました。

新しいこと過ぎて、想像がそもそもつかない、と言った方が

あっているように今は思います。(笑)



どの服を着たらいいの?

(←「着たい」じゃなくて「着たらいい?」になっているあたりが

  当時の他人基準がまだまだ残る自分をよく物語っています)


写心に写りたい自分のための服を選ぶ


それだけでもう、意味不明。(笑)



いざ、それを考えてみると、なかなかイメージがわかなくて


お店をあちこちうろうろして回ったことを思い出します。


つぐさんとも何度かメッセージでやり取りして。



やっと選んだ一枚のスカートは



真白な、マキシのフレアロング。



これまで、着たことがない一着でした。



試着した時の

ちょっと、落ち着かない、めっそうもない感じと(笑)

でも、、、、


わぁ・・・・・♡と感じてしまった心の動きは


今でも、思い出せます。


私がこんな格好してもいいのかなぁ。


そんな、思いとともにね。

でも、なんだか嬉しかったな。


ママから、女性により、なれた気がして。



ところがトップスがなかなか、決まらない。

ピンとくるものもないし

本当に困りました。


写りたい私が着るスカート、を選ぶだけで

いっぱいいっぱいだったのかな。(笑)



結局・・・・・



当時、とっても気に入って着まわしていた


落ち感ある水色のシャツと

高めのヒール靴で


撮影に臨むことになりました。


着たことがないマキシロングのスカートに

着なれたお気に入りのシャツと靴。


今までにない組み合わせの服装で向かった由比ガ浜で

思いもよらないストーリーが始まるとは


あの時の私は、予感してたのかな。


たぶん、ぜんぜん、分かってなかったと思う。


ステキな写真がとれたらいいなぁ。


そんな、単純な、思い一つで向かった由比ガ浜でした。



続きは、次号で。




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