私がわたしを生きるまで。私の100人撮影。②
人柄写心家 丸山嘉嗣さんのリブランディングに伴うインタビューを受けたのをきっかけに
私の約1年、3回に渡る100人撮影を振り返るシリーズです。
丸山嘉嗣さんの100人撮影について
1話目はこちらから。
~好きにするってなんですか~
初めての100人撮影は由比ガ浜で。
メッセージのやり取りはしていたけれど
初めて会う、つぐさん。
目が合って・・・・
どうもー、みたいな空気で、すたすたーって、
一緒に海に向かって歩いて。
堅苦しいかしこまったご挨拶がなかったことが
かえって、良かったのかもしれません。
かっちり挨拶されたら・・・・
こちらも構えてしまうし。(笑)
ハキハキ!とした感じでもなく
かといって暗い感じてでもなくて
明るそうだけどひょうひょうとしているような
そんなたたずまいの方。
海の入り口で、しばし、海を眺め・・・・
(きっと、撮影ポイントを見定めていたのかと。)
あっち。と指をさした方に向かい。
そうして、荷物を置いて
カメラを取り出して
撮影するのかなあと思っていたら・・・・・・
好きにしていいよ。
好きに、していいよ。
好きに・・・していい??
好きに?していい?
それって、
ど う い う こ と で す か ?
この、だだっ広い
砂浜と海ばかりが広がるここで
好きに・・・何をしたらいいんですか??
突然の一言に、脳みそがシャットダウン
そして、先に撮影してもらっていた人が
ワンちゃんと一緒に
楽しそうに撮っていたことが思い出され
私が思ったのは
どうして、犬、いないんだろう、私。(笑)
ワンちゃんがいれば!じゃれ合ったり歩いたり、できるのに。
2018.5 @yuigahama first photo
そうして、手持ち無沙汰に、困るなか始まった撮影でした。
~好きにも自由にもできない私~
始めの一言以来、私の頭の中は
「好きに・・・・好きにするって・・・・
なにしてればいいんだろ・・・・・
どうしたらいいの??」が
ぐるぐるぐるぐる、うわのそら。
とりあえず、、、なんか、拾ってみたり
ぷらぷら、してみたり。
そうしてる時も頭の中は「これでいいのかな。」
何かぽつぽつと、おしゃべりもしたのかな。
今改めて見返してみると
初回の写心の前半は、なかなかに、不安げというか
ひよっこのようです。(笑)
そうしてしばらくしたら、つぐさんが言いました。
どうして、人の出方を気にするの?
この一言を言ってくださったこと。
衝撃、でした。
と、いうのも。
コーチングに出会ってから
いや、それよりも前・・・子育てに行き詰まりを感じた時から
人の反応を気にして知らず我慢を選ぶ自分に気づいてから
少しずつ、セルフコーチングをしながら
時にはセッションも受けながら
それは徐々に手放してきたつもりで
当時は、以前よりうんと、
人目の気にならないじぶんになっていたつもりだったんです。
だいぶ、楽になってきたよね、そのあたりは、なんて。
なのに、言われたひとことが
「どうして、人の出方を気にするの?」
しかも、初めて会ったばかりの人に。
これはね、本当に衝撃で・・・・・
なんというか
そーか、まだ、そういう私なんだな、と思うと同時に
この一言で、降参できたんですよね。
あ、なんか、この人にはごまかしても仕方ないんだなぁ、って。。
それに
好きにしていいよ、って言われて
どうしたらいいの?と思っている私はまさに
人の・・・つぐさんの出方を、気にしまくっていたわけで。(笑)
あぁ、、、、そうですね、はい。。。としか、言えなかった。
どうして、と人の出方を気にするの?
