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玉山北峰(3858m)ソロ登頂記録 - 水切れ、幻覚、逮捕?疑似遭難。ルートも精神もUP DOWNの連続!

憧れの北峰(ベイフォン)

東アジア最高峰の玉山 3952m には幾つかの峰がある。

玉山登山ルートのイメージ図

もちろん一番人気は主峰だ。ここは別格だ。その次は東峰3869m または北峰 3858m だろう。他に南峰 3844m もある。比較的行きやすい前峰 3239mなども人気がある。 西峰 3518m も魅力的だ。山頂近辺に神社の祠がある。東峰は垂直に近い岩場の登攀があり、初心者には難しい。北峰は、登山口からの累積高度が1770mとなるが、技術的に難しい箇所は無い。体力さえあれば行ける。2023年5月27-28日、今回私はその北峰に挑戦してきた。

千元札は、北峰から見た主峰

北峰の魅力の一つは、主峰とならんで遠くからでもよく見えるということだろう。もう一つは、北峰からみた主峰と東峰の姿が雄大で美しいこと。その構図は台湾のお札、千元札に採用されている。
台湾人なら誰もが知っている景色だ。

台湾紙幣1000元札の構図はこれ

北峰に向かうルートは主峰の頂上近くに行ってから風口(フォンコウ)という三叉路で分かれる。

写真中央の尖りが主峰の頂上3952mで、先を行く2人の登山者の位置からもう少し登って左に行くと風口と呼ばれる三叉路がある。
風口と呼ばれる三叉路。海抜3867m。

せっかく風口まで登ってきたのだが、ここから碎石坡(スウェスーポー)と呼ばれる坂を下る。北峰の山頂より高い位置から降りていくことになる。

砂利と石の坂を降る

おおよそ260m下り250m登る。当然、帰りには登りとなって立ちはだかる。スイカの半分ぐらいのサイズの石ころと砂利の道だ。

肩から耳の高さにチェーンが張ってるので、これに掴まって降りていけば、さして困難ではない。

ここを降りて行く。向こうに見えているのが北峰。台湾百岳の1つ。

降りきったところからしばらくは稜線を歩く。小さなアップダウンがいくつかあるが、林の中を進む安全で快適なルートだ。すれ違う人はせいぜい10人前後だった。主峰登頂後に北峰に行く余力のある人はそんなに多くはなかった。スピードの無い私は北峰一本にしぼっていた。

5,6百メートルすすむと、道は心地よい稜線のハイキングから再び登攀に転じた。高山特有の低木のなかに人が踏み固めた道筋が連なっている。

あともう少し。400m
黄色いマークはスマホが通じる印。

右にいっちゃダメだよ

目標地点の頂上がずうっと見えているのでどこを通ってもよさそうに思えた。そのように考えているとき、降りてきたソロのおばさんが、すれ違いざまに「左だよ左、右に行っちゃだめだよ」とアドバイスをくれた。

頂上及び気象観測所が見える。少し右下にソーラーパネルが設置されている。

排雲山荘から6時間かけて登頂

午前9:30頃、頂上に到着した。ここには気象観測所がある。台湾でもっとも高所にある建築物だそうだ。早速三角点を探し登頂のエビデンス、記念撮影をすませる。

満足満足自己満足!

観測所の職員が一人だけいた。

痛恨のミス、遠慮

ここで一つミスをした。水の補給をお願いするのを忘れた。正確に言うと、覚えてはいたが、会話の流れの中で言い出せなかった。山頂においては、ことさら水は得難い貴重なものだ。ましてここは登山者のための施設ではない。水をくれというのはやはり厚かましいと思った。ペットボトルに1/3ほど残っていたので、なんとかなるかと思ってしまった。根本的には水量の準備不足。そのリカバリーを怠った。

これが後々響いてくる。

迷う、あせる

来たときと同じ道を戻り始めたつもりだったが、どうやら最初から間違った方向に降りていってしまっていた。稜線の方向にむかって降りなければならない所、左の谷に向かってしまっていた。途中で景色に違和感を感じ立ち止まった。頂上の方を振り返ってみる。頂上の建物はともかく、その少し手前にあるソーラーパネルの位置関係が違っていた。登って来た時は右手に見えたが、いまは左手に見えている。

こんな見通しの良いところで何故間違う?

