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✦✦vol.9 スマホ一つで自治体を翻弄?〜刑法の守るもの(後編)✦✦

[REN's VIEW〜“その価値”についての考察]
スマホ一つで自治体を翻弄?〜刑法の守るもの


✦時代の新規性

では、誤振込みされたお金を手元には移さず、更に別の口座に移し替えた場合はどうなるだろう。
この場合、損害とされるお金について“バーチャル上の移転”を繰り返しているだけだ。自分の支配下に移してもいなければ、人を騙してもいない。
とすれば、そこには窃取も欺罔行為もなさそうだ。

そこで、今度は電子計算機使用詐欺罪(刑法246の2)の成立が問題になる。
“コンピュータ詐欺罪”とも言われる。
同罪の成立する『使用』行為に当たるには、電子計算機の単なる使用では足りず、虚偽の申請(虚偽の情報の提供)やデータ改ざん(不実の電磁的記録の作出)など、積極的な不正行為があったことが必要となる。
「移し替え」は正規の手順に沿って口座内のお金を移転しているだけなので、『使用』には当たらないだろう。
なので、お金の移し替えの行為ではなく、「移転先のネットバンキングの開設行為」の方を犯罪行為とする。
口座開設では開設の目的を記入するので、悪質な目的を秘して申請したことが「虚偽の申請」に当たるとするのである。

→お金を飛ばす行為でなく、口座開設の行為が機械詐欺。目的を偽り、機械を騙した。

ここでも、本当に悪いのはお金を移す行為であり、口座の開設はそのための準備行為だ。咎められる犯罪行為は急所と微妙にズレている。つまりは、テクニカルな構成を取っている。

(✻なお、この点については諸説分かれているようであり、ネットバンキングへの送金が『使用』に当たる“かも知れない”という見解も散見される)

✦現実世界で起きていたこと

少し脇道に逸れるが、報道によると誤振込みされた若者は「お金はもうない。ネットカジノで使ってしまった」と述べている様だ。

明かりを落とした部屋で、パソコンなのか、或いはスマホか、無心に画面上のゲームに興じる姿が浮かぶ。
小さな画面で、大きなお金がオンラインに行き来する。お金に替え得る数字が動く。
勝っても一人、負けても一人……。

そこではどんな時が流れ、その先には何を求めてそれをしていたのか。
決して許されることでは無かれども、悪と断じるには、余りに朧気な “不当利得の運用行為”に感じられてしまう。

✦刑法の世界が守ろうとして来たもの

刑法は刑罰を定め犯罪を抑制し、ひいては犯罪によって生じ得る被害者を減らそうとしている。
一方で刑法は、人間の自由を過度に損ねないために、『何が犯罪行為に当たるのか』、禁止される行為の輪郭を明らかにしなければならない。
その意味では、社会秩序と個人の自由は常に、構造上の緊張関係を孕んでいる。

ある行為が「けしからん!」のは明らかだとしても、刑法上許されない行為としてどう特定するか。
直感的に察される悪を咎めるのは容易だが、その代償として平時の自分たちの自由を狭める様なことがあってはならない。
「良くないことをしたら捕まる」ではダメで、「どの様な行為をしたら捕まるのか」が明確にされなければならない。
そこに、刑法学者たちならではの苦悶があったし、刑法を学ぶ楽しさもあった。

→罪刑法定主義と補充的解釈。

✦スマホ一つでできてしまうこと

僕が法科院にいたのは20年ほど前で、その時のテキストとは、昭和の犯罪に関する判例が殆どだった。そしてその時代の悪事として、巧みな話術を駆使して人を騙す詐欺罪や、民家に忍び入り人の物を取る窃盗罪などの成立要件について学んだ。
時は経ち、今や主要な財産の大半はデータ化された。人々はシステムを信頼し、利用し、様々な形で数値化させた財産をそのシステムに委ねる。
泥棒もまた、深夜の住居に侵入するかの様に、オンラインを通じてビッグデータにアクセスする。匿名化して潜入する。

今回の騒動では、財産を手中に収めるのではなく、データ上の位置を置き替えることで、利益を掠め取れる手口が公然と現されたとも言える。
事件は誤振込みというイレギュラーに端を発しているし、また、その行為が犯罪に当たるとは今の時点では断定できない。
だが、その手のプロでもない若者に、自治体がスマホ一つですっかり翻弄されてしまったというのは疑いのない事実だ。“素人の用いた小さなテクノロジーの威力”が立証されてしまった。
デジタルマネー、暗号資産。形状を持たない新しい通貨は、今後ますます浸透していくだろう。
騒動は、そんな“新しい通貨時代”の、主流ともなり得る窃盗的手法を暗示しているのかも知れない。

既存の法律と現実世界にズレが生じ、テクニカルな論理構成で無理に犯罪を成立させようとすると、法律の専門家以外には “何が刑法上の黒なのか”よく分からなくなってしまう。
犯罪の成立にテクニカルな解釈・構成を取らなければならないというのは、『現行の法律が現実の変化に十分には追い付いていない』ことを現してもいる。
実際、今回の騒動で犯罪が成立し得るとしても、その罪状と実行行為の特定についての見解は錯綜している。

働く替わりに知恵を働かせて、労働以上の対価を得ようとする人間がいるのは世の常だ。そして犯罪手段は、時代の変遷に合わせて進化する。電子計算機使用詐欺罪が新設されたのは昭和62年(1987)、バブルの只中の頃のことだ。
データは、簡単に即時に国境を越える。
大きな財産を預かる者たち(行政やシステム運営者)に対しては、不測の事態における即時的な対応権限の付与が必要だろう。
加えて、処罰対象と範囲を明確にしつつも、ヴァーチャル空間を駆使した財産犯罪のやり口にも対応し得る『ビビッドな精度の法律の制定』が待たれている様に思われる。

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野咲 蓮
メッセージ・コンサルタント(人物・企業のリプロデュース) 著書:人間を見つめる希望のAI論(幻冬舎刊)


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