その聞き方が
すごく、フラットだったから。
責められた感じでもなくて
そんなあなたがダメなんだと言われた感じでもなくて
ひとつの、疑問として
ぽん、と手渡してくれた問い。
あの時の口調が、もっと強かったり、きっぱりとしていたら
私の心はきゅっと閉じてしまって
いい写心にはならなかったのではと、今は感じています。
無意識のうちに構えてしまう心の癖への気づきと
自分を偽っても仕方ないという、降参とあきらめと
カメラマンであるつぐさんへの、安心感と信頼を繋ぐひとこと。
意識的にそれをされたのかどうか、それは私にはわかりませんが
絶妙だったなぁ、と思うのです。
そこから。
話せることが増えたかなぁ。
~心の澱を洗い流せるなら~
今となってはもう1年前なので
何を話したのか詳しいことは覚えてないけれど。
当時の私は、少しだけ・・・いや、結構、迷っていました。
40代に入り、明らかに変わっていく心身。
30代だったら、気力と根性で乗り切れたことが、できない。
体が、心が、追いついていかない。
生理のリズムも、少しずつ変化をはじめていて。
そんな自分への戸惑いもありました。
そして
2013年に
専業主婦の10年を終えて、暮らしている地域で始めた
非営利の街づくり活動のこと。
それは、私にとって、とても大きな「突破」でした。
家庭にしかいなかった自分が、
子育てと家庭しかなくて、まともなキャリアさえない
家庭の時間割の中でしか生きていなかった私が
地域で活動するということ。
一度飛び出したら最後
あれこれと勢いに乗って手を広げ、
コーチングの資格も取得、
親子コミュニケーションのコーチとしての講座もスタート。
自分の持ちうるエネルギーのすべてを
そこに注ぎ込んでいた時期でした。
今までできていたレベルの家事や子育てはもちろんできなくなり
私が家を空け、夫に娘を預ける日もでき、
我が家のバランスは大きく変わりました。
当たり前だった「ママはいつもおうちで家の事。」
それが、覆った。
正直、それがいい方に作用したばかりではなく
夫はいら立ち、そんな両親の間で気をつかっただろう娘たち。
突然振り切ったわたしを前に家族は幾度となく戸惑ったことかと。
でも、それでも
もう10年、子育てと家庭に、それだけに専念したから
外の世界に行きたい、関わりたい
好きな事をしたい、という自分を、抑えられなかった。
そうして、パートナーと一緒に、一気に成長させた団体。
この街で一年に一度、
市内の子どもたちが描いた手作りの和紙灯ろうを
いっせいに灯すイベントを開催。
総数は年々増えて、2017年からは5,000個を超える一大祭りの規模に。
団体に関連して、子育てコミュニティも立ち上げて代表になり
毎月イベントを開催。
手書きのニュースレターも毎月書いて、数千部を配布。
その管理運営のすべてを、パートナーとたった二人で、
そして、非営利でやっていました。
好きで始めたこと、やりたくてやったこと
楽しくて、夢中でやっているうちに、どんどん成長したこと。
認知もどんどん広がって
いろんな人が私の名前を知っていき
行政の委員に選ばれたり、ラジオにでたり、
市の施設の立ち上げにかかわったり、そこで勤務したり。
ひたすら、目の前のことに一生懸命だった約5年。
でも、その活動は市民活動で、非営利で、
私にまとまった収入はなくて。
そうしている間に子どもたちは育って
あ、自立してきたな、と思ったら
あっという間に手元を離れて友達の世界を作り
大人の一歩手前の10代へ。
子育ては、気づいた時には、もう、終わる。
一度始まった自立は、親がびっくりするほどに、早い。
ママとして生きてきた私。
「ママ」という役割とともに
その私とともに育ってきた、団体。
でも。
「子育てママ」というリアルな感覚はどんどん薄れ
娘たちとはより「対等な大人の関係」になり、それが楽しい。
もうそれは、子育てではない次元。
「子育ての卒業」の方が色濃い私の現実と
広げるだけ広げてしまった活動が
次第に時間と労力を大きく奪うように感じてしまい
元来の・・・
相談できない、頼れない、甘えられない、三方そろったおかげで
周りにはその活動を称賛され、期待される一方で
いつしか、
大きな負担とプレッシャーとなって私にのしかかるようになっていました。
誰か代わってくれないだろうか
誰かに、任せられないだろうかと思うことがあっても
実質どれだけのボリュームをこなしているか
誰よりも身をもってわかっている身としては
そんなこと言い出せない
何より、ここまでやってきて
こんなに育って、多くの人がかかわってくれて
地域でも、私と言えば、この活動
市内の一大祭りにまでなった、というものを
手放すなんて、そんな無責任なことできるはずもない
そもそも
手放したいのか、続けたいのか
それは、本意なのか、人の目を気にした偽善なのか。
本当にやりたかったことなのか。
なかなか、答えが見出せなくて
そのはざまで、どうしていくのがいいことなのか
ゆらゆら、決めかねていました。
ママとして、この15年をずっと、生きてきた私
ママとしてやってきたからこそ、できたこと。
頑張って頑張ってきたからこそ、ここまでこれたこと。
助け支えてくれた人だって、たくさんいること。
でも。。。。。
本当は、どうしたいんだろう?
