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役割を降りた子育て

ステキな親子、と言われることが本当に増えました。

とても嬉しいです。


ただ、正直なところ


ステキな親子になろうと思ったことはなく


なんでそういわれるようになったんだろう?


そんなことを、この数日ちょっと考えていました。



ここ最近は


私の中で閉じていた過去が開いて


しまい込んでいた感情の解放とともに


私の世界を作っていたパラダイム・・・・


思考パターンや思い込みに気づく日々の連続の中にいます。




いろんな、点と点がつながる過程で


私になりに至った


ステキな親子と言われるようになった理由は何かといえば



たぶん



私が




親という役割を降りた





からではないかと。






ずっと、



~べき

ちゃんとしなきゃ

しっかりしなきゃ



そんな思考で自分を守りたくさんの鎧を着こんでいたけれど



それでは子育ては到底なりゆかないことに気づいた時



自分が思いたいような立派な母親なんかではないことに

わが子にだって、

実はそんな立派な姿を求めたくなんてないことに気づいた時から



「親」という鎧を・・・

親だからこそ求めたくなるものを


「親ならこうするべき」

「親ならこうでなければ」

「親というものは」

「子どもだから・・・」

「子どもにはこうなってほしい」

「子どもなのに・・・」


そういった思考と選択をどんどん、下ろしました。




そして・・・・



こうして振り返ってみて気づいたことなのですが





幼少期からずっと、怒られることが多くて

いつも怒られる怖さと

どうして怒られるのかがわからず困惑していた私は



実は



安心して心の内を話せる存在がいませんでした。



だから、そういう安心感と経験をほとんど知ることなく


「自分のこと(特に感情)は話さない」まま大人になり


それが当たり前のことになっていて



相談すること、頼ること、委ねることを知らないままの


もっというと


自分の内側の世界に閉じこもった


かわいくない拗ねた、

コミュニケーション障害のある大人になっていました。





変な話




私にとって、娘という存在は



初めて・・・・



嫌われるのではないかというような不安を感じることなく

安心して自分をさらけ出せる存在・・・



さらけ出してしまった存在



だったんですね。

お恥ずかしながら。



親子の縁というのは不思議なほどの引力があり

私は良くも悪くも

その、切れることのない親子の縁というものによって


たぶん、初めて


他者に対する安心感を感じられたのかもしれません。



娘に、助けられたのではないかとさえ、思います。



子育てにイライラする自分を何とかしたいと

心のことに向き合い

コーチングに出会う中で


どんどん「親という役割」で自分を囲うことを捨てていった時、



私と娘たちとの関係は


自分をさらけ出しても大丈夫、という安心感のもと


親だからする、ことはなくなって


「ただのわたし」がすること、したい事、に


どんどんなっていった。




親だから、じゃなく


ただ、わたしがしたいから。




その「わたしがしたいこと」は


きっとそれが


わが子でも、夫でも、友達でも、上司でも


誰だって同じようにしたい事であり、したくない事。

同じように、してしまうこと。




今まで意識したことはなかったけど




これが





対等にかかわる、って言うこと、なのかもしれません。




どちらが上でも下でもなくて


どちらに責任があるでもないでもなくて


どちらが正しいでも偉いでもなくて





ただ、わたしとあなた、という関係性。





親という役割を背負うことで全うできることはたくさんありますが


親という役割を背負ってしまったからこそ

遠ざかる心の距離も



時には、すこしだけ、あるのかもしれません。



そんなことを、思ったのでした。




子どもといるときの私が


きっと、いちばん、素で、本来で


何より、安心している時の私、なのでしょうね。




そんな自分で、大人とも関われるようになることが


今後の私の人生の目標、かもしれません。




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