気をつけていたはずなのにやってしまった。足元ばかり見ていて、あまり周囲を見ていなかった。最初の分岐で間違えたのはともかく、転ばない様にだけ気を付けていてルートは確信し切っていた。それで違和感を感じるのが遅れた。

この日は天気もよく、視界も開けていて最終目標地点の風口も、通るべき稜線も全て見えている。だから、ここから修正して斜め右の稜線方向に登っていけば良いだろうと思った。

それで、少し登り直してみるが、これがなかなか大変だった。登山ルートとして整備されていない斜面は、降りるのは簡単だが、登るのはとても大変で体力がいる。足をおいた石がぐらつく。足が砂利にうもれて滑り、力をロスする。

「迷ったら戻れ、登れ」を思い出す

ショートカットは中止して、ハッキリ記憶のある地点まで戻ることにした。が、もはや、今降りてきた道すら正確にトレースできなかった。

幸いなことに頂上は見えている。足場が悪いだけで迷うことはない。

途中、大きな岩を迂回して上に向かう時、左右どちらを回ればよいのかわからなかった。体力を消耗する砂地をさけて、岩の隙間をとおっていくと、体を屈めて無理な姿勢にならないと通過できない狭いところがあった。足の筋力を一気に消耗した。

回復にはしばらくかかる。たった100mぐらい戻って登るだけで相当に消耗してしまった。

やりなおし

登る時に見た、「(登る方向から見て)右に行くな」と警告するポールが見えて来た時に初めて安心できた。あのポールの向こう側に行けば正規ルートにたどり着ける。

結局、ほぼ頂上付近まで戻って下山をやり直した。

あのおばさんの助言はこういう意味だったんだなとやっと理解した。

天気がよく山頂がよく見えていたので良かった。霧が出ていれば戻る方向も間違えたかもしれないし、雨でも降ってくれば体力の消耗はもっと激しかったと思う。幸運というほかない。

脱水症状気味

やっとの思いで正規ルートに戻り、体力の許す限り足早に進むが、ペットボトルの水はすでに空になっていた。水が無いまま数時間歩き続けた後、このルートの名物というべき碎石坡のすぐ下の所までたどりついた。すでに熱中症、脱水症状気味となり歩く速度はドンドン遅くなった。

とうとうここまで戻って来れた。暑い。日差しも強い。喉カラカラ。砂利道の坂を登り切った左端、岩との境目が風口。気が遠くなりそう!左は主峰。

鎖に捕まりながら気の遠くなりそうなガレ場の坂を一歩一歩登っていった。

ここで不思議な体験をした。

幻覚の世界に埋没する

いつしか幻覚の世界に埋没していった。何かが見えたり、聞こえたりしたわけではない。思考の幻覚とも言うべき状態に陥っていった。

こんな感じだった。

・左足のこの一歩は、MZH銀行様のためになった。

・右足のこの一歩はMUF銀行様のためになった。

などと考えるようになっていた。いや、考えてなどいない、考えたのではなく、それが現実である世界に生きていたという感じだろうか。

その〇〇様のためというのがいつしか大手スーパーの名前に変わっていき、挙句の果てには左足の一歩は「緑色のため」、右足の一歩は「青色のため」というように色になってしまっていた。

なんとも不条理な概念の世界に埋没した。

繰り返すが、考えていたのではなく、そういう世界に住んでいたという感覚だった。一歩の動作が何かの象徴と言うことではなく、〇〇のためそのものとなる行為だと感じていた。

もちろん、見ていたものは自分の足であり砂利であり登山靴そのものの動きだった。

これが何で、銀行のためなのか、大手スーパーのためなのか、はたまた緑や青といった色のためなのか、、、全く変な思考世界に埋没した。

人生の真実発見!??

