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仏の処世術は欲との戦いだった by エシモの備忘録

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ブッダのことば スッタニパータ まんがで読破 by エシモの備忘録

日本の行き先が不安だ、美人・イケメンと付き合いたい、好きなことがわからない、あの人が憎い、働きたくない、お金持ちになりたい…日々さまざまな苦悩と欲に苛まれるぼくは2500年前のブッダが弟子たちに説いた処世術を読んでみることにした。
*ちなみに私はごく普通の日本人で宗教系の催しとしては正月に初詣に行き、夏にお墓参りをする程度の者です。

◆この本から得たい知識
❶ブッダの教えの本質
❷具体的な行動案

◆この本から学んだこと
❶ブッダの教えの本質
必要最低限の欲を満たしつつ、今に集中して日々精進を重ねて過ごせ。

❷具体的な行動案
・未来とか死について考えるな
・運動せよ
・旅に出て多くの人と会話せよ
・自分の外の環境を観察せよ
・座禅、瞑想をして呼吸を整えよ
・人にとって良いと思うことをせよ
・酒に溺れるな
・性欲に溺れるな
・権力に溺れるな
・早寝早起きせよ

◆備忘録
・五蘊無我(ごうんむが)
人間の肉体、精神も自然界から一時的に借りているものだとし、霊魂や自我は存在しない。自分への愛着や執着を捨て去れ。
→人は生存競争の観点から他者よりも目立ちたいという本能を持っている。でも、自分の執着のためだけに行動しても誰も振り向いてはくれない。人の幸せや喜びのために行動すると自然と相手はついてくる。童貞が初デートで自分語りして女の子に帰られちゃうのと一緒で、いつの時代も相手のためを思うことが一番大事だというこだね。

・すべての欲は無明(むみょう「無知・愚痴」)から生まれる
→確かに、無知な人ほど愚痴を言うよね。

・無明から生まれる欲
⑴欲愛
快楽や権力を求める
ex)タピオカ飲みたい、焼肉食べたい、バッグ欲しい、ドレス欲しい、セックスしたい、他人を思い通りに従わせたい、富を独占したい、寝ていたい、怠けたい

⑵有愛
長生きしたい、死にたくない。

⑶無有愛
どうにでもなれ。引きこもりたい。一人になりたい。

無明にならないために、智慧をつけ、日々精進せよ。あらゆるものを慈しみ、人々が幸福になることを目指せ。
→つまり一人でモンモンとしていると世間から離れて無知になってしまうので、焦点を自分ではなく、他人に合わせて行動せよってことだね。その行動に集中しているときは無明からの欲も生まれないわけだし。

・ブッダの死生観
現在をおろそかにし、死を考え怖がることは一番愚かである。「今なすべきことを考え、実践せよ」
今を大切にして日々を過ごすのが涅槃の境地に達する。
→人は想像力が豊かで、しかも恐怖への警戒心がとても強く安全な場所に留まろうとする動物。だからこそここまで生き残ってきて食物連鎖のトップに君臨する。でも、本当に死ぬ時や事故にあう時は一瞬だし、恐怖を感じている余裕も無い。死は誰にでも訪れるもので逃れることはできない。だからこそ今に集中してより良い生き方を選んで進めと言っているのかな。

・三法印
⑴涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
あらゆる煩悩が吹き消された悟りの境地
→最低限の欲は満たすところがポイント
食欲や睡眠欲、性欲を満たしているからこそ、他人を慈しむことができるんだと思う。ここで大事なのは「必要以上の欲を自分で抑制すること」だろうな。

⑵諸行無常
すべてのものは絶えず変化し、生滅する。不変のものは存在しない。
→恋愛、結婚、幸せ、苦悩、価値観、国…すべてのものが毎日少しずつ変化している。自分も毎日少しずつ死に向かって老いている。いい時もあれば悪い時もある。これは宇宙全体がそう。変えられない真理。あらゆる変化を受け入れろということだね。ブッダの母国も多民族から滅ぼされたらしい。これも諸行無常なのだろう。

⑶諸法無我
すべてのものは因縁によって生じ、すべては関係性により存在し「自己」は存在しない。
→五蘊無我と同じかな。とても平和主義的な考え方かも。自己の主張、エゴイズムが無いと生き残れなかった西洋の厳しい環境とはまた違うのかもな。

・自燈明、法燈明
自らをよりどころとし、教えをよりどころとせよ。他のモノをよりどころにしてはならない。
→自らをよりどころにするのが、自由。自由とは自らを律し、他人を慈しめる人でなければ達せない境地なのだろうな。

◆エシモの所感
ブッダは若い頃にいろんなことで悩み、溺れ、苦しんだみたい。これらの悩みから解放され悟りの境地に達するために29歳で修行の旅に出る。
センシティブな若者特有の悩みは常に「自我」から生まれているんだと思う。自分もその一人。
どの宗教もそうだけど、誕生の背景は人間の本能が人間同士の争いや格差を産んで、その苦しい現状を克服するために生まれている。
今の時代にも不安がはびこっているのは「私だけでも安心したい」という本能が、決して見えない未来を想像させて自分たちを無意味な恐怖に陥れている証拠。だから他人の評価を気にして、それをよりどころにしている。
これじゃぁいつまでたっても不安は解消されないんだ。
いつの時代も不安から解消されている人は手を動かしている人。彼らは誰かの幸せのために集中しているから無駄な不安もよぎらない。人が時間を忘れて集中している状態をブッダは涅槃と言ったのかもしれない。

ブッダが死んでからはブッダが神格化された。

その後は大仏や豪華絢爛なお寺などが生まれたけれど、これは当時の有力者が国の統治に仏教を利用したり、悟りの境地に達せずとも死後の世界では極楽に行きたいなどと願ったからだという。そもそも死後のことを考えずに今を生きよと教えたブッダが、今の日本の僧侶を見たら嘆くんだろうな。葬式で戒名書いて死後の世界を諭すお坊さんたちは、ブッダの死生観を見てみると仏教の本来の姿なのだろうか…五蘊無我から考えると、そもそも墓って必要なのだろうか…

それとも、これも諸行無常なのだろうか。

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