どんな人生を、送りたい?
素直な本音の私は、どうしたいんだろう?
あの時本当は
積み重ねてきた関係や世界とは違う場所で
こんなふうに思い始めた心の澱を
私を知らずに、ただフラットに見てくれる人の前で
吐露して洗い流したかったのかもしれません。
みんなが知ってる「あそさん」を知らない
そうならなくていい場所で。
もちろん、つぐさんにすべてを話したわけではないし
元々、こうして書いて表現することは好きでも
心のままを言葉で伝えるのは苦手だったので
ぽつぽつと言葉少なく話したような。
つぐさんからは
どんな世界をみたい?とか
どんな服を着るのが好き?とか
そんなことをいくつか聞かれて
うーん、って
なかなか明確なことを、返せなかった記憶があります。
気づけば最初はカメラを意識していたのに
少しずつ、この時間に、空間になじんでいって
つぐさんとのお話がゆっくりと進んでいました。
むーん、って考えたり
砂、いじったり
そうだね、あはは!って笑ったり。
あー、どうかなぁって、また考えては
いひひ!って笑ったり。
~本当の私も嘘の私もないけれど~
これは、きっと私がいつもしている笑顔。
the あそゆか。定番。
いい笑顔、ゆかさんの笑顔が好き、と褒められる笑顔でもあり
そして、時には
自分を守るための、防御の笑顔にもなる、とっておき。(笑)
長所と短所は表裏一体
光が強ければ闇もまた強く
明るさの後ろには影がある
人前で弱音を吐くことも
泣くこともできなかった私は
いつでも、笑顔!笑顔だ!と
元来の明るい性格もあり、この笑顔で
いろんなことをはねのけ、乗り切ってきました。
でもね、その反面
この笑顔のしたに隠してきたものも、実は、大きい。
この笑顔で、ごまかしてきたことも、とてつもなく。
笑っているいつもの私もいいけれど
どうなのかなぁ、って、気張らずに
誰かの前でそんな顔ができたことの方が、
実はとても価値あることだったのではないかと
今だから、思います。
つぐさんの撮影がすごいなあと思うのは
いつの間にか、心の距離が縮まっていること。
撮影されている時はそれに・・・
漂うように距離が縮まっていくことにさえ、気づいていないかもしれない。
でも、確実に心に安心感がふわーーと広がって
気づけば、表情がどんどん、柔らかくなる。
終わってみると気づくのです。
あれ、なんか・・・・・
ずいぶん、安心しちゃってたんじゃない?わたし??