ある瞬間にハッとして1つの考えが浮かんだ。

「〇〇様のためにと足を運んでいると、結果的に自分はこの坂を登っているではないか!     ああ、これこそ人生の真実なんだ!!」

何か良いことに気付いた気になり、幸福感に満たされた。幻覚の産物とも言うべきこの「発見」が喜びの感情を呼び起こし、黙々と登り続ける活力となった。

正気と幻覚の境目

この幻覚が覚めそうになる瞬間があった。上から他の登山者が降りてきた時のことだ。それを見て、あの人達はこの「人生の真実を知っているのだろうか」と思った。

次の瞬間、「あれっ?    俺はこの一歩が〇〇様のためと言うのは、どこで知ったんだ?    立て看板で読んだような気がする。」と思った。

目は地面と靴を見ているのだが、額の前方に青空を背景にした鎖と看板のイメージがあった。それで頭を上げて周りを見渡すが、何処にも看板など立っていない。その事を不思議に思った。この不思議だと感じた事を突き詰めれば覚醒したかも知れない。

しかし、また意識が薄れ幻覚思考の世界に埋没していった。

この様な立看板がガレ場の鎖の向こうにあるイメージが頭の中にあった。実際に頭を上げて周囲を見渡し、見えないことを不思議に思った。

幻覚のことなど全く忘れ去る

このガレ場の坂を登り切って終点である風口にたどり着く頃には、意識は正常に戻り、つい先程まで埋没していた幻覚のことなど全く忘れてしまっていた。

この日午前3時過ぎに山荘を出発して、風口に戻ってきたのが15:30頃なので、もう12時間以上歩いていたことになる。水を切らしてからも数時間経過していた。水の補給が受けられる排雲山荘まで降りていくのにさらに3時間かかった。

渇き、水、水、水!

頭の中は水、水、水、水、水 だった。卒中になるのではないかと恐れながら降りていった。

膝と足首の劣化

疲労困憊で岩にちょっと腰掛け軽く目をつむる。5分ぐらい寝てまた歩き始める。緩やかなつづら折りの山道となってからは足がもつれ始める。水を求めて最速で歩こうとしていた。幸い転倒はしなかった。ほうほうの体で排雲山荘にもどったのは18:30頃だった。

往復8.4km、累積高度差970m、実に15時間を要してしまった。炎天下で水を切らして6時間歩いた。危険だった。

この日の朝3:20頃、出発時の様子

一旦座ると体が固まる。トイレに行くにも、膝と足首の関節が痛く、ぎこちない歩き方しかできなかった。しばらく休まないと歩ける気がしない。

次にまた難問

すでに国家公園から出ていなければならない時間になっていた。山荘から8.5kmの距離で800m降りて搭搭加登山口を出た時に、netで退出届けを出すことになっている。間に合わないどころか、一般登山者が退出すべき時刻を過ぎてしまっていた。

警告メール!

管理局から警告のメールが届いていた。直ぐに返信を打った。

「たった一箇所、北峰に行って戻っただけで、山荘に戻ったのが18:30になってしまった。少し休んでから今日中に下山する。お手数をかけて申し訳ありません(言外に、登山計画書にない余分なことは一切しませんでしたという弁明のつもりだった)」

親切な山の仲間たち

椅子に座って、大小二つのリュックの荷物再配分を行い一つにまとめた。他の台湾人登山者や、山小屋の若い職員達が親切に声をかけてくれた。


「日没後に下山するなら、ヘッドライトを持っているかい?」(山小屋職員)

「ちゃんと行動食をもっているかい?     ほら、soyjoyを2本あげるよ、もっていきな!」(山小屋職員)

「パンをあげるから、今すぐここで食べなさいよ」(山女)

「スタバのコーヒースティックあげるから飲みなさい、おいしいよ!」(山男)


「あなた、北峰の帰りに迷子になったでしょ! 見てたよ!」(山女)

などなど、、、

実に温かい言葉、思い起こせば感謝の気持が何度も沸き起こる。皆親切だった。

警察が来る、君を逮捕する!

