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久々大学院の話

Def Techのmy wayにまんまとハマってしまった松木蓮です。
#これでファーストテイクなのはエグい
#15年の重みが全てここに詰まっている


久々に大学院の話をします。とはいえ、これは僕の独り言ということでよろしくお願いします。これから海外の大学院に進まれる方の指針にはなり得ません。

僕はデンマークにおりまして、大学院に在籍しています。修士二年目です。年明けから修士論文が本格的に始まります。

僕の関心領域は、「福祉のデジタル化」です。中でも、高齢者施設・高齢者介護にどうやってデジタル機器を応用していくかということが喫緊の課題としてあると思っています。

時々この話をすると、「福祉は人がいなきゃダメだ!」「機械に人の世話を任せられない!」とか声高におっしゃる方がいますが、これは0ー100の話ではありません。

とはいえ、これからどんどん機械化が進むと思います。導入せざるを得なくなると思います。デジタルネイチャーという言葉の通り、今はデジタルの存在に違和感を覚えますが、何十年かかけてそれがナチュラルな存在になると思います。

数年前まで、YouTube(r)を得体のしれないものとする人が多かったですが、今は歴として市民権を獲得しています。新しいものを導入しようとすると、反対の力学が発生するのは歴史をみてもそうですし、これからも避けられないことだと思います。

もちろん、どんな形で福祉・介護を享受するかは個人の自由です。ロボットに世話されたくないとおっしゃる方は、体が老いる前に肉体を鍛えておくと良いでしょう。北欧ではジムに行くと、朝から体を動かす年配の方をよく見かけます。サウナを楽しむ人も多く見かけます(サウナは体内の熱を放出するという点で体内の運動になっていそうな気がしてます。感想です)。

以前、とある大阪の北欧レストランの方にお声がけいただきまして、講演をさせていただきました。参加者の中に、老人ホーム(特養だったかな)で介護士をしている方(そこそこの年齢かと思われます)と少しお話させていただきました。「人手不足」が1番の問題だとおっしゃっていました。「機械化していった方が良さそうですよね」と豪然と言ってみたところ、ぽかんとされていました。

これが何を意味するのか明確ではないですが、デジタルを導入するという選択肢がなさそうな気がしました。例えるなら、人参の皮を剥くのに、「包丁じゃなくて、ピーラー使いません?」と勧めてみて、「ピーラー?何それ、危なくない?」みたいな顔される感じです。

危険度で言うと、包丁の方が切れ味が良いと思うのですが、、、、

まあ、そんな感じである意味で、業界内での井の中の蛙状態だなと感じました。この辺の、日本のDXの遅れようは福祉分野と言うよりは、全体的な構造上の問題だと思います。結構やばいと思います。なぜ、福祉分野でデジタルが突破口だよねと言う議論がなかなか上がらないのは、気が向いたら調べてみようと思います。

そんな感じで、僕の修論の話はまた今度にして、大学院の内部について最近感じることをお話しようと思います。

カリキュラム上、対面での授業はなくなりグループワークで色々と進めていくというものが多くなっています。今も来月の試験に向けてコツコツとみんなで話し合う時間が多いです。

「最近感じること」と書いたのですが、去年(プログラムが始まった頃から)からずっと思っていることでして、あんまり馬が合わないなと思うことがよくあるんですね。とはいえ、別に仲が悪いということでは全くなくて、最近は我が家で映画を一緒にみたり、ご飯一緒に作ったりと仲良しな人もいます。

それでも、すごくもどかしいのが、何かにつけて「理論」を大切にするんですね。授業で取り扱うのは大体これで、なんだかよくわからない横文字を並べたがります(理論は大事です)。うるせーなぁと心でずっと思っておりまして、僕はきっと研究者肌じゃないんだと思います。多分それが答えなので、水と油が混じり合わないのと同じように、このもどかしさは消えることはないでしょう。

それでも僕が専攻しているソーシャルワークという分野に限っていえば(他の分野は知りません)、理論は程々にしといた方が良いと思う派です。人の心理と深く紐づく分野であるからこそ、変数が多く(変数しかない)、理論が通用しないことがよくあると思っています。