だから、手渡されたSDカードの写真を見て、
そこに写っている自分に、ちょっと、びっくりするのです。
本当に、私がこんな顔したの?って。
これまで撮ってもらった写真にはない
鏡でいつも見ている顔でもない
いろんな表情をする、その一枚一枚に。
初めての撮影の60分は
とても、あたたかく不思議な時間でした。
私にとっては
あらゆる役割を下ろして、ただの、誰でもない私になれた
そんな、貴重な時間だったのかもしれません。
これは、相手に対する警戒心があったら、できないこと。
なぜ、つぐさんの前ではそれが可能だったのか。
撮影が終わってからしばらく考えていました。
~素直な利己になるから、利他になれる~
なぜ、つぐさんの撮影では、警戒心を自然とほどいて
安心感の中で役割を下ろして自分そのままに、なれたのか。
それは
つぐさんが、撮影に集中しながら
こまやかにこまやかに、
本当にこまやかに、
安心感を奪わないように
そして、増えるように
そっと、言動、スタンスを調整してくださっていたからだと
しばらくして、気づきました。
暑いのか肌寒いのか気にかけては
着ているものの取り扱いを気にしてくださったり
ちょっとカメラを意識したり
緊張が少しでも入ると、ファインダーを下ろして
他愛ないおしゃべりをしたり
相手の心に立ち入り過ぎない距離感と、
ことばの選択、間合い。
私に合わせたペース。
きっと、常にずっと、私の表情や行動から
緊張具合や、心の緩み具合を感じて
あと、もうほんの少し、安心してもらうには、と
絶え間なく変化する撮影条件の対応をしながら
考えて接してくださっていたんだろうなあと。
これは、本当にすごいことだと思うのです。
誰かの・・・目の前の人のために
センサーの感度をめいっぱい、上げてくださって
そうして
その人の中にある
素直な部分…魅力を見つけ映し出すために
ずっと見つめ続け、
シャッターを押し続けてくれているのですから。
(お写真、お借りしました。)
初めての撮影から一年経った今だから、
こうして書いていてわかることがあります。
人って
自分を守ることにエネルギーを使っていると
目の前の人の優しさや思いやりに、
気づくことができないんだよね。
意識のベクトルの向きが、違うから。
書いていて、ちょっと涙が出てしまう。
自分を傷つくことから守ることで見失っていることが
どれだけあったのかなあ、これまで。
あ~ぁ、まだ自分を守ることに必死だな、コイツは。
もしかしたらこれまでの撮影でも
つぐさんはそう思ってたのかもしれない。(笑)
それでも、それを口にすることなく
見守る、というスタンスに徹して、撮影してくださっていたのでしょう。
本当に、感謝しかありません。
自分を頑なに防御することなく
安心感とともに自分をオープンに出来た時
ありのままの自分を表現する「素直な利己」になれた時
人は、きっと
自分にばかり向けている視線を
相手に気づくために向けて
その優しさや思い、愛に気づき受け取れるだろうし
自分を守るためにエネルギーを浪費することなく
誰かのためにそのエネルギーを活用することができるんですよね。
素直な利己になれるから、利他になれる。
そういうことだと思うのです。
一年以上経って気づくなんて、遅いなぁ。(笑)
~どうしたいかの答えが、その一枚にあった~
こうして過ごした60分の最後には
ずいぶんとつぐさんになじんで、
会話のキャッチボールも軽快になって。
(この時の会話が、のちの「色気アップ」につながる)
そうして撮った最後の写心は、アップでした。
この最後の写心を見た時には、ほんとに、びっくりしました。
ひとことでいうなら・・・・・
私が知らなかったわたし
だけど
出会いたかったわたし
そんな、表情だったから。
ぎゃははーって笑うのでもなくて
自分を守るための笑顔でもなくて
相手の出方を気にする怖がりでもなくて
まっすぐに、安心して目の前の人を見る
撮影されてる、なんて自意識を超えて
ファインダーを・・・
その向こうの相手、つぐさんをやっとちゃんと見れた
向き合う、ということができた瞬間だったな、と。
私はきっと
本当は、人と、こんな風に
力を抜いて、ただ、ゆっくりと
向き合ってかかわりあうことがしたいし
そんな関係を、ずっと望んでいたんだなあと
そんな未来が欲しいなと
気づいてしまった。
表向きには
笑顔の私を撮っていただいたこと
歯が見えてしまう自分の笑顔が好きになり切れずにいたけど
この撮影で、笑顔もいいと思えるようになったことを
SNSで書いたけど
もちろんそれも本当で
たくさんの人からのコメントもいただいたけど
実はね、初回の撮影で、いちばんのギフトは
ここだったんです。
こんな力まない顔で
大切な人の目を見て、関われるわたしになりたい
と思うようになったこと。
それは
ママでも妻でもない
役割に左右されない
ただの私になることに
安心できるようになる、ということ。
誰かの機嫌や言動に
世界に
恐れることなく、おびえることなく
委ねて、生きるようになりたいなあと。
心の奥の奥
奥底のスイッチが
静かに
カチッ。
と音を立てた、そんな1回目の撮影、でした。
続きは
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