夜7時30分ごろにはホールが消灯となり暗くなった。特に眠ることもなく、膝と足首の回復状況を確認しているところへ、先程の人とは異なる山小屋の年配の職員の一人が近づいてきた。

表現や翻訳の問題が有ったのだろうとは思うが、見せられたスマホの画面は逮捕だった。

スマホの翻訳ソフトの画面を見せながら何かを言ってきた。画面を見ると「君は逮捕される」と書いてある。カタコトの中国語の会話を交えて分かったことは次の通りだ。(登山口にある警察事務所の)警察官が24時にここに来て、私を逮捕することになっているらしい、と。

弁明は届いてなかった

私は、先程、管理局からメールが来ていて、それに対し状況報告の返信をしたことを伝えた。そうしてそのGメールを見せようとして唖然とした。

私の返信は
「当局によってブロックされました
と表示されているではないか!

私の弁明は管理局に届いていなかったのだ。

警告メールは返信を受け付けないシステムとなっていたようだ。なるほど、合理的だ。

観念

私は反論することも疑問を呈することもなく、なるようにしかならないなと思って観念した。

「じゃあ私は24時までここで待っていれば良いのですね」

と念押しだけして体を休めていた。

実力を伴わない登山行

もうすぐ逮捕されるかもしれないと言う状況に不安も後悔も全くなかった。元はと言えば、登山計画を実行しうる体力・スピードが無かったということだ。自業自得である。

・水の準備が不足した
・補給チャンスに遠慮した
・前2日絶食(登山中のトイレ懸念)
・結果として水切れ、スタミナ切れ

すべて自分が悪い。
会社の總經理(= 社長)にだけは「今夜逮捕されるかもしれない。詳細判明後に再度報告」とだけ連絡しその時をまっていた。

急展開、希望!

しばらくすると、先ほどの係員がまた近づいて来た。またスマホの画面を見せてくる。原文が中国語だったり、英語だったりしているのだが、いずれにせよ翻訳された日本語はすこぶるわかりにくかった。
今度は「日本人、法律を守る」と書いてあった。どういう意味だ??? 

(水面下でやりとりしてくれていたのかも知れない。感謝だ。)

今すぐ下山せよ

そして、今からすぐ出発せよと言う。この一言で急に希望と展望と元気が湧いてきた! 逮捕されても動揺しないと強がってはみても、逮捕されずに済むとなれば急に嬉しくもなる。まさに一喜一憂。もともと21:30か22:00頃には下山するつもりで荷造りは終えていた。当局の気が変わらないうちに急いで出発することにした。通告を受けてわずか5分後、すなわち21:30頃には登山靴を履き直し出発した。

深々と頭を下げる

山荘を出て扉を閉める時、すでに真っ暗な内部に向かって深々とお辞儀をした。おじさん係員にお手数をかけたことへの詫びの気持ちと、親切にしてくれたすべての人に対するお礼の気持だった。

山荘の外は風が強くなっていた。その寒さに意表を突かれた。体感温度は5-8℃前後で昼の暑さと大違いだ。これも山の怖さだろうかと思った。

そこへまた、おじさん係員が出てきた。

エビデンス

私が下山するところをスマホでビデオ撮影していた。つづら折りの山道を三段ぐらい降りていくまでず~と撮影していた。おそらく当局に不法滞在者が立ち去るところを撮影しエビデンスとして提出することになっていたのであろう。18:30から21:30まで3時間座っていたので体力はそれなりに回復していた。それよりも何よりも、逮捕されずに済んだということで気分は相当楽になった。「跳ねるように」坂を降りていった。

ヘッドライトが有れば路は明るい。直近の雨で路面に水が流れていた。

漆黒の暗闇、1人孤独な下山

しかし、ここからまた次の難行苦行が始まった。嬉しくて跳ねるように下ったのは最初の5分ぐらいまでだった。疲労困憊で眠い。座るのにちょうどよい岩をみつけると、座ってそっと目を閉じる。寒いが疲れのほうが勝っている。10~15分ぐらいたってハッと目が覚め、またあるき始める。そんなことを幾度も繰り返しながら進んでいった。

ルートはよく整備されているので迷うことはない。昼なら怖くて足がすくむ崖も、通った記憶はない。危険箇所には鎖がわたしてあるので掴まって歩けば良い。ヘッドライトはフル充電を二つ持っているので暗闇で立ち往生する心配もない。トラブルもなく順調に下山していったはずだが、登山口にたどり着いたのは翌日の10:30頃。

無事脱出!真っ暗なうちから駆けつけてくれた。感謝!

