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北の海賊ヴァイキング〜vol.9 『階級社会』〜

こんにちは、北欧情報メディアNorrの管理運営兼ライターをやっております、松木蓮です。普段はデンマークの大学院に籍を置きつつも、北欧に関する発信をしています。

今回の連載ブログは、「北の海賊ヴァイキング」と称して、書籍に基づいて彼らの歴史を紐解いていこうと思います。参考文献は「Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen」です。2019年の夏、ノルウェーの首都オスロにあるヴァイキング船博物館にて購入した一冊です。

今回は、前回に引き続いて、参考文献の第5章「Political Life」より、ヴァイキングの「階級社会」を中心にみていきます。

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↑ベルゲン海洋博物館より

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▼1000年前から平等なヴァイキング?

ヴァイキング時代当時、スカンジナヴィア外でのヴァイキングに対する評価として「平等」というワードがあったようです。10世紀後期にフランク人が残した文書にこんな記述があります。

当時、フランク王国に訪れたヴァイキング達を迎えたフランク王国の使者がヴァイキングらに王様の名前を尋ねました。すると、ヴァイキングらは「いない」「我々は平等だ」と答えたといいます。

もちろん、ヴァイキング時代の王様は確認されているので、国(町・村)を束ねる長がいたことは推測できますが、当時からある程度平等思想があったとも考えることができます。ヴァイキング(海を渡って略奪・交易をする人)の間では平等だったのかもしれません。


▼ヴァイキングの身分3部制

平等意識が強かったとはいえ、ヴァイキング時代の人々は大きく3つの階級に分かれました。「奴隷」「自由市民」「貴族」です。


 ■奴隷:

いくら平等意識が強かったとはいえ、彼ら(奴隷)に対してはそうでありませんでした。彼らは下品で非人間的な生き物とみなされていました。ヴァイキング時代の社会階級で最下位に当たる彼らは、人としての権利を持ち合わせておらず、法律で守られていませんでした。

彼らは年齢やスキル、健康状態、外見で値段が付けられ売り物となっていました。持つことを許されず、家畜同然として扱われていました。彼らは貴族や農家の奴隷として仕えたことが、墓場の採掘からわかっています。

一部スカンジナヴィアでは、(事例は少なかったにしろ)奴隷の婚約が認められていました。生まれた子供は、その生みの親の主に属するものとされ、彼(彼女)もまたその奴隷となってしまいます。

ヴァイキングによる略奪行為が活発になると、捕虜として捉えた者を奴隷とし一部持ち帰ったり、交易品としてヨーロッパや東方諸国とやりとりがなされました。

奴隷がどれくらいの数いたのかは史実から明らかになっていませんが、多くの場合、上級階級の人々が資産として奴隷を保有していたとされます。奴隷は様々な仕事を課せられていて、例えば調理、清掃、農耕、それから土塁や要塞建設などの重労働も担っていました。奴隷は時として、その主から解放されることもありました。


 ■自由市民:

多くの自由市民は農家でした。彼らは土地の種類によってさらに細分化されました。
①「受け継いだ農地で農耕する者」
②「リースされた農地で農耕する者」
③「購入した農地で農耕する者」
です。

中でも、「受け継いだ農地で農耕する者」が特に重要な階級でした。こうした農家は影響力があり、時として「首長」となることもありました。

その他の自由市民として、職人(鍛冶屋、大工、武器メーカー、宝石職人)、交易商人、戦士などがいました。

自由市民は法律で守られていて、ヴァイキングの大半が彼らで構成されていました。ギルドのような組合も結成して、お互いに義務を負い、例えば農耕で得た富や所有する船から生まれた富の再分配をしていました。

中には貧困な自由市民もいました。彼らに対する経済的援助についてはよくわかっていませんが、アイスランドでは独自にこのようなことがされていました。当時、アイスランドでは「シング(sing / hrepp)」と呼ばれる共同体があり、最低でも集会に参加する20の農家で構成されていました。

この共同体の役割として、貧困層を支援すると言うものがあり、貧困層は大きな農家を渡り歩いて庇護してもらっていました。のち1096年に、共同体内で貧困層を支援の一環として「十分の一税(tithe)」が導入され、初の徴税法として法令化しました。

これにより所得の10%を教会へ納め、このうち25%は貧困者支援のために回されることになったのです。このシステムは他のケースでも機能していくようになり、例えばある人が病気で1/4以上の家畜を失ったり、火災で家屋を失った場合、その補填に回されたりするようになりました。


 ■貴族:

特権階級としての貴族はヴァイキング時代にもいました。彼らは持つ者であり、富、土地、階級を保有していました。ヴァイキング時代以前のスカンジナヴィアでは小規模な王国や伯爵領がかなりの数あったとされています。

王位継承については、2パターンが考えられていて一つは血縁に基づくもの。元々”king(古ノルド語ではkonung)”の語源が”kin(血縁)”を意味することからきているとも言われています。この考えの源流には、北欧神話の神の継承者であると言うものがあります。もう一つの継承方法は選挙方式で、首長が候補者を選ぶことで成立します。大抵、2〜3名が候補者となりました。

ヴァイキング時代末期になり、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーが王国として形作られてからようやく、血縁に基づく継承方式が奨励されるようになります。そして、キリスト教化によってこの流れは速まることに。



▼スカンジナヴィアの王政の歴史

 ■デンマーク王政:

デンマークの統一のプロセスはよくわかっていませんが、最初の動きは800年頃だとされています。これまでの章でみてきたように、当時のデンマークはへーゼビュー(Hedeby)という地域(現在のドイツ北部)を中心に栄えていました。800年頃、ゴズフレズ(King Godfred)という王様がいました。彼は、南の敵対勢力に対抗するべく、要塞(Danevirke)造りに尽力した人物として知られ、南ユトランド半島を掌握する力を持っていたとされています。

しかしながら、彼の力は南部デンマークで終わり、統一は10世紀半ばまで待たなくてはいけませんでした。そこで頭角を現したのがゴーム老王(Gorm the Old)です。彼はデンマーク全土を治める力を持っており、この時代からデンマークの統一が始まったとされています。そして、彼の息子であるハーラル1世(又の名を「Halald Bluetooth(青歯王)」)の時代にはデンマークの王権拡大を成し遂げ、前章で取り上げた要塞(Trellborg、Aggersborg、Fyrkat、Nonnebakken)の建設の指揮を執ったと言います。又、彼はノルウェーの平和的統合にも成功した人物でもあります。

ちなみに、Harald Bluetoothのデンマーとノルウェーの和平統合が、「様々なプロダクトと産業をオーディオで繋ぐ」ことを掲げている現在の無線通信技術Bluetoothの語源となっています。

後に、息子スヴェン双髭王(Sven Forkbeard)に王座を譲ることになりました。彼はイングランドへ数回侵攻し、1013年にイングランド征服を成し遂げます。

ヴァイキング時代の王政の中で最も強大な力を持っていたのはカヌート1世(Knud the Great)でした。彼は北海帝国を築くほどの権力者で、長い期間に渡ってデンマーク、イングランド、ノルウェー、それからスウェーデンの一部地域の王座につきました。が、脆弱な政治体制のツケが回って彼の死後すぐに王政は崩壊しました。


 ■ノルウェー王政:

元々ノルウェーの統一は困難でした。というのも地形柄縦長に延びた国土に加え、海岸線が長く入り組んでいたからです。一般的にノルウェーを初めて統一したのはハーラル1世(Harald Fairhair)と言われています。10歳の時に父よりVestfold(オスロ南西部)という国を受け継ぎ、以降ノルウェー統一を野心を持っていました。これを成し遂げるまでは髪を切らないことを誓った彼は美髪王という名でも知られています(=Harald fairhair)。

872年、ノルウェー南部にてハフスフィヨルド(Havsfjord)の戦いにて小国の首長から勝利を治めて、晴れてノルウェー統一を成し遂げました。しかしながら、これは正確にいうとノルウェー全土の統一ではありませんでした。彼が治めたのはノルウェー南部地域と沿岸部であって、北部地域はまだ手付かずだったのです。

彼の息子エリック・ハラルドソンが王位に就きますが、Erik Bloodaxe(血斧王)という残忍なあだの名のごとく不人気な王で、国外追放を余儀なくされます。後釜としてホーコン1世(善王)が王位に就きます。彼の治世、エリック元王の息子との闘争が続き、結果彼は殺害されます。そして、ハーラル2世(Harald Greycloak)を主導者とするエリック元王の息子らがノルウェーの王位に就きました。特に現在のトロンハイム(≒Lade)を治めたハーラル2世(Harald Greycloak)は強大な力を築きました(すでにノルウェーはデンマークの傘下に入っています)。

しかし、彼らの独立しすぎた状態を見かねたデンマーク王ハーラル1世(Harald Bluetooth)は、ハーラル2世を追放し、トロンハイム首長ホーコンに彼(Bluetooth)の宗主権の元、ノルウェーを統治するよう任命します。が、結果としてホーコン王はデンマークとの同盟を破棄します。