理論を、料理でいうところの包丁やまな板として捉えるなら、それは道具でしかありません。沢山の調理器具を知っている(持っている)から良いかというと必ずしもそうではないはずで、素材によって適切な器具が存在します。器具そのものを熟知するよりも、その器具で実際に素材を扱ってみた方が学びが多いはずです。扱ってみなければ、わからないことも多いし、扱ってみた方が速く学べます。

「包丁は手を切る可能性がある、この角度で切ると安全だよね」なんて文字を学ぶよりも、いっそのこと指を切ってしまった方が(失敗した方が)、学びは多いはずでしょうし、体で覚えます。文字にするといずれ消えますが、体に刻み込んだ学びは並大抵のことがない限り消えることはありません。

結論、僕が何を言いたいかというと、アカデミックをやる人はとかく遅い(いや、ほんとに遅い)、ことが少なくないです。どんだけ考えてもその程度の経験じゃそれ以上のことは生まれないから、新たな知見を得るために早く外にでた方がよくない?と僕は考えるので、遅い人がダメなんですね。これは合う合わないの問題です。

そうしたアカデミック思考が板についた人たちと話していると、それはアカデミックに限ったことではないことがわかります。彼らは、よく考える人、であることは確かなのですが、思考の幅が大きすぎて、何も生まれない(=それで満足しちゃう)状態が発生することとがあります。

結果を出すためには?という公式として「思考 × 行動」を口酸っぱくいう人がいると思うのですが、これに当てはめるなら、「100(思考)× 0(行動)」は0です。あらゆることは掛け算で成り立っているので、足し算的思考が強いアカデミックで生きる人はなかなか厳しいんじゃないかなと感じます。

足し算で見ると、

「思考100+行動0」

は100で、

「思考50+行動50」

も100です。

が、いうまでもなく、これを掛け算にした時、

「思考100×行動0」

は0で、

「思考50×行動50」

は2500です。


こんなところからイノヴェーションが起きそうな気配がしません。これはあくまでも僕個人の経験則ですが、これまで一年半ほど大学院で勉強してきて、強烈に記憶に残っている学びは、「授業外」で得られたものです。

ノルウェーにいた時のフィールドワークで刑務所に訪問する機会があったのですが、そこで僕は更生のあり方を学びました。アカデミックな話で言うと、「Restorative Justice(修復的正義) × Retributive Justice(報復的正義)」において引き合いに出される理論(これは刑務所以外でも応用できるよ!)で、前者は北欧的思考で後者はアメリカ(日本も)的な思想が強いです。今もなお猛烈に記憶に刷り込まれていますが、実際に訪問していなかったら消えていた記憶です。

最近で言うと、ソマリアからの難民の方々とお話させていただく機会があり(グループワークにて)、そこでも新たな学びがありました(彼らにとっていかに宗教が生活の中心にあるのかがとっても勉強になりました)。直接現場に行ってお話しした方が学べることは多いです。

中には一般化できない学びもありますが、ストックとして持っておくといつか掛け算的に生かせるんだろうなと思います。


アカデミックをやる人間としては若干異端児かもしれませんが、これでもちゃんと結果を残しておりまして(成績はなかなか良い)、ほぼ勉強しなかった1学期目さえ頑張っていれば博士課程も進めたかなぁと言う感じです。当時は全ての時間を北欧情報メディアNorrというサイトの記事寄稿に当てていたので、物理的に勉強する時間がなかったのです。

もしこれから大学院に進まれる方がいたら、大学院はこういうところ(あくまでも僕のプログラムの場合)なので、退屈に感じることも多いかもしれません。ただ、何より行動が大事だ、と思います。



最後に、よく聞くお話を。

研究者のグループと小学生のグループがあるとします。それぞれのグループにマッチ棒を沢山渡して、できるだけ高く積み上げるように言いました。結果は言うまでもないですが、大きな違いは試行回数です。”思考”回数ではありません。これが全てを物語っているんだろうなと感じますね。



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