実に夜通し13時間弱を要していた。標準は4-5時間だと思うので、相当に遅かったことになる。ほとんどの時間は記憶にない。

遭難案件の発動

21:30出発なら夜中の1:30ぐらいまでには出園報告をすることになる。その時刻をすぎても当局への報告がないということで、遭難案件にあがってしまったようだった。

管理局から消防119に情報がまわったとのこと。ただし、救援隊が来るところまでの確定情報ではない。

日曜の深夜、当局から私の山の師匠、タクシーの楊さんのところに連絡が入った。

実は、国家公園の入園申請を私は独力で行ったのだが、手続きに不備があった。そのままでは許可が出ないことが直前に分かり、楊さんが当局に確認のTELを入れてくれた。交渉と追加手続きの末に入園できる様になった。そのため、当局は楊さんの連絡先を知っていた。

深夜、楊さんから私のところにLINEと電話が入っていたようだ。私はスマホは下山に必要ないと考え、重ね着した上着の内側奥深くにしまい込んであった。最初は気づかず、だいぶあとになって気づいてからも、夜中だからと返信もしなかった。

このため楊さんは、深夜私の会社の同僚に連絡をとり、その同僚が深夜のうちに台南市から海抜2600mの登山口まで来てくれていた。

見知らぬ登山者に託された伝言

玉山の登山口では深夜に登山を開始する人たちが結構たくさんいる。入園許可が1日だけしかない人たちは、深夜に出発しおおよそ15-17時間かけて玉山を一往復する。まさに強者たちだ。單攻(タンゴン)と言うらしい。

私も夜間に何人かすれ違った。同僚はそのうちの何人かに次のことを託した。

「日本人が今一人で下山しているはずだが、異様に時間を要している。もしそれらしき人物を見つけたら連絡をくれ」

你是日本朋友嗎?

やがて朝が来て足元が明るくなってきた。

ヘトヘトになりながら3000m以下まで降りて来た。素晴らしい景色だ。
自身の遭難案件発動を知らず、トボトボ歩いていた。

もうヘッドライトは必要ない。登ってくる一人の登山者と目が合う。同僚がメッセージを託した人だった。

「ニ-シー・リーベン・パンヨウ・マ?(日本人ですか?)」

と声をかけられ

シーダ(そうだよ)」
と返事をした。

その人はすぐTELをかけ私の同僚に報告をいれた。そのスマホで、ついに私は同僚と会話をして無事をつたえた。同僚は私が無事であることを知り、師匠の楊さんにも連絡を入れてくれた。

私が深夜の問い合わせに返事をしていれば、すぐわかったことだった。実に申し訳ない。

この時点ではまだ、私は自分が遭難案件にあがっているとは知らなかった。TELでは、とにかく迎えに来てくれたことに感謝を伝え、下山を急いだ。まだ4km弱残っていた。

遭難案件終結

10:22 搭搭加登山口に到着。管理局HPの出園報告ページにデータを入れた。この手続きで遭難案件は消滅したと思う。

もう一人ではいくな!

一方、遭難案件に上がるような事態にまで発展していたことは、翌日出社して別の同僚の話を聞いて初めて知った。まず、このことを知った時点で、師匠である楊さんにLINEでお詫びとお礼のメッセージを送った。

その返信は

平安就好(好~) 
無事で良かった(良かった~)」

だった。 

そして、その日の帰宅のタクシーで顔を合わせたが、怒ることもなく、嫌味を言うこともなく、只ただ笑顔で無事の帰還を喜んでくれた。感謝しか無い。

そうして「もう一人で行ってはいけない」と忠告をいただいた。
実は、以前からやんわり注意されていた。今回の件でしっかり釘をさされた。

冒頭、体力さえあればと記したが、私にはその体力が不足していた。

楊さんの奥さんからは、食習慣と運動習慣について改善案を提示された。これも聞かない訳にはいかない。

本気で心配してくれて、手を差し伸べてくれた人たちの助言、聞かなければもったいない。同僚と会社のタクシー運転手夫妻の金言をありがたくいただくことにした。

では、次は皆で行こう!玉山!!

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