ホーコン王の次には、ハーラル1世の曽孫にあたるオーラヴ1世(Olaf Tryggvason)が王位継承します。彼の治世にノルウェー南部の沿岸部から北部に渡って勢力拡大を達成しました。彼が戦死したあと、オーラヴ2世が王位に。彼はもう一度ノルウェー統一に踏み出し、デンマーク王とスウェーデン王を駆逐しますが、彼の強硬な行動から不人気を買うこととなり、結局デンマーク王カヌート1世とノルウェーのホーコン首長と同盟を結ぶことになりました。その後、オーラヴ2世は追放されてノヴゴロドに逃亡したりと、ノルウェー全土はなかなか平定しませんでした。

コラム:『ノルウェー統一の場所』
ノルウェーが初めて統一されたのは872年の「ハフスフィヨルド(Havsfjord)の戦い」です。この地はノルウェー南西部の町スタヴァンゲル(第4の都市)にあります。現在は記念碑として、岩に刺さった3本の剣があります。現地ではプチ観光スポットになっています。スタヴァンゲルはフィヨルド観光で世界的に有名な町なので、ぜひ訪れてみて下さい。

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 ■スウェーデン王政:

ヴァイキング時代のスウェーデンの王政に関すること、どのように統一されたのかは文献に乏しく、ほとんどわかっていません。それでもオーロフ(Olof Skotkonung)が初めてスヴェア人(メーラレン湖周辺地域)とイェート人(ベーネル湖周辺)を治めた人物であるとされています。それから、初めてスウェーデン全土の王とされているのはカヌート1世(Knud Eriksson)です。


▼国王の機能

ヴァイキング時代の国王の役割、国王と家臣の関係性について見ていきます。まず前提として国王の役割は、国家の代表として国の平定と繁栄を維持することです。その中でも大きく2つ役割があり、それぞれ①軍事的リーダー、②宗教的リーダーです。

①軍事的リーダー:

ヴァイキングの象徴ともなっている海賊行為。時として、ヨーロッパ各所へ出向いて略奪をしていました。が、ヴァイキングの国王自身が戦場に出向いて戦っていたわけではなく、これはヴァイキング時代の末期まで待つ必要がありました。

当時の国は不安定であることが多く、そんな中、長期間に渡って国王不在の状態を続けるのはあまりにもリスクが大きかったのです。その上で、国王は対外諸国からの侵攻を防ぎ、国家安泰を目指す必要がありました。

国王には"hird"と呼ばれる、王に忠誠を誓う私的な戦士の組織が結成されていました。この団体は階級式になっていて、3種類の人で構成されていました。それぞれ、"knights"、"officials"、"servants"です。

"knights"はいわば戦士であって、国王と杯を交わしたり、戦利品を受け取ったりする立場でした。この"knights"もまた、更に細分化され「エリート層」「土地を持つ人」「一般層」に分かれていました。
"officials"は"knights"よりも下位で、給料も少ない人々です。彼らは町の治安を守る、ある種警察の役割を担っていました。
"servants"は若い人や少年で、上級家庭から見習いとして参加していました。

この"hird"という組織は国王を擁護する役割が第一にあり、忠誠を誓い、国王の意志に従い、国王のために戦いました。


②宗教的リーダー:

それからもう一つは宗教におけるリーダーです。ヴァイキング時代は北欧神話に見る神々への信仰が厚く、生活と切っても切り離せない関係にありました。平和と繁栄を祈願して神々へ犠牲を払う儀式を執り行っていました。宗教的な意味合いでは、デンマークのレイレ(Lejre)、スウェーデンのウプサラ(Uppsala)、ノルウェーのトロンハイム(Trondheim)が重要な宗教拠点で、王家の邸宅もありました。

このように、王は軍事と宗教において大きな役割がありました。しかし、立法と裁判に関しては国王は確固たる権力を持っていませんでした。法律は自由市民によって意思決定がなされていました。国王はあくまでも法律の管理と法的手続きの執行において重要な役割を担っていたというくらいだったのです。


▼この章のまとめ

今回はヴァイキングの階級社会についてみてきました。当時からすると、平等意識が強かった彼らですが、とはいえしかと階級社会が存在していました。勢力拡大に伴って、時として残忍な国王も生まれたのも事実です。

ヴァイキングのイメージとして、野蛮ゆえに国王も荒波を乗り越え、仲間達とともに海を越え、共に戦った、というものがあったのですが、意外にもそうではなかったようですね。それだけ小規模の国が乱立していたのがヴァイキング時代の特徴なのかもしれませんね。

それでは、また次回お会いしましょう!

Hejdå!!



参考文献:
Wolf, K. (2013). Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen. Sterling Publishing.



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